四字熟話【破鏡不照】(はきょうふしょう)

割れた鏡が元に戻らないように一度別れた夫婦は元には戻らないという意味。「破鏡」の意味は夫婦が離縁すること。
 
 
 いつどこで生まれて、そしてどこからどう貰われてこのいまの久美に飼われるようになったのかなんか俺は知らないし興味も無い。少なくとも俺が久美と結婚した3年前にはすでに飼われていた。ただ名付けられた(熟~ジュク~)という名前のいわれだけは久美から聞いて知っている。
 ちょうど年齢が人間でいうところの熟女の年代だからということと、いつまでもそんな艶やかな雌猫でいてほしい。というか名付けた久美自身の自戒も込められていた。
 そんなことより、いまジュクにとって大切なことはウチのアパートのベランダにいる野良の雄猫がどんなアプローチをしてくるのかということだ。いくらサカリのついた猫といっても、彼女は簡単には上には乗せない。
 プライドが高い彼女は、特にデリカシーの無い下品な野良猫の雄に対してはことの他厳しい。そうしないとろくでもない猫がまたこの地球上に誕生することになるからと、彼女なりに地球の未来を思ってのことだ。そうに決まっている。
 そしてきっとこんな風に思っているはずだ。
「それにしてもこの男の泣き方が気にくわないわね。ガツガツしてて。こういう獣みたいな猫は嫌いだね。悪いけど、第一印象っても猫にだって重要なんだよ」
 なんて自分もかつては無宿猫だった過去を棚に上げて、しかもその棚に上げたのをしばらくほったらがしにして、埃を被ってるくせにである。雌猫なんて所詮自己チューなんだ。そんなことよりそろそろ、熟ニャンの本領発揮ともいえるサカリ男への撃退口撃が始まるぞ。おっ始まった!
「ニャオ~ゲラアウエィ~ボぉ~ケェ~アホカズ~ドコガ~イキサラセ~ニャオ」
 訳すとこんなことを発しているはずだ。
「おいっあんた! ゲラッアウェイ! ボケ!あほカス! どこか行きさらせ!」
 どっちが下品なのか解らなくなるけど、とにかくこれで一撃。ほら、静かになった。サカリのついた猫はどこかに去って行った。
 しばらくしてなにごともな無かったみたいにウチのジュクはベランダから部屋に戻ってきた。この何事も無かったみたいにというのが、俺に言わせれば女性共通の素養というか、それは久美にもある共通の怖さだ。
 「ジュク、さっきのはダメダメな男っぽかったね、あんなのにかまってたら人生の貴重な時間を無駄にするからな」
 俺は一応猫なで声で彼女に声をかけると、目がどこか警戒しているというか、明らかに久美を目の前にする時とは違う。
 そういう時はいつも俺は少し不快な気分になる。そしてその不快加減を感じて、このジュクはその目をさらに冷たくしてくるのだ。きっとこう思っているはずだ。
「この男はさっきのサカリのついたダメダメ雄猫と基本的には同じね。久美さんはなんでこんな男と夫婦なのか解らないわ。私ならとっくに別れてるのに」
「おおきなお世話だ」
「世話なんか焼いてないわよ」
 ああ言えばこう言うである。さすがに喧嘩にはならないが、猫と夫婦漫才でもしている気分になる。
「誰がいつも餌の用意をしてあげてると思ってるんだよ。猫缶だって遠くのディスカウントショップまで行って探して買って来てるのに、感謝しろ」
「やかましいはこの泥亀!」
「なに~こら!」
 気がつけば大声を上げ、頭の中が真っ白になる。いつもそうだ。そしてはっと我に返ると後悔の念が、厚手の毛布となって頭を覆っているのが常なのだ。へこむとか落ち込むとかそんな気分かもしれない。あの時もそうだった。ただあのときほど久美を憎く思ったことはなかった。
 なんでこんな女と一緒に生活しているのかって思った。気がつけば殴っていた。結果、久美はジュクと猫缶1週間分だけを置いて出て行ってしまった。それもいまとなっては仕方がないと思っている。俺のせいなんだから。
 でも不思議なもので、いなくなるとなるで、こんなに久美の事を愛していたのかと思い知る。こんなに好きなのにってやるせない思いが胸を締め付ける。頭がおかしくなりそうだ。いやもう既におかしくなっているのかもしれない。
 でも久美の心はもうこの部屋には存在しない。それならそれでいい。だってかろうじて肉体だけはしっかり冷蔵庫にキープしてあるんだから。あと一週間ぐらいはもつだろう。そのときに改めて今後のことはジュクと相談しようと思っている。
 

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