拳を握る。Twitterをやめる。

行動分析学を使ってTwitterをやめた話。

はじめに

「おうち帰りたい」
無意識に口をついて出た。
在宅勤務。
画面を見る時間が増えた。
目を休めなくては。
5分だけ休憩しよう。

背もたれに深く体重を預け目を閉じる。
神経が高ぶっている。
すぐに身体を起こす。
手は無意識にスマートフォンを起動し、Twitterを開いた。
目を休めなくてはいけないのに。

Twitterではマックの女子高生が真理を語り、
フランス人の友人は日本の司法を嘆いていた。
人々は正義の粗探しに勤しみ、見当違いの方向に拳を振り上げる。
そうしてワニは二度死んだ。
唯一の癒やしであるモルモットの瞳に映るのはしかし、愚かで醜い人間達である。

高ぶった神経は一向に休まらず、
押し寄せるTweetによって、さらにすり減っていく。

スマートフォンを見つめながら僕は左の拳を固く握りしめていた。
しかし、この拳は決してFF外から失礼してくる有象無象を蹴散らすための不毛なものではない。
Twitterを見るという悪癖を打ち破るための、崇高なる拳である。

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Twitterをやめたいと思った。
理由は言うまでもなく、Twitterをしている時間は無駄だからである。
やめたいと思ったのは今回が初めてではない。
これまで何度もやめようとしてきたが、一度も成功したことはなかった。

でも、今回は違っていた。
今回の僕は行動分析学という学問があることを知っていた。
どこで知ったのかはあまり覚えていないが、たぶんTwitterかどっかで見たのだろう。

行動分析学を学び、応用することで僕はTwitterをやめることに成功した。

この記事では僕がTwitterをやめた方法と、ついでに行動分析学はすごいぞってところをお伝えできたらと思う。

Twitterをやめる方法

Twitterをやめようと思い立ったとき、僕は行動分析学についてそんなに詳しくはなかった。
しかし、これを学べばTwitterをやめられるという確信があった。
謎の天啓に背中を押された僕は、Twitterをやめるのはひとまず後回しにして、行動分析学を学ぶことにした。
// 今考えてもあれは確かに天啓であった。決して先延ばしではなかった。

行動分析学を勉強するために僕はまず「行動分析学入門」という教科書を2ヶ月、40時間ほどかけて読破した。
もちろん、合間合間にはしっかりTwitterをした。
教科書に記されていた行動分析学のエッセンスを余すところ無く吸収した後、
さらに数日間、教科書ノートに首っ引きでTwitterをやめるのに最も良さそうな方法を考えた。
もちろん、Twitterをするという行動を分析するために休憩を兼ねたTwitterは欠かさなかった。

考えた結果、
「Twitterを開いているときはどちらかの拳を力いっぱい握る」
という方法にたどり着いた。

冒頭で僕が握りしめていた崇高なる拳は、これである。

この簡単な方法でTwitterをやめられる理由は長くなるので詳しく書かないが、
簡単に言うと、拳を力いっぱい握るのは面倒だからTwitterみるのも面倒になるやろってことである。

さて、
行動分析学を勉強して、Twitterをやめるための方法を考えたが、果たして本当に効くのか。
僕の2ヶ月と少しは、無駄ではなかったのか。
確かめるために、検証を行った。

検証してみた

前節で、Twitterをやめるために
「Twitterを開いているときはどちらかの拳を力いっぱい握る」
という方法を思いついた。
このような、"行動を修正するための手続きを行うこと"を、行動分析学では"介入する"という。

早速ガンガン介入してTwitterを綺麗さっぱりやめてやりたいところであるが、焦ってはいけない。
何も考えずに介入してしまっては、本当にこの方法でTwitterをやめられたのかが分からなくなってしまう。
別の要因でTwitterをやめられた可能性もあるのだ。
例えば、この方法を思いついたことで僕の意識に何らかの変化が生じて、実際に介入を行わずともTwitterをやめられる可能性もある。
あるいは、Twitterを見た時間を計測することで、Twitterを見る頻度が変わる可能性もある。(レコーディングダイエットは本当に効果があるらしい)

このような可能性は完全に除くことはできないが、それでもできる限り除くために検証方法を上手くデザインする必要がある。
今回は、ベースライン期間と介入期間に分けて検証を行うことにした。

ベースライン期間は介入を行わずに、ただTwitterを見ていた時間の計測だけをする。
介入期間では実際に介入を行い、計測も行う。
こうすることで、方法を思いついたことによる意識の変化や、計測による影響を除くことができる。
(これらの影響はベースライン期間にも出るはずなので、介入期間と比較することで介入の効果だけを検証できる。)

