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生活の骸

 実はここ数ヶ月、過去に撮った写真を見ることができずにいた。振り返ってしまったら、そのどうしようもなさに囚われてしまう気がしてならなくて。そうでなくてもずるずるといろんなことを引きずって、あっちこっち右往左往。ようやくハードディスクを差し込んで過去の写真たちと再会を果たしたよ、5ヶ月ぶりに。

 それは小さな記憶を辿る旅。そこにはとても愛しくてやさしい時間が流れていた。もう忘れてしまいたいと願った時間と少しずつ冷たく固まっていった心を溶かしたのは、木漏れ日を探すように歩いた日々だった。くたびれた手提げに小さなノートと腕に巻きて持つカメラの重さ。ゆっくりと思い出すようにその日々の写真を見返した時、そこに光が溢れていたことに驚いた。わたしの記憶の中には冷たいひとりの部屋があったから。それでも何かをそこから掬いたくて光を採取していたのかもしれないと思った。今となってはうやむやになってしまったその時間に、わたしが栞を挟みたかったのは温かい時間の方だったのだと気づいた時、その地を歩けたこと、決して無意味だったなんて思わなくていいんだと実感できた。

 過去のフォルダの中には「ベランダ」というタイトルがいくつもある。今までの生活の中で最も愛したベランダライフである。今はその景色は見られないし、「ベランダ」というタイトルがつくこともない。防寒して月を室外機に座って眺めたり、暑い日にラムネを飲んだり。一度だけシャボン玉をしたこともあった。ベランダまで待ちきれずに部屋でひと吹きした時の写真が残っていて、心をふわふわのタオルケットで包まれたような心地がした。部屋の中で撮った写真というのは少ないけれど、これは生活の骸だ。もう繰り返されることのない生活だったもの。それでもこれがあればわたしは、この生活を愛していたのだと思い出すことができるのだ。

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