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『関東地方震災関係業務詳報』は、アジア歴史資料センターで、インターネットで見ることができます。

 12月14日に、毎日新聞がスクープとして「関東大震災の朝鮮人虐殺裏付ける政府の新文書発見 陸軍機関作成」という記事を出していますが、この『関東地方震災関係業務詳報』はアジア歴史資料センター(以下、アジ歴)ですでに公開されていて、インターネットで見ることができるもので、以下のように内容から考えると、スクープ?って思ってしまいました。

 『関東地方震災関係業務詳報』(以下、『詳報』)が綴られているのは、「大正一二・九・四 -一二・一二・一五 熊谷連隊区司令部歴史 2/2」という簿冊です。
 スクープとした初報で報じられた「保護のため警察署へ移送中の朝鮮人四十数人が「殺気立てる群衆の為めに悉(ことごと)く殺さる」などと報告」の部分は、『詳報』のうち「二.行動ノ大要」の中で9月4日の出来事として記されています。
 9月2日の朝にはすでに、「不逞鮮人ニ対スル流言蜚語モ亦深刻ニ傳へラルル二至レリ」という状況だったので、午前中に各連合分会長を集めて、「不逞鮮人其他ノ侵入カ針小棒大ニ流言セラレツヽアリ。何レモ訛傳ナリ、而して此等ノ検挙ハ警察官ノ当然任スヘキ職務ナルヲ以テ吾人ハ匪徒ノ鎮厭ニ助力ヲ乞ワレタル場合ニ始メテ応スヘキモノナリ。」と指示しています。
 しかし、同日午後になって「不逞鮮人襲来ノ流言ハ一層真実ナルカノ如ク傳ワルニ至リ」となったので、「分会員ヲシテ流言ヲ否定セシメ、地方ニハ部員ヲ派シ或ハ印刷物ニ依リ人心ノ沈静ニ努メ、或ハ諸種ノ確実ナル情報ヲ募集シテ之ヲ傳ヘ」るなどの活動を継続するようにしています。
 そして戒厳令が出された4日、浦和方面から熊谷町へ移送してきた二百余名の朝鮮人のうち百数十名を、自動車で熊谷及び本庄警察署に護送している間に、護送できなかった四十幾名かが、「夜ニ入ルト共ニ殺気立テル群衆ノ為ニ、久下、佐谷田及び熊谷地内ニ於テ悉ク殺サル、本庄警察ニ向ヒタルモノ亦同シ」となったとされています。
 新聞記事は、若干『詳報』の記述と違うことが分かります。つまり「保護のため警察署へ移送中の朝鮮人四十数人」なのではなく、移送できずに取り残された朝鮮人だということで、「百数十名」は護送できたわけです。「移送中の朝鮮人」を群衆が襲ったのではなく、久下、佐谷田及び熊谷地内に残っていた合わせて「四十幾名」の朝鮮人が殺されたということなのです。
 この地域の朝鮮人の殺害に関しては、中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会」報告書の「第4章 混乱による被害の拡大」「第2節 殺傷事件の発生」に記されているもの(「4日から6日にかけての埼玉県と群馬県で警察官による護送中、あるいは警察署内に保護されている朝鮮人を襲撃して殺害した5件(死者約81名、本庄警察署、熊谷町、神保原町、寄居警察署、藤岡警察署)208ページ)と同じだと思われますので、新発見の内容なのではなく、「災害教訓の継承に関する専門調査会」報告書の記述が、『関東地方震災関係業務詳報』という別の資料で裏付けができたものです(歴史研究上は、大変重要なことです)。

