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もしも沢村賞が始めから両リーグ対象だったら

皆さん初めまして、ヤキグラです。
いつかやってみたいと思っていたnote、やりたいという気持ちだけはあるものの特にテーマが思いつかなかったので、過去に某掲示板に立てたスレを再編集して投稿したいと思います。
ぜひ最後まで見ていってください。


概要

2022年の沢村賞が発表され、山本由伸(オリックス)が2年連続の受賞となりました。
そんな沢村賞、現在は両リーグの先発投手を対象に表彰していますが、実は1988年まではセリーグの投手のみが対象だったのはご存じでしょうか。
そこで、もし沢村賞が最初から両リーグ対象だったら誰が受賞していたのか自分の独断で選んでみました(これを新沢村賞と名付けています)。
まずパリーグの候補を選出し、実際の沢村賞受賞者と比較して新沢村賞を決めてみました。

まず参考に沢村賞選考基準と1リーグ時代の受賞者を紹介します。
一番右の数字は選考基準達成項目数です。(選考基準は1982年に誕生)

沢村賞選考基準
25登板 10完投 15勝 勝率.600 200回 150奪三振 防御率2.50

1947年
別所 昭(南海) 
55登板 47完投 30勝19敗 勝率.612 448.1回 191奪三振 防御率1.86 7/7

1948年
中尾 碩志(巨人) 
47登板 25完投 27勝12敗 勝率.692 343回 187奪三振 防御率1.84 7/7

1949年
藤本 英雄
(巨人) 
39登板 29完投 24勝7敗 勝率.774 288回 137奪三振 防御率1.94 6/7

新沢村賞発表

いよいよ、ここから新沢村賞の発表になります。
簡単な解説も加えています。(太字が新沢村賞受賞者です。)

1950年代

1950年
真田 重男(松竹)
61登板 28完投 39勝12敗 勝率.765 395.2回 191奪三振 防御率3.05 6/7
荒巻 淳(毎日)
48登板 16完投 26勝  8敗 勝率.765 274.2回 150奪三振 防御率2.06 7/7

初代新沢村賞は松竹のエース真田重男が受賞。
荒巻はルーキーながら最多勝、最優秀防御率のタイトルを獲得した。
達成項目数は荒巻が上だが、現在もセリーグ記録であるシーズン39勝を考慮し真田を選出した。

1951年
杉下 茂(名古屋)
58登板 15完投 28勝13敗 勝率.683 290.1回 147奪三振 防御率2.35 6/7
江藤 正(南海)
45登板 17完投 24勝  5敗 勝率.828 268.2回 100奪三振 防御率2.28 6/7

パリーグ初の新沢村賞は江藤正。
3年目のこの年に自身初の20勝を記録したが、その後成績は下降し1955年に引退。
この年の杉下と江藤でどちらを選ぶかが今回一番悩んだ。

1952年
杉下 茂(名古屋)
61登板 25完投 32勝14敗 勝率.696 355.2回 160奪三振 防御率2.33 7/7
野口 正明(西鉄) 
45登板 15完投 23勝12敗 勝率.657 260.1回 75奪三振 防御率2.59 6/7

「フォークの神様」杉下茂が新沢村賞初受賞。
90歳を超えた今でも春季キャンプでコーチを務める姿はまさにレジェンド。
野口はこの年から創設された最多勝のタイトルを獲得したが、怪我により1954年に引退した。

1953年
大友 工(巨人)
43登板 22完投 27勝 6敗 勝率.818 281.1回 173奪三振 防御率1.85 7/7
川崎 徳次(西鉄) 
47登板 18完投 24勝15敗 勝率.615 294.1回 110奪三振 防御率1.98 6/7

1950年代に巨人で活躍した大友が初受賞。
この年の日米野球では日本人で初めてメジャー球団相手に完投勝利を挙げた。
川崎はこの年にナックルボールをマスターし、最多勝と最優秀防御率を獲得した。

1954年
杉下 茂(中日)
63登板 27完投 32勝12敗 勝率.727 395.1回 273奪三振 防御率1.39 7/7
宅和 本司(南海) 
60登板 15完投 26勝 9敗 勝率.743 329.2回 275奪三振 防御率1.58 7/7

