父の最期、薄情な息子

知人の父上が亡くなった、という連絡をもらって、久しぶりに自分の父が亡くなった時のことを思い出した。もう6年ほど前になるだろうか。長く吸っていた煙草の影響もあって、肺を悪くして亡くなった。

もう危ない、という夜。その日朝から付き添っていた母が一度家に戻りたい、ということだったので、仕事終わりにそのまま病院へ向かい、入れ違いで病室へ。人工呼吸器と点滴で命をつなぐ姿は、見る影もなく痩せ細ってしまっていた。もはやそばにいても何かしてあげられる状況ではなかったが、とりあえずベッドのそばの椅子に腰掛けた。

最後まで生きようともがいていたのか。それとも苦しみから解放されたいと願ったのか。気がつくと呼吸のテンポが空くようになってきた。「息しないと死んじゃうよ」冗談めかして呼びかけると、思い出したように空気を取り込む。そんなことをしばらく繰り返した。自分から言葉を発することはできないし、意識があるかどうかも怪しい。ただ、外部からの刺激でこの世に踏みとどまっているような気がした。

その時も、そして今でも、私は人が亡くなることにあまり悲しみを催すことがない。この世に生を受けた人間は、誰もが例外なくいずれこの世を去るのだから。あまりに若くして、とかいう状況なら違った感情が湧いてくるが、基本的に私は葬儀の席で取り乱すことはないと自分で思っている。そして、泣き崩れる親類や知人を見て、我ながら薄情な奴だなぁ、と葬儀の度に思っている。

ただ、その時も、そして今でも、最期に父が私に大切なことを教えてくれている気がしていた。人はどうやって死んでいくのかを。それまで治療の対象だった「生命」が、動きを止めたら処理される「物体」に変わる、という残酷で厳然たる事実を。そして、ついさっきまで二人いたはずの病室に、今は一人しかいなくなってしまったことを、人工呼吸器の沈黙が証明した。

あえて時間を取ってくれていたのだろう、しばらくして宿直の看護師さんが来てくれた。「息子さんに看取ってもらえて、きっと幸せですよ」本当だろうか。むしろ赤の他人なのに、その死に涙ぐんでくれた看護師さんにこそ感謝しているんじゃないだろうか。そんなことを思いながら家族へ連絡し、葬儀の段取りへ。お通夜、本葬と慌ただしい日々を過ごしても、最期の瞬間の感覚が消えることはなかった。

性格も嗜好も違う親子だったので、仲良く何かをした記憶はあまりない。でも、運動する楽しさを教えてくれたことと、死の瞬間を見せてくれたことは本当に感謝している。「それだけか」と言われそうな気もするが、こればっかりはしょうがない。あなたの息子は薄情な奴、なのだ。

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