僕の祈り
2023年12月10日6時8分。
僕たち家族は河口湖のグランピング施設にいた。まだ空は暗く、息は白い。夜空よりさらに黒い富士山の影が見える。
焚き火台でぱちぱちと燃える焚き火を、僕は そうちゃん と眺めていた。そうちゃんは我が家の次男で、小学校3年生の男の子だ。
宿に設置されているガーデンチェアをテーブルから持ってきて、ちょこんと体育座りするような体勢で燃える薪を観察している。
一見、非日常を体験するために休日を利用した旅行の場面であるが、僕はこの喉から手が出るほど欲しかった「日常」をしみじみと噛み締めていた。
2022年11月14日9時11分。
僕は妻のLINEに「がんばろう」と打って、コウペンちゃんのスタンプを送った。そうちゃんは入院していて、妻は付き添いで病室にいた。
僕は長男を学童に送り届けて、ひとり車で病院に向かったのだった。そうちゃんは手術室に入り、僕は妻と合流して家族待合室で待機。
それから7時間、そうちゃんが帰ってくるのを待つことになる。
(神様、仏様、アッラー、創造主、なんでもいいから、これからの僕のことはもういいから、そうちゃんを無事に返してくださいっ!)
この時、そう祈ってしまったものだから、いま何かつらいことがあっても、けっこう平気になってしまった。
それまでのそうちゃんは至って健康だった。いや、健康に見えていた。
そうちゃんの心臓の内部には穴が開いていたのだった。
房室中隔欠損と僧帽弁の異常
これが彼の心臓の状態だった。
本番の手術前の検査入院の結果、心臓の中で血液の逆流が起こっている、ということがはっきりわかった。
外からは健康に見えていても、しっかり心臓には負担がかかっていて、心臓は右側に大きく膨れ、1.7倍にもなっているようだった。お医者さんにレントゲンを見せてもらいながら聞いたそれには流石に動揺した。
心臓の、右側だけ、1.7倍。
説明を聞く前までは、どことなく他人事だったのだが、この事実に、一気に現実に直面させられた。手術をしなければいけない。
手術はつまり、
胸の真ん中の皮を切って、
肋骨を繋ぐ胸骨を縦に切って、
開いて、
心臓に管を繋いで、
人工心肺で血液を循環させるようにして、
心臓を止めて、
心臓を切って、
穴や弁の亀裂を縫って、
心臓を閉じて、
心臓の鼓動を再開させて、
胸骨をワイヤーで固定して、
胸を縫って閉じる、
ということだった。
穴の位置や大きさ、弁の修復もあるので、カテーテル手術はできないらしい。
胸を開いて、心臓を止めて、心臓を縫って。待って、心臓を止める?そんなことできるの?それに、そうちゃんの胸には手術の大きな跡が残るってこと?手術の死亡率は大人も含めて1〜2%くらい。手術中、血液の中に血栓ができてしまい、それが脳までいくと脳梗塞になっちゃうらしい。
いろいろな可能性があって、それが不運にもそうちゃんの手術で起こってしまうと、なんて考えたくないような悪いイメージが頭をよぎる。
それを本人にどう伝えるべきなのか。ここは父親力が試される。
医者から詳細の説明を受けたあと、妻が会計をしている間、僕とそうちゃんは車で2人になった。助手席に座るそうちゃんにタブレットとお菓子を渡した。
そうちゃんは前にも血液の病気で入院したことがあって、今度は心臓かよ。
タブレットでゲームをするまだ7歳の小さな子を見つめていると、鼻の先がツンとして視界が滲んだが、父親は悟られるわけにはいかないのだよ。意を決して僕は語りかける。
「そうちゃんの心臓には穴が開いていて、手術をしなくてはいけない。胸を切って、心臓を縫って、戻す。今は元気なんだけど、大人になってから死んじゃうような症状が出るかもしれないから、いまやるしかない。パパもママもがんばるから、そうちゃんもがんばろう」
そんな感じのことを言葉にしたと思う。
そうちゃんは、
「それ、いま言わなくてもいいじゃん」
