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あたらしい道を歩くための稽古

 昼間に、まだ歩いたことのない道で帰るあそびをした。薄い手提げ袋には、財布とノートと一冊の本。音のない商店街、立ち入り禁止の草むら、家に張り付いた枯れた蔦。皮膚が直に熱を受ける感触があって、空と地面を交互に見てたら、日焼け止め塗ってくるの忘れたことを思い出した。

 歩いていると、何かの条件反射のように思い出すことばかりある。歩きながら当時やたらと聴いていた音楽が流れると、そのとき自分を通してみた情景が立ち現れる。鳥と虫の声や、すれ違う車や人の音、香り、触れる熱や光からも繊細に思い出せる。少し薄暗くなった道にある街灯の場所、夕方になると突如現れる顔面虫激突スポット、半身が夜にどっぷり浸かって真っ暗な星がよく見える一本道。思い出せることは情景だけじゃなくて、夜中の帰り道で寄り道して、つい買っちゃうお菓子のこととか、汗だくになりながらスーパーまで歩いてベンチで友達と食べたカップアイスのこととか、明け方に点滅信号が点滅じゃなくなる瞬間を見に行ったこととか。

 引き受けられているのかな。もうそこにはいない自分を。埋まらなかったものを、ここからまなざそうとするように。空白が記憶で埋め尽くされたら立ち止まる。どうしたってわたしたちは歩いていかなければならない。捨てるのではなく、そこにいたことをちゃんと引き受けられるように。

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