ここもいつかの未来
すべてが毒になる日が怖くて仕方がない。
数ヶ月前の日記の最後にはそう記されていた。ずいぶんと気を病んでいた頃に綴っていた言葉たちを少し見返していた。反省でも後悔でもなく、そしてそれが美化されることもなく、ただそういう日々が確かにあったということをゆっくりと受け入れてきたんだと思う。ほんとうに何もないと思っていた。か細い声のような言葉たちは、悲しいとか寂しいというよりずっと自分に刃を向けていた。底のないどこまでも空っぽな器に、温かなものを分けてくれた人やものやそのすべて。
この身体の内側に愛が満ちているということ。こんなにも思い出したいことがある。じぶんの抱きしめ方、愛し方がわからない、そんなことを綴っていたわたしはいま、遠くのあなたの抱きしめ方を考えている。生きている分だけ、わたしはわたしを、あなたはあなたをやってきた。いつだったか「もう今日を辞めてもいい」と思っていたともだちは、電話口で「いろいろあるけどなんとか毎日やってるよ」と笑った。よくやっているよ、すごいことだよ、ほんとうはその時何よりもあなたの手を取りたかった。
意識したり、しなかったりしながら選択をしているわたしたちの、その結果がいまだとするなら。あの日の日記のわたしにとってここは未来だった。
「人は思うことで、人生の運命を自由に創造することができるんだ。」
とても好きな哲学者の言葉だ。生き方なんて言うけれど、誰かに認めてもらわなければならないものなんかではないと、気づけた時にようやく窮屈な場所から解放された。自分がある、というそのことを原点として、わたしはこれからもわたしをやってゆくよ。
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