宣伝会議賞15年目の覚え書き

<はじめに>

いつからか忘れたが、宣伝会議賞で5回結果を出したらこれまでの遍歴をネット上に残そうと考えていた。銀のエンゼル方式である。

ここでいう「結果」とは、贈賞式に参加できること=協賛企業賞の獲得またはファイナリスト以上の成績を残すことである。かつて燃えたぎるほどあったモチベも近年は地の底に沈み、フル応募など夢のまた夢という状況が数年続いているがこのたび奇跡的に受賞に至り、これで第49.56.57.59.61回にて結果を出すことができたと言えるのでこの文章を書いている。

以下は本当にただの自分語りで見るに堪えない部分もあるだろう。過去にコピーを仕事にしたこともなければ今後する予定もない人間のひとりごとでしかない。
主な内容としては、

・各回の取り組みの概要
・受賞コピーと三次通過(旧 最終ノミネート)以上のコピー振り返り

の2点である。各回単独の贈賞式の様子や受賞コピー分析などは他の方が書いているものが見つかるのでそちらに任せることとして、何年かを横断的に俯瞰したものはあまりないだろうということで書いてみたがややボリューミーになってしまった。結果ただの自分語りになってしまい俯瞰も何もないのだがそこはご容赦いただきたい。
読んで参考になることはほぼないであろうがそんなことは気にせず、自分のnoteだし好きなように書くのだ。こんな文章じゃなくて猫ミームのショート動画でまとめた方が時代に合っているのだろうけど、だらだらと長文を書く方が好きなのでしょうがない。

本音としては、せっかくならグランプリかゴールドでの卒業を期にこういう文章を出したかったが、死ぬまでに達成できるか怪しいのでもう出してしまうことにした。

<15年間のまとめ>

★→協賛企業賞orファイナリスト以上
※一次の本数は手作業での集計のため正確じゃないかもしれない
※二次と三次の本数はSKAT調べるのが面倒なため表記しない
※(フル)→フル応募だが、CMは書いてないのでCMのみの課題は除外

第47回 提出20本 一次1本
第48回 提出450本 一次14本
第49回 提出2300本 一次72本 ★★協賛企業賞ダブル
第50回 提出1500本(フル) 一次40本
第51回 提出2000本(フル) 一次54本
第52回 提出2050本(フル) 一次47本
第53回 提出2200本(フル) 一次45本
(第54回 不参加)
(第55回 不参加)
第56回 提出2650本(フル) 一次69本 ★ファイナリスト
第57回 提出3500本(フル) 一次82本 ★シルバー
第58回 提出2300本(フル) 一次35本
第59回 提出450本 一次16本 ★協賛企業賞
第60回 提出1200本 一次23本
第61回 提出100本 一次2本 ★協賛企業賞

<第47回 SKAT9 提出20本→一次1本>

初挑戦。書店で偶然SKAT8と出会い、これは面白いと思って購入。コピーなんて書いたこともないしSKATを読んでも自分が応募する側になるなんて夢にも思っていなかったが、日を追うごとにコピーを書いてみたいという気持ちがふつふつと沸き上がってきてコピーライター養成講座基礎コースに申し込んだ。
宣伝会議賞締め切り直前の時点ではコピーを書く課題を1回しかこなしていなかったため素人そのものの状態だったが、同じクラスの何名かがどうやら応募するらしいと知って自分も挑戦することにした。とはいっても課題に対してどんなコピーを書けばいいのかわかるはずもなく、他の人が平均何本出すのかも知らない状態で、必死に20本考えて提出。なぜか一次1本通過。初めて雑誌に名前が載ったが、何の感慨もなかった。講座の同期が協賛企業賞を受賞した悔しさの方が強かったからだ。これは自分も受賞するまで続けねばならない。沼へ足を踏み入れた瞬間だった。
今考えると「SKAT面白い→宣伝会議賞に参加してみたいけどコピー書いたことない→じゃあ講座に通おう」という順番はかなり変な気がする。