と困ったように返してきた。正直、これには参った。
だけど、どんなに配慮したって、状況が変わるわけではないし、彼も混乱する中で、やっと言葉にしたのだろう。いたたまれなかった。
元々、情報収集や発散したがりな性分な僕であったが、ただでさえ情報量が多く受け止められない事態になっているから、この時期には情報のインプットとアウトプットを意識的に止めるようにした。
案の定、手術の当日には、完全に思考が停止した。脳がフリーズして、感情も出てこない状態になった。手術を待つ時間に、本を読んだり動画を観たりして気を紛らわそうとしたが、そんな気にはなれなかった。手術前後はswich onlineのピクロスを延々とやっていた。単純作業に救われた。
2022年11月14日15時34分。
担当医が無事に手術が終わったことを告げにきてくれた。9時から待機していて6時間半が経っていた。
手術後、PICU(当時テレビドラマの題材にもなっていた小児集中治療室)に移り、少しの間の面会が許された。
そうちゃんは真っ白な顔をして、体にたくさんの管をつけられて寝ていた。心臓が動いていることは心電図が教えてくれた。その姿を見て僕は泣きそうになるのをグッと噛み殺した。
経過について説明を受け、PICUを数分で後にした。手術が終わったってエンドロールが流れるわけではなく、非日常は続いていく。
僕と妻は学童に長男を迎えに行って、家に帰ってから「君の名は」を観た。長男もがんばった。
次の日になっても、そうちゃんは人工呼吸器とペースメーカーとモルヒネに生かされていた。
この日の夕方、テレビを眺めていたら、デカ盛りの特集のバラエティがやっていて、思わずふふっと笑ってしまった。ひさしぶりに笑った。笑えた。やっと感情が戻ってきていることを実感して、バラエティやエンタテインメントのありがたみを身をもって知った。
3日目にして、面会に行くとそうちゃんは起きていた。
僕と妻を見るや泣いてしまい咳き込んでしまった。喉にまだ管が刺さったままなので、話せるような状態ではなかった。
手術に行くまで元気だったのに、起きたら病人になっているんだもんなぁ、ひとりで怖かっただろうなぁ、と思うと、また泣いてしまいそうになるのを必死に堪えた。
その翌日にはPICUを卒業して、普通病棟に移り、2週間ほど入院したのち、そうちゃんは無事に我が家に帰ってくることができた。
そして現在
運動制限や服薬は続いているものの、心配していた胸の手術痕は、いまでは薄く目立たなくなっている。担当医が凄腕だったようだ。
こうして僕たち家族は、手術と戦う非日常から抜け出すことができた。
それからというもの、僕のメンタルは回復力を会得した。そうちゃんが生きてくれていること以上のことはなくて、それに比べれば、どんなことがあっても、誠にどうでもいいことに思えるようになった。あの時、僕が望んで祈ったことが叶ったわけなんだから。
(神様、仏様、アッラー、創造主、なんでもいいから、これからの僕のことはもういいから、そうちゃんを無事に返してくださいっ!)
いまもこの祈りは僕自身の心臓を掴んで離さない。離してたまるか。
ただ、頭のキャパオーバー対策で抑制した情報のインプットとアウトプットの衝動は、なかなか元に戻らなくなってしまった。感情は戻ってきたものの、ギアが低速のまま上がらなくて、どうも本調子にならない。
そこでIN / OUT LAB(インアウトラボ)に出会った。インプット力とアウトプット力を鍛えるオンラインサロン、というかコミュニティである。
何を隠そう、このnoteはそのアドベントカレンダーで得たアウトプットの機会なのだ。
そうちゃんのことについて言語化したかったので、良い機会だったと心から思える。ありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?