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感情的になってはいけないと戒める事が有害となるケースについての考察

2019-9-009

感情的になってはいけないと戒める事に有害なケースがある理由の一つとして、
慈善に見られる、薬(善行)を与える事で病気を生み出す構造を保存するパターンがあると思います。
例えば、銀行強盗を皆が真似すると金融システムが崩壊する、
つまり、金融システムが崩壊するレベルでは真似されないから、銀行強盗も意味があるわけで、
他者の理性があって成り立つ甘えた存在と、真似しないよう理性を強いられてる側との関係次第では、
後者(いなければ全員が損をする)が泣き寝入りしてると言える形もあるわけです。

この問題を解決するには、泣き寝入りが生じない構造を社会に持たせる必要があります。
速く走る能力の順位が問われてる局面で、必要な差異が取り出されるよう形式や帰結が組み上がってるなら、
悪い結果を受容してようと泣き寝入りではありません。
つまり、場の本質に即した割り振りの保障を正義と規定する管理者が、
場の本質を損なわないように形式や帰結を組み上げる能力を有し、発揮してる場合のみ、
理性は不当な利得への寄与を免れる(理性を言うだけでは不十分)のだと思われます。

そして、この構造は概念自体にも言えると考えます。
感情的になる事への否定は、正確には、
有限性(内外境界の存在)が与件である以上避けられない、内在と外在の関係構造から、
いらぬ飛躍を取り除く作業に他ならず、
感情を抽象物、局面を具体化条件、理性をその両者の統合処理と見た、
抽象化と具体化条件割り出しの最大限追究としての、場の本質にしか応じさせない処理、
(不当な扱いを受ける事への否定感を、自己絡みを始点に、先の正義観まで持ってく捨象が抽象化のメイン)
さらには、内在場の産物を感情、外在場に合わせる加工を理性と見た、
場に置かれるものを場の本質にしか応じさせない処理が、
その除去作業に当たると思われるからです。

なので、内在の性質と外在の性質が合わさって現象となる、
内在と外在の関係構造からいらぬ飛躍を取り除き、現象の確からしさを高める事が知性や幸福追求の目的、
こうした理解の欠如が、感情や理性に対する誤解や誤用の原因であり、
加えて言うと、
同種の他との差異要素の捨象と共通要素の捨象の内、後者が埋没してる世界標準知性(欧米的知性)、
奴隷状態からの開放という宗教的問題意識、
それらの帰結と言える、内在不問外在軽視な自由観や個人観が、
その誤解や誤用の方向性(先のそれとは異なる正義の常態化含む)を規定してる、
そうした事情が言えると推測します。

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