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PLAYERS' INTERVIEW vol.2 多田潤平

ヤクルトレビンズの等身大を皆さまに知っていただく「選手が語る」コーナー。前回は2024-25シーズン共同キャプテンの小川正志選手をインタビューしました。今回はもうひとりの共同キャプテンの多田潤平選手です。2児の父親としてレビンズ歴12年目に突入しました。ラグビーに対しての向き合い方、チームに関わる姿勢など弱かった時代を経験しているからこそ一言一言に重みを感じます。順風満帆なラグビー人生ではなく、常に厳しい道のりを歩んできた多田潤平選手だからこそ、新たなステージに向けて欠かせない存在です。自身の考え方やラグビーに対する姿勢をインタビューしました。
(取材日:6月22日)


負けん気が強い性格は小学校時代から


――ご出身はどこですか?

宮崎県高鍋町です。

――ラグビーを始めた歳ときっかけを教えてください

5歳で兄と一緒に始めました。高鍋町はラグビーが盛んで、私は高鍋ラグビースクールで活動していました。最初はラグビーをしているというより遊びに行く感覚でした。

――ラグビーを続けていこうと思えた時期と理由を聞かせてください

ラグビーで生きていくと感じたのが中学校時代です。尊敬できる先生と出会い、私のラグビー観を構築する上でもっとも影響を受けた先生です。とくかく厳しい先生で、生活指導をされていましたので、周りから恐れられていました(笑)。しかも行動力のある先生で、私が進学した高鍋西中学校でラグビー部を立ち上げました。その先生の指導を受けたくて学区外の高鍋西中学に進学を決意しました。

――その当時の様子を詳しく聞かせてください

私が入学をしたときは3年生が12人で1年生が11人ほど。2年生がいなかった世代で、夏の大会が終わったら私たちが最上級生になり、2年生からキャプテンをしていました。戦績はずっと負けが続いていてそれが悔しくて、常に自分自身で責任を背負っていました。その当時のラグビー経験者は私一人だったんです。でもチーム力も徐々に上がっていき、3年生のときは、県大会で準優勝しました。苦労した中学校時代でありましたが、とても楽しかったです。

――スクラムハーフ(以下SH)のポジションについた時期を教えてください

高校時代からです。中学校まではスタンドオフをやっていて、そのあとはローバー※ と言って12人制ラグビーにあるポジションを担っていました。どちらかというとそのローバーというポジションは15人制ラグビーで言うとフルバックみたいな攻撃的ポジションです。
※現在の12人制ラグビーでは、ローバーが廃止されている

――SHを勧めてくれたのは誰でしたか?

父親に勧められました。ラグビーをするのには身長が高いわけではないので、今後ラグビーで生き残っていくにはこのポジションしかなかったですね。


高鍋高校時代の多田選手 (写真:本人提供)

――そのSHで生き残るために相当練習をしていたそうですね

はい、私が進学をした高鍋高校は昔からバックスを中心に生かした展開ラグビーがチームスタイルになっていました。このスタイルにハマるためにはSHの存在が重要で、生き残るために厳しい指導を受けていましたね。ただひたすら練習に明け暮れていた日々を過ごしていました。

――SHで戦えると思った瞬間はどこのタイミングでしたか?

世代の九州地区代表のスコッドに選出されたとき、SHを経験してわずか1年ぐらいでした。結果、正式に選出はされませんでしたが、短期間で評価をしてくれたことに自信を深め、さらに自身のスキルを磨いていく覚悟ができたと思います。

――SHの魅力や必要なスキルを教えてください

パスやアタック、ディフェンス。そしてゲームコントロールなどなど、ラグビーの要素が詰まっているポジションだと思います。そしてSHに欠かせないスキルは、そのシチュエーションを繰り返す「再現性」だと思っています。

――その「再現性」を教えてください

ラグビーって同じシチュエーションがほとんどないと思います。その状況をイメージして繰り返し練習を積み上げていくのです。どんな状況でも安定したボールを供給することが重要だと感じます。そこが難しいですが、ある意味面白いところかもしれません。

才能に圧倒され、光と影を体現した大学時代



――大学でもラグビーを続けていこうと思っていましたか?

はい、進学してもラグビーを続けていこうと思って高校時代を過ごしました。色々な将来の選択肢がある中で、明治大学が一番理想でした。もちろんラグビーの強豪でもありますし。

――明治大学に入学をして感じたことはありますか?

まず、他の部員の才能に圧倒されました(笑)。ほとんどの入学する選手が高校日本代表を経験していました。先輩も後輩もタレント揃いのチームでした。私含め代表歴がない選手はほんの一握りでしたね。

――その環境でどうプレーしていこうと思いましたか?

