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#山尾三省の詩を歩く 第14回

   

五月の風が 耳元で
やさしく語る

ぼくはね
かつて生まれたこともない存在だから
死ぬこともない

ただ 今を 吹いているだけ
どこからか 吹いてきて
どこかへ 吹いていく

不生という むつかしい事柄が ぼくの本性
不滅という あり得ない事柄が ぼくの本性

そよそよと さやさやと
そよそよと さやさやと

五月の風が 耳元で
やさしく語る その一瞬 一瞬の
とろけるような 幸せです

『五月の風』(野草社)

 三省さんが亡くなる3カ月前に書いた最晩年の詩だ。
 前年の11月に末期がんの告知を受けてから、死というものと向き合って来た三省さんの辿り着いたひとつの境地を表していると思うが、理屈で読もうとすると難しくなってしまう。
 こういう詩は音楽を聴くように読めばいいのだと私は勝手に思っている。
耳元で5月の風がそよそよとさやさやと吹いている、そのやさしい風の感触を感じることができればいいのだと思う。
 1年の中で最もさわやかな5月の風をからだに受けるように読みたい…。
今年も5月が巡って来て、ここ数日空は晴れ渡り、気持ちの良い風が吹いている。
 3月から4月にかけて家の周りの藪にバライチゴの花が咲き、黄色いお尻のクロマルハナバチが何匹も蜜を求めて、かすかな羽音をたてながら、花から花へと飛び渡っていた。そして花は散り、5月に入ると、蜂が運んだ花粉が受粉して赤く甘い実がたくさんなった。
 雨の季節を予感させるアブラギリの大きな花毬のような花が咲き、ヤクシマコンテリギやクマノミズキの花も咲き出している。
 イシガケチョウやクロアゲハやツマベニチョウも舞っている。
 風はどこかで生まれどこかへ消えていく。
 私達も生まれ、必ず死んでいく。
 風に吹かれるこの一瞬、一瞬を生きて、そして死んでいくほかはない。
 それを不生不滅という逆説的な言葉で言っているのかもしれない。
 でもそんな解釈は置いておいて、今年のこの一瞬一瞬の風に吹かれよう。
とろけるような幸せがそこにある。

…………
山尾 春美(やまお はるみ)

1956年山形県生まれ。1979年神奈川県の特別支援学校に勤務。子ども達と10年間遊ぶ。1989年山尾三省と結婚、屋久島へ移住。雨の多さに驚きつつ、自然生活を営み、3人の子どもを育てる。2000年から2016年まで屋久島の特別支援学校訪問教育を担当、同時に「屋久の子文庫」を再開し、子ども達に選りすぐりの本を手渡すことに携わる。2001年の三省の死後、エッセイや短歌などに取り組む。三省との共著に『森の時間海の時間』『屋久島だより』(無明舎出版)がある。