<第48回 SKAT10 提出450本→一次14本>

基礎コースを卒業し上級コースも終盤を迎えた時期。最終的に金の鉛筆を基礎で7本と上級で10本獲得、実力的には受賞してもおかしくないだろうと思い込んでいた。そして受賞者たちは数千本という単位で提出していることを知り、じゃあ自分は1万本提出してやろうと意気込んでいた。
が、そんなタイミングで講座の同期に「これ面白いっすよ」と勧められた「けいおん!」という漫画にドハマりしたことで関連するコンテンツを追う日々が始まり、最終的に諸悪の根源たるニコニコ動画に辿り着いてしまう。このころのニコ動は大変な盛り上がりを見せており、アニメMAD、ゲーム実況、歌ってみた、踊ってみたなどなど、自分好みの動画が次々アップロードされていく毎日。今思うと完全に罠だった。コピーを書くべき時間を全てニコ動の視聴に費やすというゴミ人間ムーブをかましてしまい、1万本書くと決意していたのに450本で終了。一次14本。二次なし。さらに上級コースの同期が4人も協賛企業賞を受賞したという事実が後悔に追い打ちをかける。

<第49回 SKAT11 提出2300本→一次72本→協賛企業賞ダブル>

さすがに前回の失態を取り返さねばならないと決意し、応募期間前から過去受賞作の分析などを重ねて挑んだ。2か月間集中力が途切れることはなく、平日は5時間、休日は10時間書き続けた。その結果、2300本提出からの一次72本、最終ノミネート(当時は二次通過の上が最終ノミネートで、今の三次通過よりも本数が少ないためかなり嬉しい結果)2本、協賛企業賞2本と大爆発。初めての贈賞式は華やかな場であり、これは毎年来なければならないと決意したものの…

コピーの質、集中力、結果ともにこの49回が人生のピークである。一次通過作品も満足いくものが多く、いま見返しても自分が書いたコピーとは思えないほどだ。応募期間のラスト10日くらい「これは何かゾーンに入ってるな」という感覚を抱きながら書いていた記憶がある。そんな経験は後にも先にもこの時だけで、いまだにこの時の幻想を追い求めて宣伝会議賞に取り組んでいるが、もう二度とこんな感覚は捉えられないだろうなーと思っている。

[第49回 協賛企業賞] 牛乳石鹸 牛乳石鹸赤箱のコピー

小さくなっていく幸せがある。
普通は幸せって大きくなっていくよね、でも石鹸が小さくなっていく家庭ってそこに幸せな日常生活が感じられるよね、みたいな考えで書いた。商品が本来持つ「手や体をきれいにする機能」から離れて、液体石鹼と比較した際の固形石鹸の意義まで思考を飛ばせたのがよかった。なんかまどろっこしい感もあるけど当時の牛乳石鹸の広報担当者も気に入ってくれてたので思い出深い一本。

[第49回 協賛企業賞] エキサイト エキサイトをスタートページに設定してもらうコピー

エキサイトしすぎて、背後の課長に気づかなかった。
社名をいじることがヤフーやグーグルとの差別化につながるだろうという読み、サイトを見るのに熱中している場面を描くのがよさそう、「課長や部長は敵として登場させるといい」という過去のSKAT分析がそれぞれ噛み合ってできたコピー。よく書けてる。家とか大学とかネカフェとか、場面を変えた似たようなシチュエーションのコピーを数十本提出した記憶がある。

[第49回 最終ノミネート] 京阪電鉄 京阪電鉄のイメージコピー

その車内には、会社に向かう人と、世界遺産に向かう人がいた。
え待って美しい…(自画自賛)
なにこの小説の書き出しみたいなワクワク感!京阪電車は住んでる人にとっては日常なのに、旅行に来た人にとっては非日常へ案内する役割を果たしているという二面性がある。それは鉄道会社として独自のポジションだろうという切り口を発見して小洒落た表現に落とし込めた数少ない例で、今見てもよく書けていると思う。宣伝会議賞にトータル2万本くらい提出してきた中でも一番好きなコピー。

