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山本貴光
2020年2月25日 11:46
打ち合わせまで時間がある。そしてここは神保町。ならば行くしかない。と、東京堂書店に立ち寄る。数学書、物理学書、日本語文法書、アメリカの詩、平凡社ライブラリーの新刊3冊(ヴァージニア・ウルフ、ヴィクトル・ユーゴー、柳田國男)などを買ってカフェへ向かう。小さなサンドイッチとコーヒーをもらってテーブルにつく。さて、と頬杖をついたら、ガタリという。慌てて座り直すと、コーヒーに大きな波が立っている。
2020年2月22日 17:02
きみにしばらく会わない日が続くと、きみという人はかつて本当に実在したのだろうか、ひょっとしたら、私の記憶の中だけに、何かのきっかけで生じた影のようなものだったのではないか、という気がしてくる。ほら、フィリップ・K・ディックの小説とか『攻殻機動隊』なんかに、そういう記憶を改変された人の話が出てくるでしょう。ああいう感じというのかな。きみはたぶん反論するだろう。それならメールやメッセージでやり
2020年2月18日 23:54
書店であれこれ本を買って、電車のシートに座って読んでいたら、隣に小学生の男の子が座る。その前に立ったたぶんその子のお母さんが「どうしてあなたはいつもそうなの。もっとちゃんとできないの?」とお説教を続ける。叱られているのは隣の男の子なのだけれど、私もなんだかこう、お尻の下がもぞもぞするのはなぜなのか。
2020年2月7日 13:10
以前、寺田寅彦の論文を集中して読んでみたことがあった。その際、寅彦がしばしば、「この点についてはだれそれ君によって注意を向けられた」という意味のことを書いているのを目にして、これはなんだかいいなと思った。つまり、誰かと話すなかで、その人の言葉から示唆を得たという意味である。もう少しいえば、だれそれ君のおかげで自分はその問題についてこのように考えられた、という謝辞である。私たちは日頃、誰