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STEAM&AI 探求と創造の未来教育への道

2024年5月12日(日)14:00-15:30 カラフル学舎主催
「STEAM&AI 探求と創造の未来教育への道」に参加。

宮城教育大学大学院教育学研究科 菅原特任教授
東北学院大学 文学部 教育学科 稲垣教授
のお二人の先生、そして
せんだい泉エフエム放送株式会社 伊藤智瑛子アナウンサー
がファシリテーターとして参加された、豪華で貴重な1時間半でした。

▪️生成AI@学校
昨今、耳にするワード。自分自身は使うことがあるけれど、学校、こどもにとってはどうなんだろう?

学校で生成AIについて考える、学ぶ授業がどのように行われ、子どもたちがどのような反応を示すのか、見たことがない私にとって、菅原先生の事例紹介(小学5年生社会、中学3年生総合)は貴重&ワクワクする内容だった。

「生成AIって誰が作ったの?」
「生成AIを使って宿題することはOK?」
「生成AIは考えていると言えるのか?」

いくつもの問い。
それに対して、考えを述べあう。最後には、どのように生成AIと付き合っていけば良いか?の問いに、
「自分の頭で考えることを大切にしていくべき。」
「自分の考えを持った上で参考にする。」
などの意見が出されている。

頭ごなしに、使うことを否定せず、礼賛することもせず、考える。
生成AIがテーマにした哲学対話をしているような授業だと思った。
生成AIという言葉を聞くと、「人」ではなくシステム、機械的なイメージがあるのに、実際に生成AIについて考える、対話する行為は「人」を感じた。

脱線するが、答えが一つとは限らない問いについて考え対話する時間を公教育で増やせたらいいのに、と勝手に思う。

生成AIはまだ未知のもの、発展途中のもの、と受け止めがちだけれど、発展し続けるから完成品はないのだろう。となると、安全性等が十分に担保されてから使いたいから触らずに待つ、という判断は現実的ではないように思った。

一人1台のICT機器を貸与され、ハード整備が先行したGIGAスクールにおいて、学校も、先生も、子どもたちも触りながら、実践しながら変化していく、ということが自然のように思え、体制が整っていないのでやりません、という判断は、いつまで経ってもできない、ということになるんじゃないか。などと、先生の話を聞きながら、一人考えが膨らんでいってしまった。

菅原先生から文科省による生成AIガイドライン(暫定的)の紹介。

https://www.mext.go.jp/content/20230710-mxt_shuukyo02-000030823_003.pdf

昨年7月に出されていたことを知る。知らなかったので斜め読み。
ガイドラインにあるように、活用に適している、適していない、ということはある。民間企業ではガシガシ使っている。学校教育では、リテラシーについて学ぶ方が優先かもしれない。校務の効率化には役立ちそう。先生の働き方改革の一助になるんじゃないか。
ガイドラインには、「⽣成AIに全てを委ねるのではなく⾃⼰の判断や考えが重要であることを⼗分に理解させることや、発達の段階や⼦供の実態を踏まえ、そうした教育活動が可能であるかどうかの⾒極めが重要」とある。
結局、ここなんじゃないか。インターネットもだけれど、アナログで言えば、人の噂話だって、同じように思う。
情報の取捨選択、今日食べるもの、主体的に考え、決める。自己決定が必要、重要になってくるし、それをどのように学校教育で、家庭で、家庭以外でその経験を積み重ねていけるのか。
そこに教育がどう関わっていけるのか。
自分も考えたいし、子どもや大人、色々な人と対話して共有していきたい。

▪️STEAM教育
続いて、稲垣先生。
STEAM教育について。
Science、 Technology、 Engineering、Mathematicsを統合的に学習する「STEM教育」にArtsを加えたもので、STEMだけでは収束思考に陥りがちだが、Artsを加えることで拡散思考が加わり創造的な発想が可能になるという考えに基づいた教育手法。(ウィキペディア引用)
テクノロジーの活用に加え、それを作る人材育成。そのために必要な理数系の技術や知識。今も、そしてこれからもっと、自分で問題を見つけて解決する能力、創造力、実践力が必要になってくる。
「この問題を解きましょう」→「解けた人?」だと、問題自体はすでにあるけれど、問題自体を発見する力を養うには不十分ということだと思う。
これらを育てるために、STEAM教育が重要になってくる。
宮城県内でも、多賀城市ではSTEAM教育に力を入れていて、試行錯誤する実験室のようなものが中学校、高校にできている。映像だけで見るのではなく、仮説を立てて実行し、検証し、また改良していく。
実体、身体性のある思考実験のようなものだと思った。
いいなぁ。
ものづくりをする企業が多い大崎市にあったらいいなぁと妄想する。

これまでの、昭和的な学力観では、課題発見には至らないんじゃないか。
もちろん、課題発見するために必要な知識は必要、基礎体力的なものは必要だと思ってはいるが、何のために必要な知識なのか。
その点も踏まえて学んでいけるといいのではないか。

▪️気づいたこと
世の中、技術の進歩によって、新たな学びが進んでいる。すでに学習要領も変わっているし、「新しい学力」の定義が出てきている中で、保護者は何をしたら良いのだろうか。今回、私は機会があって懇談会に参加できているけれども、この機会がなかったら、子どもたちの状況や世の状況を知ることができたのだろうか。

子どもに勉強しなさい、という私は勉強しているのだろうか。
知識を詰め込むのではなく、見聞きし考え自分の人生に活かすような取り組みはしているのか。
忙しい保護者がなかなか新たな情報との接点が少ない中、その補完をどうしたら良いか。などと、保護者、学校も含めて、情報のアップデートをどう行っていったら良いのか模索していきたいと思います。合わせて、大人が学び続けるにはどうしたらいいのか、も。

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