杉下が二度目の新沢村賞受賞。
2リーグ分立後では初となる投手五冠を達成した。
宅和はルーキーながら素晴らしい活躍で、275奪三振のパリーグ記録(当時)を樹立した。

1955年
別所 毅彦(巨人)
50登板 17完投 23勝8敗 勝率.742 312.0回 152奪三振 防御率1.33 7/7
中村 大成(南海)
51登板 10完投 23勝4敗 勝率.852 269.2回 160奪三振 防御率2.13 7/7

1リーグ時代に獲得している別所が2度目の受賞。
通算5位となる4350.2回を投げたが、肩・ひじの故障とは無縁であった。
中村はこの年以外二桁勝利も規定到達もしていないという、なかなかの一発屋。

1956年
金田 正一(国鉄)
68登板 24完投 25勝20敗 勝率.556 367.1回 316奪三振 防御率1.74 6/7
稲尾 和久(西鉄)
61登板 6完投 21勝 6敗 勝率.778 262.1回 182奪三振 防御率1.06 6/7

昭和のセパを代表する二人のエースの争い。
唯一の400勝投手金田が7年目で初受賞。
稲尾は高卒ルーキーとは思えぬ活躍を見せ、防御率1.06は現在もパリーグ記録である。

1957年
金田 正一(国鉄)
61登板 25完投 28勝16敗 勝率.636 353.0回 306奪三振 防御率1.63 7/7
稲尾 和久(西鉄)
68登板 20完投 35勝 6敗 勝率.854 373.2回 288奪三振 防御率1.37 7/7

二年連続で金田と稲尾の争いとなったこの年。
稲尾は田中将大に抜かれるまで日本記録だった20連勝などの活躍で、史上最年少MVPを受賞。
金田はこの年、現在も左腕では唯一となる完全試合を達成した。

1958年
金田 正一(国鉄)
56登板 22完投 31勝14敗 勝率.689 332.1回 311奪三振 防御率1.30 7/7
稲尾 和久(西鉄)
72登板 19完投 33勝10敗 勝率.767 373.0回 334奪三振 防御率1.42 7/7

現実では金田が三年連続で沢村賞を受賞したが、パのNo.1も三年連続で稲尾だった。
この年の日本シリーズであの「神様、仏様、稲尾様」が誕生。
金田は64.1イニング連続無失点の日本記録を樹立した。

1959年
村山 実(大阪)
54登板 19完投 18勝10敗 勝率.643 295.1回 294奪三振 防御率1.19 7/7
杉浦 忠(南海)
69登板 19完投 38勝 4敗 勝率.905 371.1回 336奪三振 防御率1.40 7/7

史上最強のアンダースローと呼ばれる杉浦忠が初受賞。
杉下以来の投手五冠を達成、日本シリーズでは4連投4連勝を成し遂げた。
村山はルーキーで最優秀防御率を獲得したが、この年の天覧試合で長嶋にサヨナラHRを打たれている。

1960年代

1960年
堀本 律雄(巨人)
69登板 26完投 29勝18敗 勝率.617 364.2回 210奪三振 防御率2.00 7/7
小野 正一(大毎)
67登板 13完投 33勝11敗 勝率.750 304.0回 258奪三振 防御率1.98 7/7

大毎のエース小野が初受賞。
大毎はこの年にプロ野球記録となる18連勝を成し遂げるが、小野はうち15試合に登板、10勝を挙げている。
ルーキー堀本は最多勝を獲得、この時代はルーキーの活躍が著しかった。

1961年
権藤 博(中日)
69登板 32完投 35勝19敗 勝率.648 429.1回 310奪三振 防御率1.70 7/7
稲尾 和久(西鉄)
78登板 25完投 42勝14敗 勝率.750 404.0回 353奪三振 防御率1.69 7/7

鉄腕稲尾が最多となる3度目の新沢村賞受賞。
スタルヒンに並ぶプロ野球記録となるシーズン42勝を達成した。
権藤といえば「権藤、権藤、雨、権藤」だが実際は「権藤、権藤、権藤、権藤、権藤」もあったらしい。