 また「「鮮人の襲来は遂(つい)に一名も来なかった。火付けもなかった。毒を(井戸に)投げ込まれた事も聞かない」との記述」は、「十二.情報宣傳ニ関スル件」の中で、9月9日に各分会に配布した宣伝文に記載されていたもので、「彼ノ近郷近県村々迄傳ヘラレタ鮮人ノ襲来ヤ井戸ニ毒ヲ入レルノ爆弾ヲ投ケルノ放火スルノト云フ流言蜚語ハ、皆之レ(社会)主義者ノ宣傳テアツテ無暗ノ人ノ心ヲ迷ハシメテ地方ヲ騒カシ、又普通ノ鮮人迄モ迫害セシメテ朝鮮本国ノ鮮人ニ反感ヲ起サシメ、而シテ或ル悪計ヲ仕組ンタモノテアル。一々證處ヲ挙ケナクトモ判ツテ居ル。現ニアレ程人ヲ騒ハカシタ鮮人ノ襲来ハ遂ニ一名モ来ナカツタテハナイカ。(中略)火付ケモナカツタ、毒ヲ投ケ込マレタ事モ聞カナイ。(中略)吾レ等ノ敵ハ必シモ不逞鮮人ノミテハナイ。寧ロ憎ムヘキハ国家ヲ売ル(社会)主義者テアル。之レ等ノ醜類ハ不逞鮮人ト共ニ一網打儘ニ撲滅シテ善良ナル新府ノ同胞タル鮮人ヲ愛護スヘキテアル。」と記された一部分です。

 記事には、「資料の存在は、震災直後に政府が違法な虐殺の事実を認識し、広範な調査を実施していたことを示している」としています。
 大正12年11月2日付け陸普第四五八八号で「関東地方震災関係業務詳報提出ノ件陸軍一般ヘ通牒」という文書が出されていて(これもアジ歴で見れます)、「関東地方震災関係業務詳報調整規定」が定められています。
 これによると、「一 本詳報記載ノ目的ハ陸軍省ニ於テ編纂スヘキ関東地方震災ニ関スル記録ノ資料ニ供スル外将来ノ為諸般ノ参考ニ資スルニ在リ」、「二 本詳報ハ関東地方震災ニ関係アル部隊毎ニ之ヲ調整シ順序ヲ経テ陸軍大臣及参謀総長ニ提出スルモノトス。調整部隊区分別紙ノ如シ」、「三 本詳報ニ記載スヘキ事項ハ部隊ニ依リ異ルヲ以テ固ヨリ一定ノ様式ヲ設クル能ハサルモ概ネ左ノ区分ニ従ヒ暦日ヲ追ヒテ記載スルモノトス」として、「一 一般ノ状況、二 行動ノ大要、三 警備及救護、四 航空、交通通信其ノ他ノ技術作業、六 補給、七 衛生救療、八 経理及宿営給養等ニ関スル件、九 輸送、十 外国人及社会主義者等ニ関スル事項、十一 各部隊建造物其ノ他被害ノ状況並之カ応急処置、十二 情報宣傳ニ関スル件、十三 業務遂行上特ニ功績アリタル者ノ氏名及事績、十四 其ノ他ノ事項、十五 将来参考トナルヘキ所見」となっていて、「震災直後に政府が違法な虐殺の事実を認識し、広範な調査を実施していたことを示している」とは言えないのではないかと思います。通常の資料調整についての指示と大きくは違わないように思われます。
 ただし、「五 詳報ニ記載スヘキ事項中機秘密ニ渉ルモノハ別冊(副本ハ一部トス)トシテ規定ノ取扱ヲ為スモノトス」とあるので、何か重要なことが書かれているとすれば、この別冊に書かれた可能性が高いと思われます。ただ、残念ながらアジ歴のデータベースを検索しても出てきませんので分かりませんが、仮にこの別冊に機密が書かれていても「違法な虐殺の事実を認識し」たと判断できるようなことではなく、それは軍事機密の類でしょう。

 このようなことから『関東地方震災関係業務詳報』は、「関東大震災で起きた朝鮮人集団虐殺について、当時の陸軍省による実態調査」なのではなく、「関東地方震災ニ関スル記録ノ資料」として調整されたもので、「震災ニ関スル記録」の一部として朝鮮人虐殺のことが記録されていると考えるべきものだと思いますので、スクープと称するようなものではないと考えます。


 


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