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仕事のモットー──僕はこんなことを考えながら働いてきました

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今の若い人に通用するかどうかは知りませんが、僕はいろいろ仕事を重ねて行くうちに、こんなことやあんなことに思い至りました、という感じの寄せ集めです。
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2021年1月の記事一覧

「配属希望」をめぐる思い出 ~約40年前の新人研修で思ったこと、思い直したこと・その4

大昔の某在阪放送局での新人研修時代の話、4つめ。 前3回は研修での座学について書きましたが、今回は少し趣向を変えて社報について書きます。 入社する4月を目前に社報の記事執筆の依頼がありました。毎年恒例の新入社員紹介記事です。人事部からいくつかの質問が提示され、それに回答する形で記事が完結する形になっています。 最初の質問は出身校とか専攻とか所属サークルとか自己アピールとかだったと思うのですが、最後に「希望する配属先」というのがありました。 僕はこれを読んでカチン!と来

「仕事に適性はあるか」を考え直す ~約40年前の新人研修で思ったこと、思い直したこと・その3

大昔の某在阪放送局での新人研修時代の話、3つめ。 人事政策というのは往々にしてぶれるものです。いや、人事政策には限らないかもしれませんね。 とにかく何が正解なのか見えない中で、従来やってきたものより良いものにしようと試行錯誤することによって、とかくぶれるのです。 そういうわけで我社の新人研修では外部の講師を入れている年もあれば、社員だけで賄った年もあります。私の年には外部の講師が入っていました。なんちゃらプロモーション・ビューローという会社の鈴木さんという講師でした。

「君は年間100冊の本を読むか?」と迫られて ~約40年前の新人研修で思ったこと、思い直したこと・その2

大昔の某在阪放送局での新人研修時代の話、2つめ。 前回も書いた各部副部長クラスを講師とした座学。今回はテレビ制作第1部(だったかな)の副部長の話。後から聞いた話ではこの副部長は変わり者として局内で有名な人物だったみたいですが…。 彼は冒頭でこう言いました(みんな冒頭で何か“一発かまして”来るんですよねw) その年の十数名の新入社員のうち、手を挙げたのはたった一人でした。ちなみに彼女は社内結婚して退職した後、現在は翻訳家になっています。僕はどうだったか? 多分年間 20~

「視聴率とは何か?」とカッコつけて教えられて ~約40年前の新人研修で思ったこと、思い直したこと・その1

僕が大阪の放送局に入社したのは昭和の末期、大雑把に言って40年ほど前です。そんな大昔なのに、新人研修中に聞いた話ややったことなどでいまだに憶えていることがいくつかあります。 中にはすごくためになって、人生の指針と呼んでも良いほどのものになったこともあるにはあるのですが、逆に後から考えたらあれは何だったんだろう?みたいなことも少なくありません。 ここではむしろそういうことを何回かに亘って書いて行きたいと思います。いや、なに、反面教師だって立派な教師ですから。と言うか、すべて