また、介入だけによる効果が知りたいのでそれ以外の事はなるべく普段と同じようにした。
例えば、Twitterをやめようと意識することもやめた。
今まで通り、Twitterを見たいときは自由に好きなだけ見た。
これはベースライン期間でも介入する期間でも同じである。
ただし介入期間のときは、Twitterを見ている間は拳を握った。


検証方法をまとめると以下のようになる。


・計測期間
    - ベースライン期間: 1週間
    - 介入期間: 1週間
・計測内容
    - Twitterを見ていた時間
・計測方法
    - Androidの設定からみられるアプリの計測するやつ
    - 正確さはちゃんと確認していないけど、だいたいあってるとおもう
・その他条件
    - 「Twitterを開いているときはどちらかの拳を力いっぱい握る」以外はなるべく普段と同じ生活をする


いざ実験開始である。


結果

計測結果は以下のようになった。

・ベースライン期
    - 1時間程度
・介入期間
    - 10分程度

介入することによってTwitterを見ている時間は1/6に減っている。
正直に白状すると、この記事を書いている間に介入期間の正確なデータを紛失してしまったので、介入期間のデータは記事執筆時の直近1週間のものを使った。
この記事は、検証を行ってから書き始めるのに1ヶ月、書き終えるのにもう1ヶ月くらいかかっているので、ベースライン期間のだいたい2ヶ月後のデータになってしまっている。
とはいえ、実際の介入期間もほぼ同様の結果であった(今回の結果よりすこし短いくらい)し、
2ヶ月後であってもリバウンドしていないというのは、むしろ褒められるべきポイントであるだろう。
修士論文を書いているときに同じことが起こらなくて本当に良かった。

ともかく、実験は成功で、僕の拳はTwitterという悪癖を打ち破るに足る力を持っていたと言えそうだ。


考察/感想

今回の「Twitterを開いているときはどちらかの拳を力いっぱい握る」という方法でTwitterをやめることができた。
実際には10分程度Twitterをしているので完全にやめられたわけではないが、これくらいなら健全な範囲だし、概ねやめられたと言って良いことにする。

ここで気になるのは、拳を握っていられるくらい強い意思の力があればTwitterやめられるのでは?という所だろう。

結論から言えば、きっとやめられないだろう。
拳をにぎるのにそこまで強い意思の力は必要ない。
なぜなら拳を握るというのは数秒程度ならそんなに辛くないからだ。
握る強さにもよるが、辛くなるのはだいたい10秒を超えてからである。

そして、Twitterというのは10秒も見ていると飽きるのである。
日に1時間も見ていた奴が何を言うかと思うかも知れないが、本当なのだ。
あなたがTwitterを見ているときの事を思い返してほしい。
Twitterを見ている間の殆どの時間は、面白いTweetを探している時間である。
Twitterがおもしろいのは、大量の面白くもなんともないTweetの中から、一握りの光るTweetを見つけたときだけなのである。
拳を握るのが辛くなってくる10秒でおもしろTweetをどれだけ見つけられるかと言うと、これがあんまり見つけられない。

こうなると、拳を握ってまで見るほどのものでもないなぁとなってTwitterを閉じることができる。

重要な点は、Twitterを見ること自体は制限していないという所であったように思う。
拳を握りながらTwitterを見ることで、Twitterが自分にとってそこまで重要なものではないと気付けるのだ。
だから、この方法でTwitterをやめられる。

この節に書いたことは全て僕の感想であるので、正しいかどうかはわからないが、
他の人もこの方法を試したら似たような感想を抱くのではないかと思う。

おわりに

はじめにで、行動分析学はすごいぞってところをお伝えしたいと書いたが、
この記事ではあんまり伝えられなかったかもしれない。
「Twitterを開いているときはどちらかの拳を力いっぱい握る」
という方法は、行動分析学の原理に則って考えたものである。
この方法を考える過程や、行動分析学の原理がどのようなものなのかについても詳しく書きたかったが、分量が多くなるので今回は諦めることにした。
そのあたりは次回の記事で書こうと思う。

行動分析学の原理について詳しくなれば、Twitterをやめるだけでなくあらゆる行動の制御に応用することができる。
気になる方はぜひ次の記事も読んでいただきたい。

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「おうち帰りたい」
無意識に口をついて出た。
在宅勤務。
画面を見る時間は一向に減らない。
目を休めなくては。
休憩を取ろう。

背もたれに深く体重を預け目を閉じる。
神経が高ぶっている。
聞こえてくる音に耳を澄ます。
どこかで誰かが会話しているのをぼんやりと、聞くともなしにきいている。

もう無意識にTwitterを開くことはない。
休憩時間にはゆっくりと、目を休めることができる。
硬い拳は、もう必要ない。

なぜなら時代はclubhouseだからである。


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