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【3行短文】 折星かおりさんが書いてくれた感想文 (6編)

折星かおりさんは、毎週、一人をとりあげ、その人の作品への感想文を書かれています。この22日には、私の作品の回でした。

読んだ時の感激は、言葉もないくらいでした。それからずっと、あたたかな感動につつまれています。

折星かおりさん、ありがとうございました。


切り込む 角度や 光が 新鮮
自分の 文章 まぶしく 感じる
発見 のような こそばゆ いような 


乳がん 告知や 棋聖の ニュースに
自分の 選んだ 言葉の 思い出
書いては 泣いたし 感想 読み また


仕事も しながら 作品 読み込み
感想 書き上げ 毎週 発表
誰でも できるこ とじゃない 取り組み


読む人 いるから 読み物 と成れる
*「書き手を 育てる」 読み手の 存在
読まれる だけでも 大きな 励まし
    
    (*水野うたさんの言葉より引用。)


私の ための時 間をと ってくれ
いいとお もうこと を見つけ てくれた
今度は 私が? でも何 ができる?
 

写真か んでする 記念の 撮影
みたいな 特別 感する 経験
よかった あの時 手を挙げ てみたの
書けなく なってた 自分が 遠くに


_____

私は、折星かおりさんの、この取り組みを、ひと月前の、水野うたさんの回に知りました。私の読んだことのある文章を語る、その記事に、圧倒されました。目の付け所、すみずみまで読み込まれたのがしのばれる記述、そして、うたさんの文章に注がれる熱く真摯な内容に。対象となるのが、その熱量と筆力で、いつも私が魅了されている、水野うたさんの作品だったこともあります。

感想文の対象を募集されていたので、少し逡巡したあと、えいやっと手をあげて、お願いしました。

人に読まれる。読まれる人がいて、はじめて、書き物が読み物になる。

折星さんは、6月のあたまにはじめた私の投稿の、しょっぱなから全部読んでくれました。そして、3つの作品を抜き出して、感想を綴ってくれました。

今年いちばんのぜいたくな経験をさせてもらいました。

半年前にnote を始めた頃は、続かないかもしれないのではと、自分が信じられないでいました。ずうっと昔に書いていた詩を、だれかに読んでもらいたいと願っていました。書くことが日常になればいいなと祈るような気持ちでした。感想もなにもなくても、読んだ印さえなくても、満足でした。だれかの目にふれることがある、と思うだけで、二十年以上も書かなかった、書けなかった私は、うれしく思いました。

その半年後。こんなほうびがあるとは。

半年前の私なら、ブルブル震えて、たぶん泣いていた気がします。十年前の私には、おとぎ話の域です。今の私は、震えてはいません。でも、うれしくて、やっぱり目の前がちょっとにじんでいます。

もちろん、そのぜいたくな経験は、日々のコメント欄で、言葉をかけてくれる方たちからもさせてもらっています。思いがけないものも多い、指摘や読み取りに。感想での励ましに。語ってくれる言葉の巧みさに。

折星かおりさん、ありがとう。感想にも、自分のことや、ほかの読み手のことも、こんなふうに振りかえることができたことにも。

ひるんだら飛び込む。迷ったらしてみる。書くことが日常になっている。そういう私でずっといれたらなと思っています。

感謝をこめて。


    ✍🏼     ✍🏼     ✍🏼

水野うたさんの作品の回。

これを目にしたことを、幾重にもありがたく思います。



水野うたさんご本人の感想。

秀逸です。

私の今回の記事に寄せてくれたコメントでも、私本人のお礼より、誠意も真心もあふれていて、指摘することが、折星かおりさんに並ぶ的確さ。そして真摯さ。愛も。

うたさんは、はたから見ると、コメント欄が、自然に記事のようになってしまう人です。内容も熱量も長さも。(それも、ほとんどいつも。)



感想文希望の方は、折星かおりさんの、この記事から。




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