1962年
小山 正明(阪神)
47登板 26完投 27勝11敗 勝率.711 352.2回 270奪三振 防御率1.66 7/7 
稲尾 和久(西鉄)
57登板 23完投 25勝18敗 勝率.581 320.2回 228奪三振 防御率2.30 6/7

「投げる精密機械」小山が初受賞。
リーグ記録の5試合連続完封を含む13完封などの活躍で、村山との2本柱でリーグ優勝に貢献した。
稲尾はこの年に通算200勝を達成、プロ7年目での達成は史上最速であった。

1963年
伊藤 芳明(巨人)
39登板 18完投 19勝 8敗 勝率.704 236.1回 166奪三振 防御率1.90 7/7
稲尾 和久(西鉄)
74登板 24完投 28勝16敗 勝率.636 386.0回 226奪三振 防御率2.54 6/7

60年代前半の巨人を支えた伊藤が初受賞。
1959年には巨人では唯一の新人開幕投手を務めている。
稲尾はルーキーイヤーからこの年までの8年間ですべて20勝以上を挙げ、平均345イニングを投げている。

1964年
バッキー(阪神)
46登板 24完投 29勝 9敗 勝率.763 353.1回 200奪三振 防御率1.89 7/7 
小山 正明(東京)
53登板 25完投 30勝12敗 勝率.714 361.1回 193奪三振 防御率2.47 7/7

バッキーが外国人として初めての受賞。
最多勝、最優秀防御率を獲得し、リーグ優勝に貢献した。
この年から東京に移籍した小山は、パームボールを駆使し最多勝を獲得した。

1965年
村山 実(阪神)
39登板 26完投 25勝13敗 勝率.658 307.2回 205奪三振 防御率1.96 7/7
尾崎 行雄(東映)
61登板 26完投 27勝12敗 勝率.692 378.0回 259奪三振 防御率1.88 7/7

"怪童”と呼ばれた尾崎が初受賞。
投球のほとんどがストレートで、その球速は160kmあったともいわれている。
村山は怪我の影響で初登板が5月でありながら、勝利数・完投数・投球回でリーグ1位だった。

1966年
村山 実(阪神)
38登板 24完投 24勝 9敗 勝率.727 290.1回 207奪三振 防御率1.55 7/7
堀内 恒夫(巨人)
33登板 14完投 16勝 2敗 勝率.889 181.0回 117奪三振 防御率1.39 5/7 
田中 勉(西鉄)
56登板 13完投 23勝12敗 勝率.657 296.1回 217奪三振 防御率2.34 7/7

沢村賞史上初のダブル受賞となったこの年。
堀内は高い勝率と高卒ルーキーであることが考慮され選出された。
田中はこの年に完全試合を達成しているが、1970年に黒い霧事件により逮捕されている。

1967年
小川 健太郎(中日)
55登板 16完投 29勝12敗 勝率.707 279.2回 178奪三振 防御率2.51 6/7
池永 正明(西鉄)
54登板 19完投 23勝14敗 勝率.622 335.1回 203奪三振 防御率2.31 7/7

稲尾の後継者と呼ばれた池永が初受賞。
小川はアンダー、サイド、オーバースローを使い分ける技巧派投手であった。
奇しくもこの年は、3年後に黒い霧事件で永久追放処分を受ける2人の争いとなった(池永はのちに処分解除)。

1968年
江夏 豊(阪神)
49登板 26完投 25勝12敗 勝率.676 329.0回 401奪三振 防御率2.13 7/7
皆川 睦男(南海)
56登板 27完投 31勝10敗 勝率.756 352.1回 193奪三振 防御率1.61 7/7

日本記録の401奪三振を記録した江夏が初受賞。
記録更新となった354個目の三振は、ライバルであった王貞治から意図的に奪った。
皆川は自身初のシーズン30勝を達成、この年の皆川以降で30勝を達成した投手はいない。

1969年
高橋 一三(巨人)
45登板 19完投 22勝 5敗 勝率.815 256.0回 221奪三振 防御率2.21 7/7
鈴木 啓示(近鉄)
46登板 28完投 24勝13敗 勝率.649 330.2回 286奪三振 防御率2.50 7/7

