演劇と映像、初めての試み
1月15日、2月15日と、平日のみの日程で、「とんじる祭」というイベントがあり、主催のユニットれんげの方が僕と知り合いということで、その繋がりで我々陰湿集団にも参加のお誘いがきた、というか、ありがたいことに既に頭数に加えられていた。
コンセプトは「演劇×映像」
今まで観てきた演劇作品で、映像が使われていたものは沢山ある。
特に感動したものを挙げれば、ねずみの三銃士の「万獣こわい」の大規模なプロジェクションマッピングによる巧みな場面転換や、富士山アネットの「醜い男」の、カメラで写した映像をリアルタイムに投影する演出があった。
他にも、アマチュア劇団や大学演劇でも様々な形で演劇に映像は組み込まれ、実験が行われている。
(中には、それ本当に映像必要か?というものも、もちろんある。が、それはその他の演出全てにも言えることで、特別に演劇の中の映像に対する偏見があるわけではない)
というわけで、「とんじる祭」だ。
映像を使ったことがなく、そのノウハウが僕にはない。
ちなみに、条件としては映像さえ使えば他は何をしてもいいということ。
この自由さもまた厄介だ。
ボツ案。
映像の中の映像、という構造で初めは考えていた。例えば、舞台上のスクリーンにはニュース映像が映り、その映像の映像の中で、男が何かを叫んでいる。ニュースキャスターにその声は届かない。ニュースが終わり、二人のキャスターが画面から消えると、奥の画面の中に二人が現れ、叫ぶ男を連れて行く、みたいな。
ただ、この手の作品は正直難しいと思った。機材がハンディカメラしかないので、ちゃっちくなるのが怖い。それなら、ハンディカメラで撮影しているというのが前提、それを利用した作品がいいのではないかと思った。
映画で言えば、クローバー・フィールドやクロニクル、パラノーマル・アクティビティのような。
とか色々考えながらアイデア帳をめくっていたら、以前舞台でやろうとしていたとある構造が、映像と舞台の組み合わせにマッチしているのではないかと思いついた。これは近所のJRの駅で、電話を耳に当て、メモ帳を見ながら何かを叫んでいる中年の男を見てメモしたものだ。彼は明らかに誰とも通話をしておらず、周りの人は、ちょっとぎょっとしながらも、通り過ぎて行く。それを僕が見ている……
タイトルは「公園にて」
それ以上でもそれ以下でもない、ほんの15分ほどの作品になる。台本も特にない。今回出演してくれる劇団「M」の二人がとても良くて、初めの稽古で正直文句無しだった。あとはキーとなる映像の撮影のみ。
どうなることやら。
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