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4ヵ月ぶりにパソコンを開いた。

最後に更新したのは鼻整形した後の韓国旅行記以来だから思えば5カ月ぶりになるnote。
なぜ更新ができなかったかというとぶっちゃけ生きるのにいっぱいいっぱい過ぎたのと、書くことに疲れてしまったのである。
大好きだったはずなのに、文章書くことが私のストレス発散でファンの方との交流にもなっていたのに、パソコンの前に座ってもなにも思い浮かばないのだ。書きたいことは沢山あるはずなのに、いざ机に向かうと脳みそがフリーズしてしまう。スランプかなんかだったんだろうか。役満ろ萬ってなんだったっけ、皆が求めてる文章って何なんだろうか、考えれば考えるほどよくわからなくて、机に向かうこともなくなった。今思えば考えすぎなのかもしれなかったと思うんだけど、当時は本気でそう思っちゃったのである。

そして、今客観的に自分を考察した結果、私は少々金の亡者になりすぎていたように思う。鬼出勤、出稼ぎを繰り返し貯金が減るのを極端に怖がるようになってしまった。お客さんともちゃんと向き合えず、金のことばかり考えていたと思う。「どうせすぐ瞬殺するし」とたかをくくって、楽しむことやお客さんを楽しませることもせず、ただ抜くだけの流れ作業になってしまっていた。慣れっていうのは恐ろしい、どうしても流れ作業になってしまう。本指名が少しづつ減りはじめ、現実に気づいた私はようやくここ数カ月の自分を悔い改めるようになった。
節約しながらちまちま貯金して少しづつ目標を達成し続けながら毎月過ごせていた私の毎日じゃ足りなくなり、もっともっと貯金を!と必死になりすぎてしまっていた。勿論、引っ越しやマイホームでお金が飛ぶからという理由もあったけど、それを加味してもやっぱり金の亡者すぎた。
働いてばかりで、遊びにもほぼ行かず、とにかく金を稼ぐことしか考えてなかったこの数か月。
楽しく働く、をモットーに働けていたはずが金のことばかり考えるようになると接客前お客さんに着くのさえ億劫になるようになった。
マグロの様に泳ぎ続けたこの5カ月、今ようやく立ち止まって自分としっかり向き合える余裕が出来た。もう少し肩の力抜いて、今まで通り楽しくソープランドでの仕事を丁寧にしっかり接客して、休みの日は家事を済ませてnoteを書く、という習慣を継続できるようにしたいと思っている。
目先のお金より、接客の質。
そしてずっと書き続けてきたこのnoteも大事に大事に書き続けていきたい。


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夢のマイホームに引っ越し、早1か月が経った。
母と住むうえで絶対何度か衝突はあるだろうなとは思っていたけど、引っ越しして1週間で義父と母と大喧嘩になり、「もうこの家売る」とまでなった。何度も言うが、引っ越して1週間で、だ。

生活リズムも違えば私は私なりのルーティーンがあり、それを崩されてしまうとどうしても発狂しそうになってしまう。
私も綺麗好きな方だが、母は母で綺麗好きのレベルの度を越した潔癖なので毎日毎日小姑の様にギャンギャン怒られるのに疲れ、家に帰るのが憂鬱になってしまった。
私は私なりに、休みの日は全部屋にモップと掃除機と仕上げにクイックルワイパーまでかけて、トイレや風呂の掃除もしっかりして何とか母の家事の負担を減らすように努力していたのに、それでもギャンギャン言われる。
どうしてこんなに毎日小言を言われなきゃいけないんだろう。
一番きつかったのが、仕事前にヒスを起こした母にギャーギャー言われること。今から労働しに行くというのに仕事前から嫌な気分で出勤するのが苦痛で苦痛で仕方なかった。

そして一緒に住んでから気づいたのが、犬が全くしつけをされてない状態だということ。久しぶりの動物だから可愛いと思うのはしょうがないが、完全に犬が人間を見下しており、吠えれば要求が通ると思っていて、気に食わなかったら粗相をする。そして無駄吠えと無駄噛み、しかもガチで噛んでくるので本気の痛いやつ。週に一回くらいしか会ってなかったから知らなかったけど、一緒に住んでからようやく気付いてしまったのである。