[第49回 最終ノミネート] 牛乳石鹸赤箱のコピー

ひとつくらい、家族みんなで使うものがあってもいい。
2009年当時は、テレビや音響機器が一人一台になった時代を経てスマホが普及し始めて、いよいよ家庭内でひとつのものを共有するということがなくなってきたという時代。でもこの石鹸は家庭にひとつあれば赤ちゃんから高齢の方まで家族みんなで使えるよね、という見えない対比が込められている。伝わってるのかどうかは別として、よく石鹸と時代背景を絡めてコピーを書くという発想に至ったなという感じ。

<第50回 SKAT12 提出1500本フル→一次40本>

この年からレギュレーションが大きく変更となる。無制限だった応募本数は各課題30本まで(この回は50課題だったのでフル応募で1500本)、また紙での応募からウェブ応募に切り替わった。今でこそフルで4000本とかもある時代だが、まだ今ほどこの賞自体が過熱していなかったので、フル応募する人は少なかったと思う。当時はSNSで情報を得るという風潮もなかったので、他の人の取り組み具合を知る手段が少なくて知らなかっただけかもしれない。意外とみんなフル書いてたのかもね。
そんな中での取り組みは、ちょうど転職活動と時期がかぶってしまったので思うように時間が取れず、締め切りぎりぎりに1500本に到達するのが精いっぱいで、コピーの質もひどいものだった。とはいえ前回の結果が良かったので連続受賞を期待していただけに、一次40本で受賞なしの結果はかなり堪えた。この年が長いトンネルの始まりだった。
ちなみに1課題30本制限はこの50回だけだったと記憶しているが、10年以上前の話なので間違っているかもしれない。

[第50回 三次通過] トーマツイノベーション 中小企業の社長を支援するサービスのコピー

社長だって、社長になるのは、初めてです。
だいたいの社長に当てはまるのかもしれないが、子会社の社長を経て本社の社長になるケースとかもあるので嘘くさいなーと思いながら書いていた。発想は悪くないが、読点の打ち方がキモくてイヤ。

<第51回 SKAT13 提出2000本フル→一次54本>

50回まではコンスタントに50以上の協賛企業がおり、多い年は70を超える企業が協賛していたはずであるのだが、この回あたりから協賛企業数の減少が目立つようになってきた。その影響か、ひとつの課題の応募上限が30本から50本に引き上げられた。
51回は集中を妨げる事項もなくかなり前向きに取り組んだ…いや記憶違いだ。この年はファミレスでコピーを書くことが多かったが集中力を欠いていた。せっかく早起きして午前中からコピーを書き始めても昼からビールを飲んでしまってそのまま居酒屋に突入するというゴミ人間ムーブをかましてしまい、当然のように結果も出なかった。一応フル応募で50本以上の一次通過はあったがそれだけ。自分には酒の力を借りてコピーを書くという行為は向いていなかった。

<第52回 SKAT14 提出2050本フル→一次47本>

初受賞以降、2回連続で贈賞式から遠ざかっている。そろそろ本気を出さねばなるまいと気合いを入れていた夏頃、あるニュースが目に飛び込んできた。「宣伝会議賞公式ブロガー募集」。確かに思い返すと、当時の宣伝会議賞を盛り上げる企画として、事務局主催でブロガーを募集していた数年間があった気がする。参加ブロガーから毎年のように受賞者が出ていたことから、何かを変えないと受賞できないのではないかと焦りがあったためこの公式ブロガー情報に飛びついてしまい、幸か不幸か選考を突破してブロガーになってしまった。
選ばれたのはいいものの困ってしまった。この公式ブログ、かなり多くの読者がいたはずである。自分も毎年各参加者のブログを読んでいたが、せっかくの公式企画なのに更新頻度が少ない参加者のブログをチェックしては「あーあこいつ更新も少ないし内容もつまんねえし何で立候補したんだよ」などと悪態をついていたのだ。自分はそんなこと思われたくない。これは頑張って書かねばなるまい。
そしてこの52回、あろうことかコピーよりもブログに力を入れるという本末転倒なゴミ人間ムーブをかましてしまい、一次47本からの受賞なしというここ数回お決まりの結果に終わってしまう。
その後、贈賞式から遠ざかりすぎているくせにブログでイキリ散らしていた事実が恥ずかしくなり、ブログはアカウントごと削除した。このnoteもいつ削除するかわからない。

