Now playing
「今、どんな景色が見えますか?」
この問いの前に立ち、もしかしたらいま、言葉でしか掬えないものの輪郭を掠めたかもしれない、その気配を感じられたかもしれない。
写真を見なくても思いだせる景色があります。それは瞬間の連なり。目だけでは見なかったものたち。いつだったか「すべてこの星の出来事」と書きました。それを目の当たりにした時にいてもたってもいられなくなった時のこと。どうにかしてそれに触れたいと思った時、写真だって言葉だって万能じゃないかもしれない。
見てほしい景色があった。どうしたって写真で撮れなくて、でももし人類がテレパシーを使えるようになったとしても諦めきれないから、笑ってください。へらへらすんなよと怒られてしまうかもしれないね。そんなこんなで大まじめなんです。
健やかであることに越したことはないかもしれないけれど、生きていたらいろんなことがあるから。死にたい夜に、憂鬱な朝に、悲しいことがあったときに、うれしいことがあったときに、好きなひとのことを考えるときに、そんな生きる一瞬一瞬に寄り添う光にことばはなり得る。わたしはそれが書きたいです。
「Now playing」という詩を書きました。いま、見えているもの。この問いはきっとこれから何度だって出会い直すと思うから。
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