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【mt.Akimoの「山になりたい」】 ②山屋とSNSとポエムと

“職業・山屋”を自称し、山に関わるあらゆる仕事に貪欲に突っ込んで行っては山を「浴びる」かのような生活をおくる、山を愛しすぎた若き現代の岳人、Akimo氏。インターネットでコアな人気を誇る彼の、奇特すぎる人生哲学を追う魅惑の(誰得な)コーナー。ちなみに表題は彼の口癖。

 同好の士と、インターネットを通じて広く交流できる時代だ。登山好きの人たちも例に漏れず、SNS上で活発に交流している様子が見られる。「ヤマレコ」などの、登山専用のSNSサービスも随分と定着した。

 そんな中、Akimo氏ももちろんSNSを利用しているが、彼のSNSでの発言はひときわ異彩を放っているように感じる。「山になりたい」を始めとする、山への尋常ならざる思いを綴った呟きたちは、哲学的だったり感傷的だったり、どこか“ポエム(詩)”のようにも思えるものが多い。


 前回は彼の独特の口調「山になりたい」について深掘りしたが、今回はAkimo氏の考えに私が興味を持つに至った切欠でもあるSNSについて話題にしてみたところ、彼のSNSに対する独特な考え方、付き合い方の一端について知ることができた。

 
――インターネットやSNSって、本来は山や自然とはすごく遠い存在のようにも思えるんですが、AkimoさんにとってSNSとの付き合い方ってどんな感じですか?

Akimo
 そもそも僕の世代って、SNSをすること自体が当たり前だったんですよね。学生の頃から「mixi」とかありましたし。
 ところで僕、SNS上のアカウントって、その人の全ての人格が出ているわけじゃなく、ある一部の側面だけが出ているものだと思うんですよ。たとえば趣味だとか、人によってはボヤきだとか。あと人に見られるものだから、自動的に発言の内容も絞られる。SNSサービスによってやってる人たちの雰囲気も若干違って、それによって自動的に現れてくる自分の側面が変わっちゃうってこともありますし。で、僕はやっぱり、実際に山にいて山のことに想いをはせている時の自分と、下界にいて山とかそれ以外のことを考えている時で、何かしらスイッチが違ってて、同じことに関しても、山にいるときと下界にいる時とで受け取り方、感じ方が違ってて、これってアカウントが違うなーって感じがするんですよね。

――時期、平地にいる時と山にいる時でツイッターのアカウントを分けてましたけど、もしかしてそういう理由で!?(笑)

Akimo
 そうそう。山と下界で環境が変わると考えがバラバラになっちゃう。で、それは分けておいた方が、自分の中でも整理しやすいなと思ったんですよ。アカウントだけじゃなく、SNSサービスでの違いも、やっぱりあります。僕はインスタグラムやフェイスブックもやってますけど、それぞれでアクセスしてくる人たちや彼らの感想とかも違ってて、そういうのにアンテナを張っておいたほうが面白い人と出会える確率も高まるので、僕の中の「山集め」の一環として、繋がれる部分は伸ばせるだけ伸ばしておこうと思ってやってます。


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誰かの為の「情報発信」じゃなく、自分の気持ちが
溢れてしまった「手記」としてのSNSが面白い


――Akimoさん、よくツイッター上でポエムを読むじゃないですか。

Akimo
 そうなんですよ。いやもちろん、別に「よし、ポエムを読むぞ!」なんてことは思ってはいないんですけど、昔っから、思ってることを書き連ねるとなんかそうなっちゃうらしくて。口で喋ってても、テンションが上がってくるとそういうことを言い始めるみたいなんですよね。

――実際僕と話してる時もそういう感じによくなってますよ(笑)。でも、岳人は昔から詩人だって言われてましたもんね。

Akimo
 僕は自分のことを詩人だと思ったことはないですけど(笑)。
 でも、昔の人が手帳とかに書いていた手記を、今ではSNSに書くのが当たり前になったのがすごく面白くて。昔の岳人の手記とかけっこう本になって残ってますけど、中身かなりポエムじゃないですか。哲学とか自分の中で折り合いがつかない感情とか、弱音めっちゃ吐いたりとか。

