京大が保管する「百按司墓」の遺骨の裁判判決、厳密に法に照らせば判決の通りなのだけれども、裁判長の付言を重視して欲しい!

 9月22日に、「1400年代の有力者らの墓とされる沖縄県今帰仁村の「百按司墓」から、京都帝国大(現京都大)の研究者が昭和初期に収集した遺骨を巡り、県出身者らが返還を求めた訴訟の控訴審判決が22日、大阪高裁であ」り、「大島真一裁判長は、原告側の請求を棄却した一審判決を支持し、原告側の控訴を棄却し」ました同日付の朝日新聞デジタルには、「研究者収集の沖縄遺骨、返還請求棄却の一審判決を支持 大阪高裁」という記事で出ています。

 原告が、「「琉球民族の慣習にのっとると、祖先の墓は一族の末裔全てで守るものだ」として所有権を主張したが、高裁は一審・京都地裁と同じく、遺骨の所有権は明確に定めるべきだとして「不特定多数が返還請求権を行使できない」と判断した」わけで、「所有権」を争っているので、法律に照らせば判決の通りになりますが、正直言って問題はそこではないだろうと思っています。

 この問題のそもそもは、「京都帝大医学部の研究者らが1929年、当時の県庁や県警の許可を得るなどして研究素材として持ち帰った」ものなのですが、この当時「琉球民族」は「大和民族」とは別であるという考えがあったため、そのための「研究素材」として持ち帰られたのであって、そこには差別意識があったということが抜けています。そもそも「研究素材」としての認識が差別的です。裁判長の付言にもあるように、かつては欧米等が民族的差別意識のもとで、研究素材として世界各地から遺骨を収集していたわけで、今回の問題も同じなわけです。

 9月21日付の朝日新聞デジタルにある「遺骨に墨で書かれた番号 京大に返還を求める、琉球王族の子孫の思い」の記事には、遺骨の状態は、「プラスチック製の保管箱には、遺骨の収集場所と標本番号を記した白いラベルが貼られていた。数体の頭骨には、標本番号と同じ数字が墨で、直接、書き込まれていた。」とあります。

 15世紀に琉球を治めた王家「第一尚氏」の子孫などにあたる原告らは、「なんだこれは。まるで動物の骨のように扱われているではないか」、「「人間の骨なんですよ。あまりにもひどい扱いじゃないですか」「自分の骨がそこにあるかのよう(な気持ち)でした。先祖の誇りと尊厳が踏みにじられるようで、子孫としては無念の思いでいっぱいになりました」と述べています。沖縄にルーツがある私も原告と同じ気持ちになりましたが、裁判ではここまでのことは酌んでくれていないでしょうね。

 せめてもの救いは、「京大と原告、教育委員会らで話し合い、移管を含め、適切な解決の道を探ることが望まれる」という裁判長の言葉です。ぜひ、遺骨を「百按司墓」へ返す方向で検討して欲しいですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?