<第53回 SKAT15 提出2200本フル→一次45本>

ほとんど記憶がない。一応フル応募して40本以上の一次通過という記録は残っているが、モチベーションはなく惰性で書いていたのであろう。過去の経験から今回は真面目に取り組もうと、早起きして出社前にカフェに寄って書き、帰りもカフェに寄って書き、という習慣はついてフルまで完走したものの結果は相変わらず。1次40本超えは毎回達成するがそんなものに価値を感じてはいない。贈賞式に呼ばれなければ何の意味もない。もう疲れた。

[第53回 三次通過] クレディセゾン 現金よりもクレジットカードを使ってもらうためのコピー

明細がないと、反省もできない。
よくわからん。たぶん現金とカードの対比で、現金が減っても明細は残らないけどカードは明細があるから収支を管理しやすいのがメリットですよと言いたいんだと思う。ただパッと見て「え?何のコピー?」と思ってしまうのであんまりいいコピーではないのだろう。

<第54回 不参加>

9月はコピーを書き進めていたが、結果の出ない年が続いたことでモチベーションも自信もどん底まで落ちており、「フル応募したところでどうせ贈賞式に呼ばれないんだから、コピーなんて書いて何の意味があるのか」という闇の思考に飲まれて応募を辞めることにした。この頃は「フル応募か、さもなくば不参加か」のような極端な思想を持っていたために書き溜めていたコピーを提出することもなかった。今思うと数百本でも出せばよかった。まあ当時は、通過リストに名前はあるのに通過数が少ない、ということを知られるのが耐えられなかったのだろう。宣伝会議賞のない9月10月は雨が多かった。

<第55回 不参加>

もう当時は贈賞式に行きたいという欲求よりも、フル応募したのに贈賞式の連絡が来ないという絶望を味わいたくない、という逃げの気持ちのほうが強かった。事実、贈賞式を忘れて過ごす日々はプレッシャーがなく、もはや宣伝会議賞は体調に良くないのではないかという気さえしていた。
2年の不参加の間に、古くからの知り合いはどんどん結果を出して宣伝会議賞から卒業して広告業界で活躍していたり、新しい受賞者も続々増えてきていた。もう完全に部外者の気分で、自分はこのまま二度と参加しないのであろう、さようなら宣伝会議賞。そう思っていた。

<第56回 SKAT18 提出2650本フル→一次69本→ファイナリスト>

思いがけず東京から地元に戻ることになった。7月頃だったか、なんとなく立ち寄った書店で55回のSKAT17が目に入る。もはや懐かしい、俺の人生の一時期に深い爪痕を残したあのSKATではないか。完全に引退の気分でいたため軽い気持ちでそれを手に取った。こう見えても俺はかつて協賛2本を獲得したこともある男、受賞作に上からアドバイスをしてやろうではないか。
そこで目にしたのは、中高生部門のまばゆいばかりの強烈なコピーの数々であった。モチベーションの回復というのは一瞬で起こるものである。謎に感動してしまい、SKAT17を購入して書店近くのモスに入り浸り、数時間SKATを読みふける迷惑客と化した。
9月1日、課題発表。フル応募は2700本。CM課題に取り組む気はない。であれば2650本。かつての俺なら問題なく達成できる本数だ。と思っていた。が…書けない。2年のブランクは俺からコピーの基本を奪い去っていた。が、やるならフル応募か不参加か。参加すると決めたからにはフル応募しかないのだ。毎日ログインしていた艦これからきっぱり足を洗った。
結果は一次69本。通過本数は第2位。からのファイナリスト。初挑戦から10年、初めてファイナリストになることができた。もう完全に自分とは無関係と思われた贈賞式にも参加できた。もう離しはしない。必ず来年も戻ってくる。それが特大のフラグだとも知らず、決意を新たにした2019年3月であった。