――『単独行』の加藤文太郎とかも、「正月で下界ではみんな僕の好きな餅をたらふく食ってんのに、僕はなんでこんな寒いとこでひとり凍ったカマボコばっか食ってるんだ」みたいなこと言ってますもんね(笑)。

Akimo
 そうなんですよ。でも、昔の人の手記って面白いんですよね。想像なんですけど、山に行くとポエムのスイッチが入っちゃうんですよ。手記を書いてる時って、ポエムを書きたいと思ってるんじゃなくて、山の中で思い浮かぶ内向的な考えを自分の中で整理するときに、書きながらのほうがたぶん整理しやすくて。でも、その内向的な考えって、他人から見たら寒いポエムだったりするじゃないですか。昔の岳人たちはそれが個人的な手記で、有名にならない限り人目には触れなかったから比較的安全だったんですけど、僕を含む今の人達は、やっぱSNSとかインターネットで書いちゃう人が多いので、人目に触れやすくなってるんですよね。
 でも分かっていながらも、僕はやっぱり自然と「手記」を書いてしまうんですよ。で、恥ずかしい想いをする(笑)

――やっぱ恥ずかしいんですか(笑)。

Akimo
 恥ずかしいですよ(笑)。でも、なんというか、くすぐったいのが気持ちいい、みたいな(笑)。
 さっきも言及しましたけど、僕は相手や環境によって、出している自分の側面が変わると思っているんで、僕の書いた「手記」を見た知人とかが、その人との今までの関わり方の中では見えなかった僕の側面や考えを見つけて、何かを思い、僕に何かを言ってきてくれたりする。
 あと、ずっと僕のSNSを見てた人が、山で僕に会いに来てくれたりして、「あの時のあれ読んだよ」って言ってくれて、思ったりしたことを伝えてくれたりもして、そういうのが面白いんんです。

――僕がAkimoさんと知り合ったのも、そういう切欠でしたね(笑)。

Akimo
 まさにそうでしたね。だから、やっぱり思ったことは書いて人目に晒したほうが結果的に面白いなあと。
 見られるだけじゃなく、見る側としても、やっぱり「手記」を探しちゃいますね。山行記録とか雑誌みたいな記事とか、そういう類の「情報」としてのSNSの発言は、もちろん参考にすることはあるんですけど、僕がやっている「山集め」としては、触れたいのは「情報」よりも、山に登ってるときにその人が何を感じたかとか、山に対してどんなことを考えているかとか、そういう、当人にとっては恥ずかしいであろう生の感情なんですよ。
 その考えが自分と近いかどうかは関係なく、なにやら山に対して強い感情を持っているらしい人、山について声高に何かを主張している人、そういう人のアカウントはチェックしてしまいますよね。彼らは僕の中には無い「山」を持っているわけなので。


 如何だっただろうか。まさか、山とSNSとの関わり方の対談が、こんな内容になるとは、インタビューをした私自身も想像していなかった。彼にとって、SNSは「山集め」の重要なツールの一つ、なのかもしれない。

 次回からは、特定の山の仕事をテーマに据えて、実際の彼の仕事中の体験なども交えながら語ってもらう予定だ。
 最初のテーマは「歩荷(ぼっか・荷揚)」を予定している。お楽しみに。


第2回 山屋とSNSとポエムと 了
『ヤクのあしあと』2019.夏号(2018.5.12刊行)収録分より転記

取材対象:Akimo
@nature1118_life(生活用)/@nature_1118(仕事用)
http://mount-akimoto.com/

インタビュアー・編集:まだら牛
http://yaku-no-koya.com/

(次回更新は3/17ごろを予定)


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