自身のプレースタイルを変える決断をしました。高校時代からのプレースタイルは攻撃型でしたが、周りの選手は当たり前のようにこなしている領域です。そこで張り合っても勝ち目がないと思いましたし、自身のプレーを活かすために方向転換をしました。

――どんな風に方向転換しましたか?

ゲームメイクの精度を高めていくこと、そしてSHに最も必要なボール捌きに磨きをさらにかけるようにしました。私が今でもSHで続けられているのは、この方向転換だったと思っています。

――大学での思い出を教えてください

色々ありますが紫紺のジャージーに袖を通せたことです。4年間、一度も紫紺ジャージーを着ることできないメンバーも多い中、身に纏ってプレーできたことは良き思い出となりました。


明治大学時代の多田選手 ※写真中央(写真:本人提供)

――紫紺ジャージーは誰もが憧れていますね

着ることができたことは本当に嬉しいですが、同時に重さも感じました。着用できたのは本当に短い期間で、最上級生となった4年生時には一度も着ることができなかったです。

――苦労したことなどありますか?

(少し沈黙)頑張りどころが難しかったし苦労したところです。大学は試合も多いし、毎試合がセレクションでした。私はメンバー入りできるか否かのボーダーライン上の選手でしたので、常に神経を擦り切らしていたと思います。

――その頑張りどころの判断ということですね

はい、常に緊張を保つのは無理なことです。手を抜くとか、気を緩めるとこではないですが、「いざここで勝負」というタイミングはところどころあると思っています。その見極めができたからこそ3年生のときはメンバー入りを果たせていましたが、逆に4年生のときは頑張れば頑張るほど怪我に悩まされ1試合も試合に出場することができませんでした。

――多田選手は教員免許を取得されているのですね

はい、いずれ指導者になれればと思い教員免許を取得しました。4年生の教育実習で母校・高鍋高校に行きましたが、好きなことをやりたい気持ちだけで先生は続かない事実も知ることができました。

――その言葉にどんな意味が込められていますか?

大好きなラグビーの指導者で先生になる思いは安易です。先生っていう職業は本当に大変です。ラグビーの指導者になりたかった私の考えてる業務ってほんの一部にすぎません。改めて先生の存在の大きさを知りました。


弱かった時代があるから今が光る


――ヤクルトに声をかけてもらえた時の気持ちを教えてください

正直嬉しかったです。自分自身が続けてきたラグビーを評価してくれたわけですので。ただ、正直なところ知らなかったです。ヤクルトにラグビー部があることを。確かに大学の先輩のホンテ(金弘泰、現主務・広報担当)さんがいるチームだろうなって、そのくらいの認識しかなかったです。

――すでに入社して12年目ですね

そうですね、(かなり沈黙)長かったですね(笑)。


――入社したころと現在に何か違いはありますか?

入社したころから比べると関わってくださる方々のレベルが高くなっていますし、当然選手のレベルもあがっています。チームとしては入社して3シーズンは戦績もあまり良くなく、常に負け越していました。その間、当時ライバル関係でもあったチームが上のカテゴリーに上がり、どんどん強くなっています。そんな状況に歯痒さも感じていましたが、私たちが活動していることに誇りを持ち続けていました。

――その努力で昨シーズン、2年ぶりの優勝を果たしましたね

歴史を感じましたね。長くラグビーを続けてよかったです。

――チームが大きく変わったタイミングはどこら辺ですか?

私が最初のキャプテンに就任をした27歳くらいのころです。4年間キャプテンを務めましたが、初年度にトップイーストリーグで準優勝をしました。その年はリーグ戦最終節で清水建設さん(現清水建設江東ブルーシャークス)と全勝対決をしました。惜しくも負けてはしまいましたが唯一の敗戦が最終節でありましたし、体を張れる多くの選手が育ったことが要因だったと感じています。

――その変革期に多田選手はどんなことを行いましたか?