猫達も一階に入りたいのに犬が思いっきり吠えるせいで、一階に入ることが出来ない。せっかく弟が一生懸命建てた奮発して買った大きなキャットタワーも今やオブジェでしかない。猫が自由に行き来できるようにと一軒家を選んだのに、猫は二階で生活するしかなく、「こいつのせいで猫が自由に行き来できない」と私は犬が可愛いと思えなくなってしまった。これが理由で喧嘩に発展したのである。猫たちに窮屈な思いさせるなら、ローン払いたくない。と言ったのがきっかけだった。猫なんか飼ってたら毛だらけになるのは当たり前なのに、両親たちは自室に猫を入れるのは嫌だという。実家で猫を飼ってた時はそんなこと言わなかったのに、うちの猫だけそんな不当な扱いを受けるのが許せなかったのである。
それを主張したらなんか知らんけど話がこじれにこじれ、論点がずれていき義父も母も感情論をぶつけてくるので私は黒い感情がふつふつと湧いてしまい初めて義父に「お前らのせいで子供の人生壊しといて偉そうな事言うな!黙れ!」と怒鳴ってしまった。
義父とは喧嘩もしたことなければ、良好な関係だったし、前に同居した時だって喧嘩したことすらなかったというのに。

そして母も義父も犬に甘い。悪いことしても「もう~だめでしょう~」と言うだけ。猫じゃねえんだから、犬は主従関係が大事だといっても、今の時代は褒めて伸ばすんだと引かないバカ親ぶりに私は危機感を感じ、しっかり調べたうえでドックスクールを見つけたので「私が払うからちゃんとしつけしてもらって、家でもしっかりやろう」と提案した時も「虐待されたらどうするんだ」だの「知らない人に預けるのは怖いだの」と言う過保護ぶり。
だから体験があるんだろうがーーーーーーー!!カウンセリングの時間もあるんだろうがーーーーーーーーー!!説明しただろうがーーーーーーー!!
となって頭を抱えていた時、弟が「虐待してたらそもそも営業してないし口コミで潰れるわ。しつけできてないこの状況のがよっぽど虐待だと思うけど」と言ってくれたおかげでドックスクールに通うことは渋々了承してもらった。問題行動はすでにトレーナーさんに報告済みなので、あとは家での態度を改めるためにトレーナーさんに両親がしごかれて改心することを願っている。


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私はアスペルガーである。ついでにADHDも併発している。
弟と住んでいるときは弟が「姉はこういう奴」と理解してくれてたのだが
母はアスペルガーを知ってるようで知らなかった。だって精神の病気だと思ってたくらいだから。(脳みその障害だっつーの)
だから注意すれば治る、努力すれば治る、という思考でいて、私にギャンギャン怒っていた。しっかりして欲しい、ちゃんとした大人の女性になって欲しいという理由で怒ってるんだろうというのはわかっていても、私にはそれが出来ないのである。
そんなんでどうにかなるならアスペルガーじゃないし、ただの怠け者である。努力でどうにもならない脳の障害だから、どうにもならないのだ。でも出来ることはやるようにしていたし、やれることはやってるのに母の小言は止まらない。
だから私はLINEで母にもわかりやすいように病気の説明とアスペルガーの特性を伝えることにした。
「何回言わせたら出来るのよ!」と子供の頃から言われ続けていたが、言われたからって出来るわけないのだ、だって他人の意見なんて興味なくて、覚えてもいられないんだから。それに私は母ほど潔癖じゃないから気にもならない。

だから何度も同じ事言わせて申し訳ないけど、ギャンギャン言われると頭パンクして余計わからなくなるし、「怒られるとふてくされた顔して!何とか言ったらどうなの!」と言われてもギャーギャー言われてしまうと「かんもく」と言う症状が出て、喋りたいのに何も言葉を発生できなくなってしまうからマルチタスクで伝えて欲しい、そして努力で変わることはできないから、何かしてほしい時は怒らず、言わなくてもわかるでしょは私は察知できないので「こうしてくれると助かる」「ここはしっかりこうしてね」と伝えて欲しいとお願いをした。

