練習の時に気を付けてること

一応学生指揮者とかパートリーダーとかなんかそういうやつやってたらしいんですけど、もう人前に立たなくなって1年以上経つので、感覚を忘れる前に練習を仕切る時とか人に教える時に気を付けてたことを文字にまとめたくなった。
あと自分はアマチュアなので、プロとかセミプロとか、あるいはレベルが高い一般団体というような上手い合唱団には適用できない話かもしれない。主に大学合唱団的な目線。

学習の四段階(発達の四段階とは違うよ)

人間が新しいことをできるようになるには4段階あって、
 1:知らないし、できない(無知の無能)
 2:知ってるけど、できない(意識の無能)
 3:意識すればできる(意識の有能)
 4:意識しなくてもできる(無意識の有能)
っていうのがあるらしい。
人に何かを教える時に、どの段階なのかを見極めるのがとても大事。

合唱団の練習でよくありがちなのが、発声に関する話題で「できてるかできてないかを教えながら、できるまで繰り返す」っていう練習。これは、3から4に行きたい時には有効だけど、他の場合では有効ではないように感じる。むしろ、場合によっては余計に下手になるなんてことも大いにあり得ると思う。2の状態とか1の状態で何回も繰り返すのは、悪癖の定着にも繋がるし、問題解決を歌い手の自発性に任せすぎている。「ティーチングとコーチングの使い分け」なんて言われることかもしれない。歌い手が経験豊富ならそれで良かったりその方が良かったりするだろうが、特に大学合唱団とかだとコスパが悪い。
指導者(とくに学生)はこの「練習したら余計に下手になる」という可能性を考慮せずにこういった練習をしている人も多いと思う。

あとは、「入りを意識して」とか「首の後ろを意識して」みたいな指摘。これも、3から4の段階に移行しようとする時とか、絶対に既知で言えばできるとわかっていることについての指摘としては有効だけど、1や2の段階の意識できない人・意識してもできない人にどこどこを意識してっていう指示は無理がある。言ってる本人はできるのかもしれないけど。
3から4に移行する狙いでも、同時に意識できることの数なんてたかが知れてるから、どうやったら意識しないでできるようになるのかってところに着目すべきことも多い。基本は一つずつ攻略→組み合わせっていう流れなのかな。

基本的に、すでにとても成熟しているならともかく、成長段階では意識だけでは何事も変わらないと思っているので、1,2の段階にいる人目線で練習内容を考える。アプローチというものは、出来る人がどう意識しているかを教えることではなく、出来ない人もその行動をすると無理やりできるようになる状態を作り出す行為だと思っている。本当は耳で結果を評価する方法とか体の感覚で自分ができているかどうかを判断する方法まで教えられたらいいんだけど、これは1対1とかじゃないと正確に(もしくはその人に合ったように)伝えるのは難しいかも。

アプローチと副作用

先ほどアプローチとはみたいなことを書いたが、どのアプローチにも基本的に副作用があると思う。今あんまり思いつかないんだけど、予想される副作用への対策も大事だよねって思ってます(雑な項目)

知識≠実力

これは確か自分がパートリーダーになる時に、自分が指導する様子を見た先輩に言われたこと。
曲についてとか、発声の話題とか、なんでもそうだと思うが、知識を教えるだけでそのように歌えるようになるわけではない。歌い手が足りない知識を補うのも必要だと思うが、それができるようになるまで実際に歌わせる過程も必要。だから、練習中は歌い手がどのくらいの時間歌っているかを気に掛ける。どんなに名演説をしても、それを反映できるまで歌ってもらわないと、名演奏にはならない。

1区切り1指示

歌い手がどのくらい歌ってるかに気を配るという話とも関連するが、1回演奏を止めて指示を出す時には、一人に対して1つの指示だけを出すように心掛けている。パートごとに違う指示を出して4つの指示を一度に出すことはあっても、歌い手一人一人から見たら1つの指示になるようにしている(できてないことも多いけど)。一つ指示を出したら、歌わせる。で、他に言いたかったことがあったら、その指示が実行できた後に言う。じゃないと、一度に意識できることなんてたかが知れてるから、どっちつかずになる。
これを上手く機能させるコツは、多分事前の譜読み段階で「ここからなら入れる」っていう区切りポイントを可能な限り考えておくことだと思う。練習番号とかあるとおもうけど、それよりもっと細かい単位で。簡単な反復練習とかをしたいときに、なるべく短く繰り返させた方が効率がいい。あと、指示を出したところから遠い場所から始めるほど、指示を出した部分にくるころには忘れてることが多い。

