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一日目は大願寺での薬草料理のランチの後、宇陀市だけでなく奈良県全体で力を入れている大和当帰の畑に行き、当帰葉の摘み取り体験、当帰葉のアロマ水のロウリュウや熱波師さんがタオルでロウリュウの蒸気を送るアウフグースは初体験。

大人のリラックスのしかたを一つ知りました。

そもそもテントでサウナが体験するのもお初。

そして2日目は日本最古の薬草園「森野旧薬園」と現アステラス製薬創業者の生家「薬の館」資料館の見学でした。

今日はそのうち、大和当帰、森野旧薬園、薬の館をレポートします。

大和当帰葉の効果とその利用

当帰は根を乾燥させてたものが生薬となり、主に血の道症と言われる婦人科系の薬として、当帰芍薬散などに使われて来ました。

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宇陀では、17世紀頃から大和地方に自生していたものを栽培し、江戸時代になると多くの薬問屋がこの地にたくさんでき、根はそこへ卸していたのです。

それまで当帰の根は生薬として使われて来たもののそれ以外の葉や茎は利用されず廃棄されていたそうなのです。もったいなかったですね。

平成24年に葉の部分が「非医」扱いとなり薬品から除外されたため、ハーブや野菜の一つとして、天ぷら、刻んで餃子、お茶、甘味噌と合えたものなどとして生葉だけでなく、その加工品として県を挙げて商品開発を進めています。

セリ科独特の香りは、好き嫌いがあるかもしれませんが、乾燥葉をお茶にした当帰葉茶、お風呂に入れる当帰葉湯は寒い日にお勧めの使い方です。

軸が赤いのが当帰でこの赤い部分に効果のある成分が多く含まれるそうです。

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大きく育った葉は硬いのでなるべく軸が赤く柔らかそうなところをハサミで刈り取らせていただき、一人一袋持ち帰り。

葉物は、刈り取るとしんなりしてしまいますが、当帰葉はファスナー付のビニル袋に入れて冷蔵庫でかなり長く保存できるので、天気の良い日に干して乾燥させ、ミルで細かく引けば塩と混ぜて当帰葉塩、味噌と混ぜて当帰葉味噌としても使えます。

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栽培と収穫にとても苦労の多い当帰。根を太く成長させるには何年もかかるそうです。根は手に入らなくてもせめて葉が普通のスーパーでも買えるようになると嬉しいです。

薬草に興味が無くても楽しめる森野旧薬園

森野旧薬園は代々この地で葛粉の製造をしていた森野家の第11代当主が屋敷内に薬草木を栽培し研究していたところ、これが江戸幕府に知れ渡り、近畿一円の薬草を採取して幕府に献上したことが始まりです。

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八代将軍吉宗が国内産の漢方薬を普及させるという国策に貢献して、中国から渡った薬草の苗を東京の小石川植物園(小石川御薬園)に分けることもしていたようです。

現在は250種類の薬草木を、原野さんとおっしゃる今年90歳になられる方がご夫妻で管理されと言うのでまた驚きです。

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葛根湯の方剤、エキス剤との違いなどを分かりやすく丁寧に説明してくださいました。

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手に持っていらっしゃるのが当帰の根です。

秋のこの時期は、あまり花は咲いていませんでしたがサフランの花や直ぐ鳥に食べられてしまうと言うのに、一粒だけ残っていたクコの実を見ることができました。

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個人的には、ハマナスの可愛らしいつぼみやノカンゾウ(金針菜)の花、カタクリの花も見たいので、また季節が合う時に再訪するつもりです。

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ハイキングコースかと思うような自然の地形を利用した江戸時代からの薬草園なので、薬草好きな人でなくても楽しめます。

宇陀は葛粉の産地としても有名

森野旧薬園の森野氏は吉野葛の生産もされているので、その製造過程の見学もできます。

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葛は専門の方が山に入り採取された根から作るので、たくさんは作れないのです。専門の方はその幹や葉を見るだけで、その葛の根が肥えているかどうかも分かるのだとか。

市販されている葛粉は裏を見ると「馬鈴薯でんぷん」が混ざっているものがあります。

葛粉はお値段も安くはないですが、薬膳では、寒さで背中や肩甲骨周りのこわばりに葛粉とシナモンパウダーを入れたくず湯。

背中がぞくぞくする「かかったかも?」という風邪の初期の喉の痛みに葛粉とおろしショウガを入れたくず湯。

葛粉の効果とジャガイモの効果は同じでんぷんでも違うので、くず湯を作るためには吉野本葛がおすすめです。

歴史文化館「薬の館」

薬問屋であった細川家の住宅を資料館として公開している「薬の館」

おくどさんが5つもある台所はそう多くはありません。

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それだけ多くの従業員を雇っていたことがわかります。

細川家の二代目の娘の長男が藤澤家の養子となり、「藤澤樟脳」を開発。
樟脳はクスノキの成分から作られます。

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クスノキに虫がつかないのはその香り成分「カンファ―」によるもの。

気絶した人にカンフル剤と言いますが、これはカンファ―が強心剤として使われていたためです。その名残として何かの計画がダメになりそうな時にも「カンフル剤」として・・・などの表現をするのです。

若い人は知らないかもしれないですが・・・(笑)

座敷の展示には、商売の帳簿や看板などの他、大きな壺。

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この中にはみかんの皮の干したもの(陳皮)が保存されていたそうです。

台所の5つのかまどと共に銅板の破風付きの立派な看板が、江戸時代末期の宇陀松山地区の薬問屋がどれほどの財力を持っていたのかをうかがわせます。

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藤沢製薬は第二次世界大戦前には世界に工場を持っていたそうですが、戦争ですべてを失ったものの現在はアステラス製薬としてさらに発展されています。

最後に、なぜ宇陀が薬の町として栄えたのか

宇陀の周りの地下には辰砂(しんしゃ)と言われる水銀の原料になる地盤があります。

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古代の中国では水銀は不老不死の薬とされていて、超自然的な思想である神仙思想がありました。

これが日本に渡りこの地の辰砂が注目されたそうです。
ただ、水銀は猛毒なため直接摂ることができません。なので、水銀が採れる場所の水、鳥獣の肉、野菜などを摂ることで間接的に水銀が摂れると考えられたことから、宇陀には聖なる力があると考えられたのです。

そして、その地で作られた薬草木が特に価値のあるものになったということです。

広報うだ令和元年7月号より

2日間の研修ツアーを通して、日本の薬の歴史と、薬の原料植物を作り販売して来た人々の思いに少し触れられたことは健康作りのための食をお伝えしている者としてとても熱くなるツアーでした。

今回見ることのできなかった薬草は時期の良いときにまた見に行こうと思います。

2日間レポートにお付き合いくださいましてありがとうございました。

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