"草魂"鈴木啓示が初受賞。
鈴木は1967~72年まで6年連続で最多奪三振を獲得し「セの江夏、パの鈴木」と並び称された。
高橋はこの年にスクリューを習得し、最多勝、最高勝率のタイトルを獲得した。

1970年代

1970年
平松 政次(大洋)
51登板 23完投 25勝19敗 勝率.568 332.2回 182奪三振 防御率1.95 6/7
木樽 正明(ロッテ)
42登板 20完投 21勝10敗 勝率.677 278.0回 161奪三振 防御率2.53 6/7

「カミソリシュート」平松が初受賞。
巨人キラーとして知られ、通算201勝のうち51勝を巨人から挙げている。
木樽はこの年に先発転向しリーグ優勝に貢献、MVPを獲得した。

1971年
セ・該当者なし
(平松 政次(大洋)
43登板 11完投 17勝13敗 勝率.567 279.0回 153奪三振 防御率2.23 6/7)
山田 久志(阪急)
46登板 16完投 22勝 6敗 勝率.786 270.0回 189奪三振 防御率2.37 7/7

平松などが好成績ながら初の該当者なしとなったこの年の沢村賞。
新沢村賞は「史上最高のサブマリン」山田が初受賞。
この年最優秀防御率を獲得した山田は、アンダースローとして最多となる通算284勝を挙げている。

1972年
堀内 恒夫(巨人)
48登板 26完投 26勝 9敗 勝率.743 312.0回 203奪三振 防御率2.91 6/7 
清 俊彦(近鉄)
45登板 10完投 19勝14敗 勝率.576 236.1回 158奪三振 防御率2.36 6/7

堀内が6年ぶり2度目の受賞。
阪神戦では毎カードで1先発1リリーフする奮闘、リーグMVPに輝いた。
清は鈴木啓示に次ぐエース格として最優秀防御率を獲得した。

1973年
高橋 一三(巨人)
45登板 24完投 23勝13敗 勝率.639 306.1回 238奪三振 防御率2.21 7/7
成田 文男(ロッテ)
52登板 16完投 21勝10敗 勝率.677 273.2回 178奪三振 防御率2.63 6/7

高橋が新沢村賞初受賞(沢村賞は2度目)。
“第二のエース”という意味での「左のエース」という呼び名は高橋から使われ始めたものらしい。
成田は中学時代、ビートたけしと野球部の同級生であった。

1974年
星野 仙一(中日)
49登板 7完投 15勝9敗10S 勝率.625 188.0回 137奪三振 防御率2.87 3/7
金田 留広(ロッテ)
36登板 13完投 16勝7敗 勝率.696 201.2回 138奪三振 防御率2.90 5/7

金田正一の弟である留広が初受賞。
この年から兄が監督を務めるロッテに移籍し24年ぶりの日本一に貢献、MVPを獲得した。
星野は初代セーブ王を獲得、巨人のV10阻止に貢献したことが評価されての沢村賞選出であった。

1975年
外木場 義郎(広島)
41登板 17完投 20勝13敗 勝率.606 287.0回 193奪三振 防御率2.95 6/7
東尾 修(太平洋)
54登板 25完投 23勝15敗 勝率.605 317.2回 154奪三振 防御率2.38 7/7

「ケンカ投法」で有名な東尾が初受賞。
プロ7年目のこの年に自身初のタイトルとなる最多勝を獲得した。
外木場は最多勝、最多奪三振を獲得しチーム初のリーグ優勝に貢献した。

1976年
池谷 公二郎(広島)
51登板 18完投 20勝15敗 勝率.571 290.1回 207奪三振 防御率3.26 5/7
村田 兆治(ロッテ)
46登板 18完投 21勝11敗 勝率.656 257.1回 202奪三振 防御率1.82 7/7

「マサカリ投法」村田が初受賞。
この年に代名詞のフォークを習得し、最優秀防御率を獲得した。
池谷は最多勝を獲得したが、翌77年に日本記録のシーズン48被本塁打を記録している。