[第56回 ファイナリスト] 東急建設 企業広告

私たちがいる限り、渋谷は完成しない。
他の大手ゼネコンと東急建設を比較した時に、東急沿線の発展に貢献している建設会社であるというのはあるのだが、東急沿線といっても東京在住の人ですらピンと来ないだろうと考え、思い切って一番有名なランドマークである渋谷に振り切ったコピーを書こうと方向性を決めた。
東京に住んでいた時によく利用していた渋谷駅は、常に工事中であり気づいたら新しい建物が完成していて、その流れは現在も続いている。工事中のフェンスを見ながら「あー渋谷駅がずっと工事中で発展を続けているっていうのは東急建設の社員にとって誇らしいことなのではないか?だから会社からの決意みたいなメッセージ性のある言葉を見つけよう」という切り口が浮かんだことで書けたコピー。
さすがに初のファイナリスト作品ということで思い入れは強い。今でもたまに渋谷に行くことがあり、工事が続いている様子を見ると心の中で「いやー相変わらず渋谷は完成しないねえ!」と思っているのでいいコピーなんだと思う。ちなみにウォルト・ディズニーの名言として「ディズニーランドは永遠に完成しない。この世界に想像力が残っている限り、成長し続ける」という言葉があると知ったのは受賞後だった。61回グランプリもそうだったように、すでにある言葉の一部を変更してコピーにするというのは通過しやすい手法な気がしている。

[第56回 三次通過] サントリー 伊右衛門のコピー

上司の「何か飲み物買ってきて」には、正解がある。
何だっけ、あるだけで会議のレベルが上がるお茶、みたいな方向で書こうと考えて会社ネタで何かないかと思って出てきたのかな。ピンと来ないし正解だとも思えない。

[第56回 三次通過] 日本アルコン コンタクトレンズ洗浄液エーオーセプトクリアケアのコピー

オートマに慣れたら、マニュアルには戻れない。
手を使って洗わなくても液に入れておくだけでいいというメリットを伝えたかったが、オートマとかマニュアルとかのワードがあまりにコンタクトとかけ離れていてわかりにくい。説明がないと何のコピーかわからない。ダメ。こんなんよりもっといい未通過のコピーが何本もあったはずなのに、ほんと審査の基準というのはわからないものだ。

[第56回 三次通過] バスクリンのコピー

鼻歌が、いい匂い。
バスクリンを入れるとお風呂を五感で楽しめる的なことを書こうとしていて、「視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚かあ、他はともかく味覚は関係ないから五感は言い過ぎだなー、ん?聴覚も関係なくね?…いや、風呂で聴覚といえば何かありそうだな」みたいな掘り下げをして書いたコピー。
鼻歌で聴覚の気持ちよさ、いい匂いで嗅覚の気持ちよさを盛り込み、バスクリンを入れた風呂の雰囲気を短い文字数で表現できたのでこのコピーに関しては満足している。

<第57回 SKAT19 提出3500本フル→一次82本→シルバー>

確かこの回は協賛企業数が減った影響か、課題ごとの応募上限が100本となった最初の年のはずである。ということはフルで3600本。最終的に協賛企業の辞退で3500本になったと記憶している。
この回も好調は続き、フル応募で通過数第3位となる一次82本からのファイナリスト、そしてシルバー受賞となった。が、その最終結果を知ったのは贈賞式の華やかな壇上ではなく、自宅PC前でだった。コロナウイルスによる史上初の贈賞式中止。奇しくも自分史上最高の結果を出した回、そして唯一の、壇上で賞状を受け取るチャンスであったはずの回。中止の影響か、メダルは郵送されてきたものの賞状は未だに手元にない。花粉症とは無縁なはずの北の大地で、私はひとり目をこすっていた。

