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2015年、最後の出会い、今後の演劇

2015年は演劇やそれ以外でも、沢山の人に会い、会話をして、僕はその影響を受けてきた。

まず昨年の演劇活動を振り返る。

3月の旗揚げ公演「陰湿クラブ」
テーマは「集団化と破滅」
集団化という言葉を初めて知ったのは安部公房のエッセイ「死に急ぐ鯨たち」
儀式や、現代ならばテレビで起こる集団化。個体の行動にルールができ、多様性は失われ、正解と間違いが確立され、滅亡に向かっていく。影響を受けた小説は同著「方舟さくら丸」や伊藤計劃の「ハーモニー」、熊本で観た舞台「義務ナジウム」
演出にはシュールな動きや場転を取り入れ、安部公房の演劇も意識して作った。
また、今生きる「現代」を意識して、テレビではなく、SNSによる、以前より簡単に起こっている集団化を取り入れた。

この旗揚げに際して多くの先輩方や福岡の小劇場演劇人に評価をもらえ、その後の演劇活動に影響を与えることになったと思う。
再演するなら、構造はそのままで、セリフで語り過ぎないようにしたい。

5月倉庫公演「アイ・ドン・ノー・ホェア・アイ・アム」
テーマは「モラトリアム」
構造として、「家庭を持ち幸せを見失い過去に帰り未来への妄想をし直す中年男性になった自分を想像する僕」というややこしいもので、これはほとんど表に出すことはなく、父親としての自らの苦悩をビデオゲームを通して客観しする過去の自分を主人公にした。
演出としては、倉庫という特異性の高い空間における美術を意識した装置と照明に気を使った。
かなり内に籠った脚本で、伝わらない箇所が多かったように思う。
これは長編にして、もっと、上の構造を反映させるような仕掛けを施して再演したい。

8月の一人芝居「通話する男、森を忘れるな」
テーマは「メメント・モリ」
自分の名前とともに死を忘れてしまった男(森)が何を失いどこへ辿り着くのかという問題提起。
「死の舞踏」に代表されるこのテーマに取り組むに当たって、メメント・モリに関する映画(「メメント」)や藤原新也の写真集、その他の作品に触れたり、若年性のアルツハイマーや痴呆症についてのエッセイや、出演した白居がしていた介護の現場での経験を聞いたりした。
演出では、アナログ→デジタル信号化(これも安部公房の提唱するもの、感情の言語化)をしたくて、壊れていく主人公の内面を紙や付箋を使って表現しようとした。

一度しか上演しなかったので、是非とも再演したい。

そして9月のCTT北九州での上演作品「pump」
テーマは「演技」と「人の一生」
人間の生活において演劇がどのように使われているのかを考察し、演技の教科書になるようなものが作れないかと思い、30分の芝居を、5日間の稽古でワークショップ形式で役者とともに考えながら作った。これは正直脚本の構成が甘く、飛躍し過ぎた箇所が多かったのでまた書き直したいのだが、実は既に他の脚本家の手で新しく書き直されて、再演が決まっている。(以前ノートで書いたかな)

これらの活動の中で今作りたいものは、「俳優がそこにいる意味」を問うもの。俳優の仕事は「代弁」だと、今考えている。2月の本公演でこれに向き合い、演出にも取り入れながら新しい、まだ誰も見つけていないものを見つけたい。

昨日は大晦日で、初めて美容室で髪を切った。
僕は中学の頃からずっと自分で髪を切ってきて、それがある意味自己表現になっていたこともあって、美容師に髪を切ってもらうことに抵抗があった。
昨日担当してくれた美容師の人と就活の話になって、その人は元々は専門学校に行きながらも、美容師にはなりたくなかったらしい。
「手が荒れたらやめる」と嫌々続けていたら、結局手が荒れることはなく、なんだかんだ勉強していくうちに技術もあがって、何より人と話すという仕事が楽しくて、今では20年以上続けて店も持つ、天職になっているという。

僕は来年から大学院にいく予定だった。
が、やめた。ほんの一週間前に。
美容室に行ったのも就活をするためで、綺麗に切りそろえられた髪を見て、仕事をするってこういうことかと、実感した。

ずっと大学生を辞めたいとだけ思っていたが、今は前向きに、社会で生きる自分の姿を想像している。

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