きっとめちゃくちゃめんどくさいだろう。イライラもするだろう。私だって自分で自分の病気が嫌になる時があるのに、そんな娘と過ごすのは大変だと思う。
でも母は、私を何もわからない子供だと思うようにしてくれて何度も何度も同じことい言わせやがってと思いつつも、一個一個怒らずマルチタスクのように伝えてくれるようになった。
また、忙しくてルーティーンが崩れるとポンコツになるので、そういう時は「今こう言う状況で、脳みそが疲れててミスが多いからちょっと調子悪い」と事前にラインで伝えることで理解してもらっている。

必要事項は直接話すと経験上喧嘩になってしまうので
理由をしっかり説明して、こうしてください、とお願いすることで母との衝突は減った。引っ越して一か月、我が家は今とても平和である。

引っ越し早々「家を売る」まで喧嘩に発展したとは思えないほど平和だ。

もう夜逃げして親子の縁を切ろうとまでした引っ越し騒動だったけど、
なんだかんだ仲は良いのだ。
弟もマメに帰ってくるようになり、夜中まで大笑いしながらお喋りする日もある。
この平和な日々が、これからも続きますようにw

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我が家に6匹目となるチビ助猫がやってきた。
もう増やす気はさらさらなく、里親の話が来ても断っていたが
送られてきた写真が、天ちゃんと桃の兄弟猫の米ちゃんに瓜二つだったのである。
米ちゃんは五年前、急性肺炎で2歳という短い生涯を閉じた。
具合が悪くなって一日も持たず、早足で天国へ行ってしまったのである。
もう五年経ってもまだ写真を見ると泣いてしまうし、動画を見るたびに米ちゃんに会いたくなる。
私は毎日骨壺に向かって、話しかけていた。
「母ちゃん寂しいから、生まれ変わってまた母ちゃんのところに戻っておいで」

米ちゃんはトイレにもお風呂にも、タバコ吸う時もパソコンしているときも、常にくっついてまわるほどの甘えん坊だった。
亡くなってからトイレに入るたび着いてくる米がいない、お風呂にも米がいない、部屋中に米ちゃんの姿が見えないことが悲しくて何をしても涙が出て来るほど辛かった。

あの日から5年。
米に瓜二つのチビ助は、我が家にやって来た。
里親さんが車で届けに来てくれて初めて玄関で抱っこした時、涙が止まらなかった。

「米ちゃんが帰ってきてくれたんだ。」
そう思った。

鼻を近づけると、ほのかに香る赤ちゃん猫の匂い。
テケテケ歩く、おぼつかない足取り。
5年ぶりの子猫にデレデレが止まらない役満。
6番目に来たので響きが可愛いからという理由で「呂空ろく」というという名前をつけた。
もうすぐ我が家に来て1か月が経つが、すくすく成長中である。

我が家の猫はメスオス同士は仲がいいが、同性同士は仲良くないのだが、不思議とろくちゃんは桃と天の後を追っかけてばかりいる。
やんちゃで甘えん坊で常に階段を猛ダッシュして暴れまくっているが、遊ぶのが子猫の仕事である。元気で何よりだ。

米ちゃんが生きられなかった分まで、ろくが健やかで幸せな猫生活を送れるよう、頑張って働いて休みの日は猫たちと過ごす時間を大事にしたいと思っている。

それにしても、五年ぶりの子猫なので
毎日毎日可愛いが止まらないのである。
まだ小さい歯に、子猫特有の鳴き声、
そして先ほども書いた赤ちゃん猫の匂い。
もう母乳が出るんじゃないかと思うほど、私の母性は爆発中である。

子猫の時期って本当に一瞬ですぐ大きくなっちゃうから、このバブ期を存分に堪能してたくさん写真に収めなければ、と思っている。





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