見出し画像

【手紙】 伊藤静代さま

この便りへの返信です。

________

文通、なんて。
伊藤さん、また、おもしろいこと思いついて。伊藤さんで私が一番感心するのは、思いついた面白いことを、すぐ実行にうつすところです。私が伊藤さんを知ったのも、そのひとつのおかげでした。

しめじさんのサイトで知った、伊藤さんの呼びかけ。


私は伊藤さんを全然知らなかったけど、10個チョイスのあるリクエストに応じ、ずうずうしく選びました。
  10. あなたの記事を全部読むことができる。

Note 参加して1ヶ月たつかたたないかでした。私がのせていた詩の中で、一つだけ、これを人に読んでもらいたいという作品がありました。それについているスキマークは一桁。その詩を、だれでもいいから読んでほしかったんです。

で、伊藤さん、ほんとに全部の記事、読んでくれた。そして、びっくりしたのは、全部にコメントを書いてくれたことです。感激する私に、伊藤さん自身は、そんなにおおごとに思ってませんでしたよね。初めから、「読む」イコール感想を残す、つもりでいたと。私の初期の投稿の多くには、今も、伊藤さんが残してくれたコメントだけがあります。

私の記事を全部読んで、伊藤さんは、みんな、いかにコメントを残さないか、と感想をもらされました。そして、そのすぐ後、「Note炊飯部」と名付けた、コメントを残す活動を立ち上げられました。行動にうつすのがはやい。

私も、伊藤さんに、記事の全部にコメントをもらうという経験をしてから、note の関わり方が、目立ってかわりました。いい影響と、弊害と。まず、いい方から。私も、それから、読んだ記事には、スキマークだけでなく、なにかしらのコメントを残すようにしました。最初はフォローする方々も少なかったし、それこそ、タイムラインに出るものすべてに、コメントしていたかも。そして、コメントを残すと、私の作品に反応してくれる人も、フォロワーさんも増えました。最初は、いい相乗効果じゃん、くらいに思ってました。

で、弊害。言葉がきついですね。よくない影響。もちろん、悪いのは伊藤さんじゃなくて、私自身の問題です。まず、コメントを自分が残すのに、それに反応がないことを不満に感じるようになりました。そんなふうに思う自分もいやで、だったらコメント残さなきゃいいじゃん、と自分につっこんでいました。それは、いつかの投稿で書いた、やらぽんさんという人の記事に助けられ、1日半で、違う理解にいたり、解決。

でも、次は、けっこうコメントを残す私を、揶揄してるのかなと思う言い方をされることが出てきた。それも、まあ私の意地の悪いとりかたかもしれないんで、いいんです。本当に困ったのは、相手の方に、自分がコメントをあまりしないことを謝られたりしたことです。

私がコメント残す。それが相手に負担になる。考えていませんでした。だって、ほとんどの方のサイトには、コメント歓迎と書いてあったし。

でも、日本の文化で、一番人が負担に思うこととは、何かをもらって、自分が返せていないことなんだ、とどこかで読んだことがあります。贈答品。お礼の品。なるほど、そうだった。プレッシャーになってるなんて、思ってもなかった。盲点でした。

そして、このごろ、note で、どうやってスキマークを増やすか、とか、読まずにスキマーク、とかの記述を見ることが何回かありました。そういうものか、そういう手があるか、くらいに思ってました。すると、先週、私がコメントを時々残す方の一人が、私の記事を、エッセイも含め5つくらい、いっぺんにスキマークつけてくれていたんです。でも、全部で1分以内で。3行短文始めてから、文が長くなりがちな私の投稿は、詩でない限り、読むのに、もうちょっとは時間がかかりそうなのに。もちろん残念には思いました。でもそれより、何か自分もお返しにしないとと、気をつかわせたのだろうということが気になりました。(実は昨日も。知らない方でしたが。それは、先回りのお返し、と理解しときました。)

今は、相手がお返しに困らないように、ちょっとだけ気もつかっています。フォローする方たちも前より多くなり、目を通すだけで精一杯な日も多いですし。読むだけで、テレパシーコメントで。押すスキボタンに思いをこめる、とか。でも、今度は、コメントないことを残念がる方が増えたりしてるのかしら。考えすぎか。藤井風さん風、もうええわ。

そして、自分のほうにスキがあるか、コメントあるか、は、以前投稿でも書いたとおり、正直気にしてません。それは、考えて見ると、もともと伊藤さんから学んだこと。伊藤さんは、note への参加のしかたも、することも、ユニーク。斜め上の発想。実行にうつすまでの身軽さと速さ。伊藤さんは、note 界赤子の私に、そんな早い時期に、note は人それぞれ、と思わせてくれた人です。参加のしかたも、創作者とのかかわりかたも、やりたいことも、実際にすることも。金子みすゞじゃないですが、みんなちがってみんないい、と。

で、文通。

私は、小学生の時から、文通が好きでした。小中高通じて、また、大人になっても、何人も文通相手がいました。

私のコメント残しは、自分の中では、文通に近いものがあります。時間差のあるやりとり。返事があるのも、もちろんうれしいけど、手紙を出すこと自体が喜び。

そうだ。これが、私が note のコメント欄に感じる気持ちなんだと思いました。伊藤さん、センスあるなあ。意図してないのでしょうけど、また、言い得て妙、と感心しました。

伊藤さんが、調子をくずされているのは、心配だし、残念です。
がんばってと言わなくても、伊藤さんはがんばられていると思うので、言いません。
でも、応援してます。
また、伊藤さんの記事をのぞきにいって、コメント欄にいらんこと書きこみたい。キクチタケオの向こうをはるようなデザイン、わかるようでわからない人気マンガのキャラ、また見たい。なんで、そんなことを、と思うような試みを聞きたい。でも、実は絵が上手なんだとわかる、味のあるイラスト、また見たい。伊藤さんのコメント欄に書き込まれる他の人の言葉を読みたい。ちょっとはずしたような返しのコメントをのぞきたい。そして、たぶん、笑いたい。

こばやしきたるさんとchihaya さんの、すてきな手紙も読みました。うれしい、自分の好きな人たちも、伊藤さんのことがスキで。ふたりともといっしょに、みんなで待ってます。

やっぱり長くなったわ、わたしの繰り言手紙。
聞かれてることには全然答えてなくて、マイペースなことばかりを。この、自分のペースで、というのも、私は伊藤さんに影響を受けたんじゃないかと思います。
ごめんね、読むのに疲れたら。まじめに返事しなくていいですから。
では、また。

   お盆明け     あきやまやすこ

(写真は、お見舞いのつもりで。時期は終わってるんですけど、岡山産の白桃は。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?