指示は端的で具体的に

1区切り1指示とも関連するが、指示する時は具体的かつ端的な指示を心掛けている(できないことも多い)。思いついたことをだらだら喋ると、「結局なにすればいいの?」ってなりやすい。だから、「誰が」「現状こうなってるから」「こうやって」「こういう音にしてほしい」という4つのポイントをおさえて指示を出す。場合によっては一部省略するが。
ただ、どこから始めるかについては絶対省略しない方がいいことが多い。これがずれるとかなりのタイムロスになる。特に1パートだけ先行する部分の入りとか、指揮者目線だと当然そのパートからと思い込みがちだけど、他のパートからしたら自分のパートの入りから入るので、ちゃんと指示を出した方がいい。1拍ずれたまま演奏するハメになったりする(実際に何回も見たことある)。
「GROWモデル」なんて話とも似てそう。

分散学習

人が何かを覚える時に、定期的に復習を挟むのが大事。
例えば、一回の練習の中で、これを身につけてほしいっていうテーマを決める。姿勢とか、体の使い方とか、入りの時になにかするとか、一つ具体的なものを決める。で、それを最初に宣言する。黒板とかある時はそれに書いといてもいいと思う。その練習の中で、忘れた頃にその話題を掘り返す。そうすることで長期記憶に残りやすくする。
大事なのは、「忘れた頃に」っていうこと。ずっと言い続けると、言われなくなったら忘れてしまう。忘れたか忘れてないかギリギリくらいのところで蒸し返すことと、蒸し返す間隔を徐々に広げていくことで定着していく。
自分が振ってた団体だと1曲の1練習が20分とかが多かったので、最初に言って(「この練習のテーマはこれ!」)、1回歌わせた後に言って(「これできた?」)、別の場面に移った時に言って(「そろそろ忘れてきたかな?」)、練習の最後に言って (「テーマはこれだったね」)、その次の曲の練習の初めで言って(「この曲でも使えるよ」)、その次の練習日の練習で言って(「前回何やったか覚えてる?」)、みたいな感じで分散してた。

全体→部分→全体

これはよく言われてるかもしれない。
練習する時に、一回全体を通してみてから気になる部分を重点的にやる、みたいなことは多いと思うけど、部分的に重点的にやった後はちゃんとまた全体に戻る必要がある。
機械を組み立てるのと違って、部分的に取り出したらできてても全体の流れの中ではできないということも多い。体力とか、息継ぎのタイミングが違ったりとか、流れの中だと他のことを意識してる、とか。そういうことがあるから、部分的に練習してできるようになった後は、全体に戻った方がいい。
プログラミングで言うと、単体テストの後は結合テストするよね、みたいな話。伝わらないやつ。
逆に、全体的に練習しすぎるのも、時間がもったいない場面がよくある。よくある話だと、練習番号ごとに練習する、とか。やりたいのが2小節だけなのに、16小節とかやるのは時間がもったいない。それに、そういう長さで練習しようとすると、その範囲内の別の部分への指摘もすることになると思う。そうすると、1区切り1指示が守れなくなって、指示の密度も練習の密度も薄くなる。それよりは、区切り方を変えて部分的にできるようにした方がいろいろ効率的。

ちゃんと対話する

これ一番難しかった。
練習が一方的なものになると、定着度も満足度も薄い。音楽を通じてでもリアクションを通じてでもいいと思うけど、ちゃんと双方向に対話しながら練習を進めることが大事。
自分がいる団体だと、進行する人があらかじめ原稿みたいなの作ってきて、それを読んでって用意した通りに練習するってことがかなり多いんだけど、こういうのはまさに一方通行になりやすい。かといって、臨機応変に対応することを目指した結果指示の密度がめちゃくちゃ薄くなるのもな、っていうのも分かるから、原稿を用意したくなるのも分かるけど。実際内容のうっすい練習を受けてるのはなかなかしんどいし。
自分が進行する時は、何をやるかっていうトピックを決めてメモしておいて、関連するアプローチをいくつか考えておいて、あとは練習中に臨機応変にやるっていうスタンスをずっと取ってたけど、これは割と発声のこととか音楽の内容とかを何もみないで言えるくらい身につけてないと厳しい気はする。


なんかいろいろ書いてしまった。項目によって内容の濃さ違いすぎな。
いろいろ書いたけど、割と全部ずっと考えながら練習進行してると思う。最近練習進行を1年ほどやってないのでもうできるかわからないけど。

本番で振る指揮者にはあんまり興味ないんだけど、練習を進行するための指揮者みたいな副指揮とかコレペティ的な指揮者にはかなり興味がある。もっと経験積みたいな。

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