四字熟話【一番出世】(いちばんしゅっせ)

★ 大相撲の初土俵で勝ち星をあげ中八日目に、序の口に上がることを土俵上で披露される新弟子をさす。
 
 
満子はとうとう面接を受けることに決めた。それは旦那が地卵販売の営業をクビになり、生活が立ちいかなくなったためもあったが、これを機会に狭いゲージのような家から羽ばたこうと考えたからだった。
 最近の自然食品ブームというかもはや宗教ともいえる有機食品信仰。鶏が地鶏なら卵も当然のように地卵を消費者は求め始めて久しい。ビタミンを付加したり、黄身が黄金色だったり、皿に玉子を割って乗せた時に黄身を囲む白身が不自然にも盛り上がったり、黄身を箸で挟んで持ち上げても壊れなかったりと、たかがニワトリが産むこの卵に求められる付加価値の内容は毎年高まっていく。当然卵を生産する側も相当な努力を強いられ、コストもかかり体力の無い養鶏会社はバタバタと倒れていった。旦那の勤めていた赤玉鶏卵株式会社も事情は同じであった。
旦那は10数年前に途中入社したとはいえ、持ち前の卵好きが高じて、営業成績もあがり出世も早かった。5~6人いた営業マンの中では新参者だったのにあっという間にトップセールスマンとなり、一番出世などと同僚の間でも言われていた。
「♪コココココケッコ♪私は町の玉子売り♪」
この古い歌を鼻歌にのせながら、旦那は毎朝仕事に出かけるのが常だった。そして朝ご飯は毎日決まって卵かけご飯だった。ズルズルとすすりながらニタニタする癖があった。リストラ辞令の出たその朝も同じようにニタニタしたり、歌ったりして出勤していった。そしていまは休職中にもかかわらず、TVを観ながらニタニタしながら家でごろごろして、別の鼻歌を歌っている。
 満子は名前の通り豊満を通り超していっぱしの褌かつぎのような体型になっていた。身長も女性にしては大柄の168センチ。これでも結婚した10数年目はスラットしたモデル体型だったのだが、数年前の旦那の浮気が原因で過食に走り、気が付けばこんな体型になっていたのだ。
 満子はくわしくは知らないが、いや知ろうとしなかったが、確か浮気相手は水商売の女だった。いまでは別段旦那に恨みが有るわけでは無いが、かと言って水に流したわけでも無い。ただそれ以来旦那に依存することを止めただけだった。
旦那の失業は確かにきっかけになったのかもしれないが、とにかく新しい自分を求めるため、新聞折り込みの求人ニュースにあった、駅前の特殊なパブの面接を受けることにしたのだ。それは豊満熟女パブだった。このところ盛り場で人気の飲み屋で、これまでハンディと思われていた女性の容姿を真逆にも全面に打ち出したスゴイところである。
「体重はいくつですか?」
 満子は鶏ガラみたいに痩せてひょろっとしている黒の蝶ネクタイのマネージャーの面接を受けている。
「え~87キロです…」
躊躇しながら決して公の場所で披露することの無かった自分の体重を蚊の鳴くような声で告げた。
「あ~ちょっと痩せてるけどいいでしょ」
即採用である。以前スナックで働いていた経験が決め手となったようである。
「じゃあ今日からどうですか?」
「こんな私服なので着替えとかが…」
買い物帰りでお世辞にもエレガントとはいえない洗いざらしのトレーナーとデニムのパンツ姿に満子は気後れした。
「大丈夫ですよ、うちは私服の熟女さんばかりなんで、近所の奥さんと飲んでるみたいな気安さが売りだから」
 そういわれて満子は断るすべを失い、そのまま開店する時間まで、店内で待つこととなった。
しばらくすると巨漢を揺らしながらお勤めの彼女たちがドスンドスンと入店してきた。
みんな満子をちら見しながら息を切らし、店内奥の事務所に消えていく。しばらくすると金属のゴミ箱かなにかを蹴り上げでもしたかのような「ガチャン!」といった音が、ある一定の間隔をもって聞こえてきた。まもなくそれがタイムカードを押す音だと解ったときには、ここが職場という名の戦場であることを改めて認識したのだった。
うつむき加減にシートに躰を沈め満子が待っていると、気が付けば周りを暑苦しい肉体が取り囲んでいた。満子は急に室温が上がったような気がした。
「え~今日から皆さんと一緒にお店で働いてくれます満子さんで~す」
ニワトリが鳴いたような甲高い声でマネージャーがみんなに告げた。満子は反射的にぺこりとみんなに頭をさげる。
「えっ~とくれぐれもハウスボトルは飲まないでください。体質に合わない人もいるかもしれませんから、それから今日からビール祭りですから、お客さんにはなるべくビールを勧めてください。もちろん自分からも積極的に飲んでもいいですから。以上です」
 いつのまにか営業前の朝礼に参加していた満子は思わず緊張した。
 店内のあまりの非日常性の様に、きょろきょろ落ち着かないそんな満子の元に、年期の入った貫禄肉感熟女が近づいてきた。
「よろしくね。あなたどこかで見たことあるわね。地元の人?」
「隣町です。よくこっちの商店街にはくるんですけど」
「あっ! 解った! ハァハァハァハァハァ……ごめんなさいつい」
 満子はさっそくの新人いじめの洗礼にあっているのかといっきに不快な気分になっていった。そんな満子を尻目に貫禄肉感熟女は屈託が無い。
「あなた旦那いるでしょ? 卵屋さんの」
「いまは辞めてますけど…」
「私あなたの旦那とむかし浮気してたよぶっちゃけ言うけど、もういいでしょ昔のことだから…」
 どこまでも無遠慮なデリカシーの無い女だと満子は思った。しかし不思議なことに悔しさや腹立ちはなかった。むしろ申し訳ないような気分になってしまったのだった。
「大丈夫です昔のことですから」
今度は満子が屈託無く応えた。
「貴方っていい人ね、これから上手くやっていけそうね」
そのうち、豊満好きな客が口角を上げながらぞくぞくとやって来てあっという間に店内は満席となった。
 やがて2~3日もすると満子にも指名客が早くも付き始めていた。満子の持ちネタは卵ネタである。地鶏のことや地卵の話を面白おかしく話すのだが、それがけっこう客に受けていた。そして気が付けば1週間が過ぎていた。ほぼ毎日シフトに入った満子はいつのまにか玉子ちゃんと呼ばれるようになり、あっという間に指名ナンバー1の売れっ子になっていたのだった。
 そして、8日目の朝礼の時、店長賞2万円をもらったのだった。のし袋にはなぜか「一番出世! おめでとう!」と書かれていた。
 
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?