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好きな事を仕事にする「キャンプ場をやりたい!」

自分の理想的な「生き方」が、

「キャンプ場を作る!」

だった。

その夢に向かって全力で走った…。

木を切り…雑草を刈り…地を慣し…芝の種を蒔き…切った分の新しい木の苗や草花を植え…そんな妄想を抱きながらキャンプ場の名前も決めていた。

「grss harp campfield biei」

意味は「草の竪琴」。

風にそよぐ草…サワサワと優しい風に揺れる草花の音が、まるで竪琴の美しい音色のように奏で、キャンプ場を包みこむ…そんな心安らぐ想いを込めたキャンプ場を作りたかった。

でも、突き付けられた「あの場所はお貸し出来ない」という現実。

無理も無い。

役場担当者曰く…あの場所は近隣のダム建設時の残土捨て場で、国が管理している土地。

まず国が管理している時点で交渉対象が町役場ではなく国土交通省。それに宿泊を伴う営業許可を取るには、残土捨て場の関係上、有害な物質が検出されないか地質調査も必要とのこと。

この高い…いや、高過ぎるハードルを超えてやり抜くには、もう私1人の力ではどうにもならず、諦めるしかない現実を受け入れて次の機会を模索するべく、美瑛町の担当者が提案した「国設白金野営場」と「美瑛自然の村」両施設の管理業務を引き受けることに決めた。
ただ、町が管理する公共の施設の場合、必ず公募するのが前提としてある。今回たまたま両施設の管理人が、高齢を理由に退職する為、広報で公募したにも関わらず、期日迄に応募が無かったという「偶然」も味方した形での管理人採用だった。
そこからは、怒涛の如く…自宅の売却、会社に退職願い提出、引越し準備、引越し準備、引越し準備…とまぁ、引越し準備に明け暮れる毎日。そんな中、移住先の美瑛町の配慮で、先ずは住まいの確保という事で空いている町立小学校の教員住宅を家賃格安で提供してくれた。ただ、その教員住宅に永住する事は出来ず、先生方の転出転入の関係もあるので、最大2年間という約束。何はともあれ、住まいは確保したので一安心。

この時、平成19年の冬から春へと確実に移り行く3月を迎えていた。

続く。



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