まあ今になってみると、SKAT18、19あたりはどのページをめくっても自分の名前があるような錯覚に陥るほどの通過数で、自分がこのSKATの約1%を占めているのだと思うと笑いが止まらない。今でもニヤニヤしながら読み返すのはこの2冊とSKAT11だったりする。データベース化された今の時代、この楽しみ方ができないのがモチベ減少の一因であることは間違いない。

[第57回 シルバー] 日本情報経済社会推進協会 プライバシーマークのコピー

「あの流出した会社」で有名にならないために。
プライバシーマークを一般の人にもっと知ってもらう、プライバシーマークを企業にもっと使ってもらう、のどちらかの方向で考えていた。
思い浮かんだのは、前年の協賛企業だった宅ふぁいる便の会社から情報流出してしまいサービスが終了したこと。今や宅ふぁいる便を思い返すと、便利なサービスだったというより情報流出で終了したサービスというイメージになってしまった。なので、企業向けに流出の恐ろしさを伝えるコピーを考えることにした。切り口からワード出し、思考の順番が綺麗にハマってシルバーまで行けた。
3500本提出して自信作もたくさんあった中でこれが一番評価されたというのは自分では理解できないが、宣伝会議賞とはそういうものだ。だからこそ本数を書くことは大切である。と今の自分に言ってやりたい。

[第57回 三次通過] サントリー クラフトボスのコピー

ボスに口紅つけちゃった。
商品を擬人化しただけの安易なコピー。商品の価値を上げていない。たぶん缶コーヒーはおっさんのイメージで、クラフトボスは女性でも飲みやすいみたいなことを意識して書いたのかもしれないが、コンプライアンス的にもアウトだろ。時代に合ってない。口紅って表現も古すぎる。昭和歌謡か。こんなもん三次に残してほしくなかった。

<第58回 SKAT20 提出2300本フル→一次35本>

この回もフル応募は達成したが、どうもモチベーションが上がらない。完全に言い訳だが、仕事が忙しくなったことでコピーに集中できない日が続いていた。課題もなんだか難しく感じ、2か月間を通じて手ごたえのようなものを感じる日が全くなかった。何より長い自粛生活によって体力の低下を感じていて、長時間机に向かうことができない日が多かった。結果も予想通り。過去最低の一次通過率を叩き出してしまい、贈賞式にも行けなかった。また長いトンネルに入る予感がしていた。

<第59回 SKAT21オンライン 提出450本→一次16本→協賛企業賞>

また言い訳から入るが仕事が忙しく、それに加えて自身の体調不良などが重なり、コピーに集中できない日々が続いた。俺がきつい日々から逃げるようにコピーを書くような人間であればもっと受賞しているはずで、残念ながら逃げるようにウマ娘のアプリに熱中した。さらにそこからリアル競馬に興味を持ち始めて応募期間の2か月は秋のG1にハマるというゴミ人間ムーブをかましてしまい、締め切りまでに入力したコピーはわずか450本。応募上限が設定されて以来初めて、参加したのにフル応募じゃないという状況になってしまった。まあ結果が出なくても今回はほぼ不参加だったと言い訳すればいい、というような気楽な気分で受賞連絡シーズンを迎えた。
ところがまさかの協賛企業賞である。人生何が起こるかわからない。おそらくこれは、50~53回の4年連続フル応募からの受賞なし期間で宣伝会議賞ログインボーナスが溜まっており、それが今になって還元されたみたいなものだろう。長く続けていればこんなこともあるのだ。本当は4度目のはずだった3度目の贈賞式は相変わらず甘美な時間であった。