とにかくマインドセットです。頑張るだけの時代はすでに終わっており、勝利にこだわらないと周りの支援も広がりませんし、当事者である選手らのモチベーションも上がらないですしね。

多田潤平のリーダー論


――4年間続けてきたリーダーのポジションについて聞かせてください

私の考え方にはなりますが、選ばれるべき人材が担うポジションと考えています。もちろん自ら率先してそのポジションに就くことは悪くなく、逆にそのような人材が出てくることでチーム力も上がっていくと思っています。ただ、チームに貢献することは必ずしもリーダーだけの問題ではないのです。

――そのチームに貢献することの考えを聞かせてください

すごくシンプルです、誰もがチームのために考えて行動することだと思います。リーダーだろうがなかろうが、チーム貢献することって色々なアプローチがあるわけです。そこを意識しながら活動していくことだと思います。

――選手兼コーチというポジションに2年間就きました

はい、4年間のキャプテンを終えたときに高安(勇太朗、現GM兼監督)さんと話し合いの時間を設けました。そのときに、スタッフ陣の人員不足などがあったので、スタッフ側の考えも理解をしながら選手を続けていきました。


2024-25シーズンの幕開けは埼玉ラグビーフェスティバル
(写真:土井政則)

――今シーズン(2024-25)、改めて共同キャプテンに就任しました

高安さんから相談をされました。小川(正志)が共同キャプテンを提案してくれ、お互いの考え方、進め方など確認をしあいました。

――どんなことを話したのですか?

良くも悪くも共同キャプテンって一方はこうして、もう一方はこうあるべきってなってしまいがちです。わかりやすくいうと、声を出す側、グラウンドで体を張る側って。そうではないと考えをすり合わせました。チームが良くなるために導いていくわけであって、やらないことなんてないはずなんです。そんな私の考えを小川に話をして、その内容に共感してくれましたね。

――そんな共同キャプテンとして伝え続けること、多田選手だからこそ言える内容もありますね

はい、今までの環境からリーグワンに参入することで大きく変わると思います。現在、社員選手以外にもクラブ選手だったり、プロ選手だったり、外国人選手などなど。選手がチームに関わる環境が変化してきています。なかなか上位に上がれない苦しい時代があったからこそ、思いっきりラグビーができるんです。今が大切であることには何ら変わりはありませんが、昔があるから今があると伝えたいです。

――選手としての「ゴール=引退」を意識していますか?

特に意識していません。とにかくラグビーができる体であれば1年1年大切に過ごしていきたいと思います。私は選手ですので、常に競争の中で揉まれ試合に出て貢献をし続けていきたいです。

――多田選手は西條正隆選手の次に古い選手となりました。歳を感じていますか?

もちろん感じていますよ(笑)。体力もキツくなってきていますし、怪我も増えてきました。あとは、会話する内容も様変わりしていてジェネレーションギャップを感じています。でもこの歳まで続けられているのは本当にメディカルスタッフのサポートによるものだと思います。感謝しかないですね。

父がそばにいてくれたから今がある


――話は変わりますが、多田選手がラグビー選手として確立できた要因は何ですか?

私の生活の中で、ラグビーの基盤を作り上げてくれたのは父親のサポートです。私がラグビーをする上での不自由さをすべて取っ払ってくれた存在です。父親が常にそばにいてくれたおかげで今もラグビー選手として活動できています。

――父親の存在が多田選手を作り上げているのですね

はい、もちろんです。父親はラグビーを経験しているわけではありません。もちろん親子関係でありますので、色々サポートしてくれましたが、ラグビーって遠征が多いです。その遠征時にどんな場所でも駆けつけてくれました。
 
――リーグワン2024-25は12月下旬に開幕します

まずは皆さまに勝利を届けたいですね。そのためのチームづくりを開幕までし続けていきます。遠方での試合開催もあると思いますが、ぜひ試合会場に足を運んで声援を送っていただけたら嬉しいです。また、チームとして勝敗だけではなくホストエリアの活動も積極的に行っていき、私たちの活動が関係する皆様の活動の一助を担うことができれば嬉しいです。
 
――最後に多田選手にとってラグビーとはなんですか?

人生観になっていると思います。仕事だったり人付き合いだったり。ラグビーで培った自己犠牲の精神は多くの場面で生かされています。ラグビーのトライってトライを獲った人にフォーカスされがちですが、スポットライト浴びることがすべてではないと思っています。トライを獲るまで多くの自己犠牲があるんですよね。そんな培ったことが自分自身の人生観の軸になっています。
 
――ありがとうございました


取材後記

とにかく負けん気の強い選手ですが、その心の裏側は優しさに包まれている選手です。歳を重ねるにつれ社業でも責任のある業務を任されており、家を空けることも多くなったそうです。最近のマイブームを聞くと移動時間をリラックスするために音楽を聴いているそうです。日頃はそんなに聴かない多田選手ですが、新幹線を利用した移動時にはミュージック専門サイトで昔懐かしい曲をランダムで聴くのがリラックス方法だそうです。また、家族に理解されていますが、ちゃんと家事もこなし切り替えをうまくしてラグビーに集中していると感じました。

取材・編集:広報担当
写真:土居政則、ヤクルトレビンズ、本人提供


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