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今宵の月のように

自粛期間中、歩くことが楽しい。
ダイエットのような理由もなくやっているのだから、暇を持て余している証拠なのだろう。
家ですることが無いわけではないが、目新しい体験や風景を最近は向いのホームや路地裏の窓など各所に探している。

歩いていると、色んなことを思う。
今日の自らの発言の一挙手一投足に後悔や反省、それに反発するかのように他人の細かい言動にイライラ、疑問。
日々、常に小さな苛立ちが積もっているので、コミュニケーションを取る時は何事もおもしろがるようにしてはいるが、1人の時間になると、ネガティブな感情がめちゃくちゃブロック崩しが上手い人が操作しているかのように体の中で跳ね返る。

イヤホンから聞こえてくるエレカシの「今宵の月のように」が何回もループしている事に気づく。
内省的になる時間が少ないぐらい忙しいわけではないが、久々に遠さを感じているので自分以外の事も少し考えてみる。
祖父、祖母は元気なんだろうか。

父の顔を見たことがない。
他人からは地雷だなんだと思われるこの事は自分のパーソナルすぎる部分なので、コンプレックスでも何でもない。
幼い時は神奈川にいた。らしい。
少し記憶にあるのは、当時のアパートの玄関先で自分が見上げた先にある父と思われる人物のあごひげ。幼稚園は向こうで過ごしたらしいのだが、あまり記憶は無い。
小学校になり、兵庫の尼崎に越してきた。
家に帰っても母が仕事に出ていて誰もいない中で、自分のヒーローは祖父母だった。

祖父母は最高に優しい人たちで、時に褒め時に叱ってくれた。
特に祖父は自分に様々な事を教えてくれた。
水の中で目を開けられないという悩みは風呂に水を貯め、そこに小銭を落とし拾わす。今思うと「この世は金がすべて」といわんばかりの特訓である。
跳び箱を飛べないという悩みには自作の手作り跳び箱を用意して教えてくれた。教え方がスパルタすぎてトラウマになってその年の体育の授業ではメンタルの部分で飛べなかった事を覚えている。
父親代わりの自慢の祖父。トンカツの衣は一回別々にしてから一緒に食べる、今思うとその変な食べ方すら当時の自分は憧れのまなざしで見ていた。

そんな祖父との最も印象的な出来事。
小学校3年の頃、周りで野球が流行った。
自分とはそれまで関わり合いの無かった少年野球をやっているクラスの面々がそれまで自分たちが遊んでいた公園をある日、占拠した。
一種のテロである。
少年野球グループはその公園を牛耳り、あろうことか「野球が下手な奴は出ていけ、さぁまずはノックをしてやる」と独裁国家を作り上げようとしていた。
それまで一緒に遊んでいた友人たちは最低限の野球のお作法で何とかテログループの面々に媚びを売ることが出来ていたが、前述のように運動に関してはある程度の特訓を受けてからでないと人並みにたどり着けない自分だ。
できなさ加減に全員に笑われていた。ただ、自尊心が傷つくわけでもなく自分の行動で人がウケていることが少しうれしかった。
今思うと、あそこでイジメられてでもしていたら絶対今の自分はいない。

その事を祖父に話すと、何を思ったのか翌日公園に来たのである。
イジメられていると勘違いしたんだろう。
地獄の勘違い説教タイムが始まった。
祖父の横で立っている自分は、みんなの「なんやねんこれ…何で…?」という目線での追及を遮るのに必死だった。
本当の地獄はここからである。
何を思ったか祖父は「野球を教えてやる」と声高々に宣言した。
耳を疑った。次の瞬間には、目を疑った。
ノックするバットは空を切り、キャッチボールは相手に届かない。
初めてかっこ悪い祖父を目の当たりにした。
その後に、自分が野球が下手なことを祖父のせいにして馬鹿にした同級生達に憤りと悔しさを感じて祖父の袖を引っ張り帰宅した。
祖父がその時どんな表情をしていたか、涙で前を見ることもままならなかった自分には知る由もない。

そんなことを考えていると、家までもう少しという所まで歩いていた。
無性に食べたくなったのでコンビニに寄り、その当時によく食べていたチキンラーメンを買った。
家につき、すぐお湯を入れて出来上がりを待つ。
最高の思い出補正で麺をすすった。
寝る前に不思議と祖父があの騒動が起きた後にくれた使い古されたグローブの匂いを思い出した。
時間をかけないと思い出せないものがもう既にあることに、時間の経過を感じて虚しくなる。
コロナが落ち着いたら、また祖父を誘って散歩でもしてみたい。


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