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社会に浸透していたイメージに引きずられなかった、韓国大法院の判断を歓迎します。

 10月30日の朝日新聞社説は、「「慰安婦」判決 学問の自由 守られた」というタイトルです。

 慰安婦問題は、歴史問題としてだけではなく、政治問題、社会問題的な要素が多分にあるので、それに関する韓国社会の反応がいろいろな方向から出てくるために、今回のような裁判が起こったのだと考えます。

 社説には「歴史的事象については、様々な見方や解釈がありうるだろう。朴氏の見解や主張に疑問を投げかける意見もあって当然だ。」とありますが、歴史研究に対して、「韓国社会に浸透していた一面的な被害者像のイメージ」と一致しないという理由で訴えるというのは、行き過ぎでしょう。歴史研究の見解や主張に疑問を投げかけるならば、それなりのルールというものがあるのですから、それに則った形でやってもらわなければ、おかしな話になります。
 その点で、「大法院は報道機関向けに出した文書で「学問的な表現物に関する評価は刑事処罰によるより、原則的に公開の討論や批判の過程を通じて行われねばならない」と言明した」のは正解でしょう。

 社会に浸透しているイメージが史実的に正しいとは限りません。むしろ、かけ離れていることが多かったりするわけですが、それでも社会情勢によっては、司法判断がそれに引きずられるということがあり得るので、今回は適切な判断が下されて、学問表現の自由が守られたことは良かったと思っています。

 しかし、「折しも日韓関係はいま、政治・外交的にも改善基調にある。今回の判決を踏まえ、両国の研究者は交流や意見交換をより緊密にし、真摯な歴史の探求を深めてほしい。それこそが慰安婦をめぐる問題の前進にもつながるはずだ。」という社説の主張は、少し難しいのではないかと思います。何故ならば、韓国社会では韓国国内の研究者の表現が、「韓国社会に浸透していた一面的な被害者像のイメージ」と一致しないという理由で訴えられる」のですから、日本人研究者が似たようなことをすれば、国際問題に発展する可能性は否めません。少なくとも、社会に浸透しているイメージが、韓国の研究者によって改善されていかなければ、日本人研究者がモノ言うには、ややハードルが高いのではないかと思います。
 ただし、問題解決に少しずつ前進するは可能だと思います。そのためにも、日韓双方で真実を探求する努力をして欲しいと思います。

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