字のきれいさと仕事の出来具合
3月末で退職された方がいる。私とは部署が違うのであまり接点はなかったのだが、それでもなかなかの評判が聞こえてくるほどで、それを踏まえるとこの仕事には向いてなかったのかな、というのが正直な感想だ。新型コロナの影響が続く状況で、また新しく仕事を探すのは大変だと思うが、向いていない仕事をやり続けるのは非生産的だとも思う。新たな職場でのご活躍をお祈りしたい。
その方がサインした書類を見たことがあるのだが、きっちりした字を書く人だった。基本的に字をしっかり書く人は仕事もできる、と思って生きてきたし、実際私の接した範囲では当てはまってきたと思う。今回は、その珍しい例外と遭遇したことになる。あくまで私が聞いた評判通りなら、ということになるが、とてもそんないい加減な仕事をする人の字には見えなかった。
翻って私は、子どもの頃からの悪筆。最低限自分さえ読めればいい、という考え方の持ち主なので、急いで書いた字はおそらく第三者が見てもさっぱり読めないだろう。一応小学校時代に書道を習った期間はあるのだが、その後の人生にはあまり効果が表れなかった。結果、一番困ったのは新卒で就職活動をしていた頃。今は履歴書もPCで作っているので楽になったが、当時ははまだ直筆が当然の時代。手間だったのはもちろん、字が汚いことで損している部分もあるのかな、と思いながら書くのは精神的にきつかった記憶が今でも残っている。
ただ、実際に仕事を始めてしまえば、そこまで困ることはなかったように思う。誰かに見せるときはそれなりに意識して書いたので、直接「読めない」というような苦情をもらったことはない。ただ、見せられた側の印象はよくなかったのかもしれないし、こいつには言っても無駄だと思われていたのかもしれない。自分としては、字の汚さほど仕事ができないわけではないが、特別仕事ができるわけでもない、くらいの自己評価なのだが、はたして賛同を得られるだろうか。
これは昔から世間一般に通用する考え方だと思うので、かなりの程度字のきれいさと仕事ができるかどうかは相関関係にあるのだろう。しかし、最終的には「人それぞれ」ということになるんだろうな。手書きの字には書いた人の何かが表れるのだろうが、そこに全てが含まれるほど人間は単純な存在ではない。さて、そんな新たな学びを得たのはいいのだが、一人抜けた分のメンバーの補充はあるのだろうか。引き続き同じ職場で働く私には、そちらも心配だ。
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