[第59回 協賛企業賞] プラスアルファ・コンサルティング 見える化エンジンのコピー

お客様の声に、目を傾けよう。
これは第一感で浮かんだコピー。アンケートのテキストデータからお客様の声、よくある言い回しの耳を傾ける、ビジュアル化するから耳じゃなく目、みたいにパッと思いついた。この年はコピー書き始めた初日に受賞作ができた珍しいケース。ここまで読んだ方はわかると思うが、瞬時に思いついたように見えても、10年以上にわたり宣伝会議賞の課題との向き合い方を考えてきた末の思いつきなので誰でもすぐ書けるわけではないだろう。とはいえシンプルなコピーゆえにもう一名も全く同じコピーを書いており、同時受賞という形になった。

<第60回 SKATデータベース 提出1200本→一次22本>

前回に引き続きモチベ上がらず。相変わらず仕事に意識を持っていかれて集中しきれず、やる気スイッチも行方不明。この9月10月は秋競馬に加えて麻雀Mリーグ視聴にハマり、さらには新発売のスプラトゥーン3やポケモンSVなどの誘惑に負けるという小学生未満の自制心のなさに足を引っ張られ、1200本提出で受賞なし。残念でもないし当然の結果である。悔しがる権利すらない。
そしてご存じのように、常連の受賞者は協賛ファイナル合わせて3本4本受賞が当たり前のようなとんでもない時代に突入してしまい、もう宣伝会議賞老害の出る幕はないな、とメンタルはほぼ引退気味である。みんなコピー上手すぎて勝負できる気がしない。と思っていた。

<第61回 SKATデータベース 提出100本→一次2本→協賛企業賞>

取り組んだのは3日間で合計3時間。あまりにコピーが書けなくて嫌になって早々に全てを投げ出してリタイヤ。取り組み方として終わっている。なんで協賛企業賞に手が届いたのか謎すぎる。贈賞式でさんざん「ずるい」「ラッキーすぎる」との声をいただいたが、自分が一番そう思っている。ほんとすいません。
4回目の贈賞式。いつもなら受付開始時間前に入り口が開放されて他の受賞者と交流できたはずだが、今回は時間ぴったりに開場したためご挨拶できない方もたくさんいたのが心残りである。

[第61回 協賛企業賞] イー・スピリッツ キャスティングのコピー

キャスティングを、ギャンブルにしない。
キャスティングには、大ヒットを狙う方向と、炎上しないなどトラブル回避を重視する方向の2種類があると考えた。両方書いたがトラブル回避のほうがしっくり来たので深掘りして、ギャンブルという単語にたどり着いた。キャとギャの響きが似ているという単純な理由で採用。かつてないほどシンプルな思考回路で受賞できた気がする。
このコピーは5名同時受賞であり、その事実を知ったときは「ありきたりなコピーを書いてしまったか」と思ったが、その顔ぶれを知ったときは「むしろ実力者たちと同じコピーに到達できたのは名誉なことだ」と感じた。いろいろとラッキーが重なった受賞だった。

<まとめ>

以上が宣伝会議賞との関わりの歴史である。過去の自分にひと声かけるとすれば、「ふざけるのもいい加減にしろよ」だろうか。宣伝会議賞に対する姿勢が不真面目な回が多すぎる。オタクコンテンツに逃げ、ブログに逃げ、競馬に逃げ続けている応募者の末路が今の私である。でも逃げながら勝ちたい。パンサラッサになりたい。

総括すると、今でも集中して取り組めれば受賞の可能性はワンチャンある、しかし肝心の集中力が欠けている年が多すぎる、という状況である。いや、ワンチャンなどもうないかもしれない。心のどこかで「本気出せば受賞できるし」と思っている自分がいるがもう長いこと本気を出しておらず、そうこうしているうちに本気の出し方を忘れたからだ。58回以降、3次通過すらできなくなっているのは本当にただの実力不足である。

また、フル応募したにもかかわらず贈賞式に届かなかった回が何度かあり、もうその絶望を味わうのは嫌だ、とも思っている。62回に参加するかどうかはわからないが、取り組むのであれば全盛期のような集中力を取り戻したいものだ。任天堂が秋にキラーコンテンツを発売しないことを願うばかりである。

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