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言葉でのやりとり (ものは言いよう) #ブラックポエムフライデー

まつおさん企画「ブラックポエムフライデー」に参加しています。

ブラックポエムの定義は
❶黒い意味の内容を美しく表現する詩的な間接表現
❷美しい意味の内容を黒く表現する詩的な間接表現

ブラックポエムフライデーのルールは
❶毎週金曜日の午前0時から午後11時59分の間で投稿する
❷タグに「#ブラックポエム」を含める
❸この記事(*まつおさんの「ゆめのともと〜」の記事)と上のブラックポエムマガジンへのリンクを記事の末尾に貼る



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これは、先週投稿した詩です。(ブラックポエムではありません。)


今日のブラックポエムは、この詩のブラック版です。「ものは言いよう」というメッセージは、まったく同じ(つもり)です。

実は、ブラック版の方を先に書きました。が、使った単語の口汚さに、自分がひるみ、その「ブラックポエム」を、感じのいい言葉で書き換えました。でも、その汚ない言葉で書いたオリジナルを、「ブラックポエムフライデー」を隠れ蓑に、投稿します。

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先に「あと書き」を。

ブラック版を書いたのは、言葉について考えていたら、やるせない気持ちになっていたので。疲れていたことも大きいのですが、その頃、note で、疑問が湧き上がる記事をいくつも目にして。でも、記事の内容や書き手うんぬんで、ひっかかったんじゃないんです。そこらは二次的。

わたしが考えさせられたのは、言葉について。一つは、まさに、たった一言、にとらわれること。もう一つは、言うだけ、ということ。言葉は発しながら対話拒否という、交流とも呼べない交流。

こう書くと、どちらも、そんなことがあってはならない、と一人盛り上がりそうになりますが、ふりかえると、そういう反応を、私自身もしてきたなと気づきます。そして、自分のことでは許してきたなと。

たった一言で、絶交。人間不信。あるある。
自分からはぶちまけといて、返答は聞きたくない。あったあった。

そして、自分でも他の人でも、そういう事例で、同情もできるものは、確かにあるなと思いました。

一言、の重み。それは、概して受け取る側の方で。そして、送る側からの、一方通行御免の態度。そういうことは、やはり悲しい。言葉自体に罪はない。でも、言葉でのやりとりは、たしかに、言い方しだいではある。

ぐるぐるめぐりのように思っていたことを、言葉にして書いてみました。まつおさんの言う「ブラックポエム」の定義に助けられて。

「黒く表現する」。その時の私は、それを、ふだんの自分なら使いたくない単語をあえて使うことと解釈しました。

 
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私が先週のせたブラックポエムを、「ブラック&ブラック」と評してくれる人もいましたが、今回のは、さながら「ブラック&ダーティー」です。(エッチではありません。)汚いのはなあ、と思われたら、もう今日はここで。また明日、アナグラム詩で。(えっ、また?はい😉。)

(ブラックポエムの中の一言が、どなたかの気持ちをかなぐったり、わたしというものへの全体評価を決めてしまうこともあるのだろうと思います。または、わかったような書き方の、この一文が、かも、、、。)


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「言葉でのやりとり (ものは言いよう)」




薄いツラの皮につつまれた こみあげるものを

ゲロのように ぶちまける

誰かの顔に向かって


もよおしてくれた?

いっしょに ションベンとばしっこ


汚物も流れる

横たわるドブ川の溝に

ふんぞりかえる ひと言


どいつが

どいつに

どいつのことで


ドブの腐敗臭は

自分のものだと思うのか

生理的にダメなのか


吐くだけ吐いて

汚しても拭かない


受け取り手の問題?

小汚ねえ使い方も 小賢しいも あり

誰もが使う 汚物と垢まみれの道具


殴る代わり?

唾棄の代わり?

指立てる代わり?


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