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経験のフィードバックが(特に、世界標準の倫理のせいで)割り引かれてる、この現状も、得る事の上限についての理解の問題でないか

2021-6-001

日本も国際機関も、先の大戦の経験が、
ポジションによらず不当に奪われる(ポジションの割り振られ含む)者のいない世界への志向に至るようなフィードバックとはなってない
(反省してるつもりな人達も、加害被害関係等が下で言う支持に先立ってる)わけで、

戦争経験に限らず、(情報の位置づけに関わる内面世界含め)各場の代替不可能と言える固有性に即した割り振り(場の厳格に割り出された固有性への帰属)を支持してるとは言えない類の救済や平等化に至るような、
経験の活かし方では、

ポジション次第で不当に得る事が可能な世界は存続し続ける(善や正義を掲げるにしては説得力欠いた帰結)と見るべきです。


その程度のもの(論点取り違えの結果の反動)が押し付けられる状況を変えるには、
仮説(Aさんはこういう人といった程度含む)と実証の行き来のような確からしさが向上する側面か、言葉の意味合いやニュアンスの変遷のような向上とは言えない側面かによらず、

歴史性は場に置かれた帰結(個々具体形)の反映(抽象と具体の行き来)に過ぎないとした上で、
精度を最大化させた抽象化具体化の結果の歴史は求めるけれど、それ以上は求めない態度の規準化(精度不問なヘーゲル歴史観の修正込み)が必要でしょう。


また、その態度は、精度最大化の帰結を、得られるものの上限とするものなので、論理展開の論点を含むものに話を拡張し、

自由概念はじめ、未だ古代の宗教理論の問題点(奴隷的状態からの反転願望やフリーライダーに対する理論レベルでの無策)を保存してる欧米由来の倫理(欧米主導後の世界の標準)を、
得る事の上限という枠が原理レベルで組み込まれた代物に修正する働き(確からしい対有限性の内在化)へと繋げる事で、

近代以降繰り返されてる、内実不問(分離処理への過大評価)傾向に由来する弊害伴う、近代的権利観を素朴に導入するミスパターンを、乗り越えるものともなるはずです。

ただ、文系域での精度最大化の意味するところには誤解
(言わば、理系論理と文系論理との違いに対する、さらに遡るなら、捨象の帰属と論理の妥当性との間の関係に対する無理解)がある為、そこの解消は必須です。

なので、文系域での捨象有り様(確からしさ差に当たる差異の取り出し)が各局面に帰属してる形になるよう、以下の理解を押さえましょう。


右も左もカバーしてる視野から、やむを得ない事情(条件変動耐用な事情)がある時のみ、カバー領域をその事情に合わせた形に限定する(死角は発生)、この種の内容なら限定前後で通用量は保存される。
抽象化と具体化の精度最大化の下での交互反復から成る表層形変転な、歴史展開や論理展開が達成してる、通用が行き渡ってる状態の保存は、言わばその拡張。

理系論理と文系論理は、対主観はじめ、同種の他との差異要素の捨象ベースか共通要素の捨象ベースかの違いだけ(捨象対象は局面次第)。
つまり、最大限代替不可能化させた内在事情外在事情にだけ応じてる時(自由状態時)に得られるものを超えて得る(洗練や紡がれた思考含む)のは、四則演算のミスと同等。

局面の固有性の厳格把握を育成しない既存教育と、それに疑問を持たない被教育者の結合の結果が、時代刷新(パラダイムの弊害への対策)の足かせでもある、
社会現象に対し妄信か反動反発しか期待できない近代止まり(内実不問に留まると、表層形のみでの断罪や擁護として働いてる囚われ状態が自浄されず、原理抽出含め、帰属の修正作用が文系域では形骸)な知性や倫理。

捨象が各局面における確からしさ差に当たる差異の取り出しに関して、的確でないのに修正されてない状況だろうと、問題を覚えないセンスの産物に対する、そこが問題だと分からないセンスによる肯定否定反応、
これがこれまでの倫理絡みの社会(国際社会含む)現象の実態。

ご支援の程よろしくお願い致します。