1977年
小林 繁(巨人)
42登板 11完投 18勝 8敗 勝率.692 216.1回 155奪三振 防御率2.92 6/7
鈴木 啓示(近鉄)
39登板 24完投 20勝12敗 勝率.625 267.2回 144奪三振 防御率2.35 6/7

鈴木が8年ぶり2度目の受賞。
この年最多勝を獲得、通算200勝を達成した。
小林はこの2年後、江川事件により阪神に移籍することになる。

1978年
松岡 弘(ヤクルト)
43登板 11完投 16勝11敗 勝率.593 199.1回 119奪三振 防御率3.75 3/7
鈴木 啓示(近鉄)
37登板 30完投 25勝10敗 勝率.714 294.1回 178奪三振 防御率2.02 7/7

最多勝、最優秀防御率を獲得した鈴木が2年連続3度目の受賞。
この年の鈴木以降、シーズン25勝以上を挙げた投手はいない。
松岡は9月以降に7連勝しチーム初のリーグ優勝、日本一に貢献した。

1979年
小林 繁(阪神)
37登板 17完投 22勝9敗 勝率.710 273.2回 200奪三振 防御率2.89 6/7
山田 久志(阪急)
36登板 20完投 21勝5敗 勝率.808 237.0回 115奪三振 防御率2.73 5/7

小林が阪神移籍1年目で受賞。
監督に対し巨人戦に合わせて自分のローテを組むよう直訴、対巨人8連勝を飾った。
山田は前年まで、史上初の3年連続MVPを達成している。

1980年代

1980年
セ・該当者なし
(江川 卓(巨人)
34登板 18完投 16勝12敗 勝率.571 261.1回 219奪三振 防御率2.48 6/7)
木田 勇(日本ハム)
40登板 19完投 22勝 8敗 勝率.733 253.0回 225奪三振 防御率2.28 7/7

ルーキーながら驚異的な数字を残した木田が初受賞。
投手4冠と新人王に加え、ルーキー史上初のMVPを獲得した。
江川も申し分ない成績だが、当時は選考が記者投票だったことが影響し翌年それがさらに浮き彫りになる。

1981年
西本 聖(巨人)
34登板 14完投 18勝12敗 勝率.600 257.2回 126奪三振 防御率2.58 5/7
( 江川 卓(巨人)
31登板 20完投 20勝 6敗 勝率.769 240.1回 221奪三振 防御率2.29 7/7)
村田 兆治(ロッテ)
32登板 16完投 19勝 8敗 勝率.704 230.2回 154奪三振 防御率2.97 6/7

開幕11連勝を含む19勝で最多勝を獲得した村田が2度目の受賞。
江川は22年ぶりの投手5冠を達成したが、前年同様の理由で同僚の西本が沢村賞を受賞した。
本来は文句なしで江川だが、今回は実際に沢村賞を受賞した西本との比較で村田を選んだ。

1982年
北別府 学(広島)
36登板 19完投 20勝8敗 勝率.714 267.1回 184奪三振 防御率2.43 7/7
工藤 幹夫(日本ハム)
28登板 12完投 20勝4敗 勝率.833 197.0回 96奪三振 防御率2.10 5/7

80年代カープのエース北別府が初受賞。
自身初の20勝を達成し最多勝を獲得した。
工藤は9月に骨折したが無理してプレーオフで投げた影響で、6年後に28歳の若さで現役を引退した。

1983年
遠藤 一彦(大洋)
36登板 16完投 18勝9敗 勝率.667 238.1回 186奪三振 防御率2.87 6/7
東尾 修(西武)
32登板 11完投 18勝9敗 勝率.667 213.0回 72奪三振 防御率2.92 5/7

80年代の大洋を支えた遠藤が初受賞。
勝利、奪三振、完投でリーグ1位を記録した。
東尾は自身初の最優秀防御率を獲得し、チームの2年連続日本一に貢献した。

1984年
セ・該当者なし
(山根 和夫(広島)
32登板 13完投 16勝8敗 勝率.667 222.0回 102奪三振 防御率3.41 5/7)
 今井 雄太郎(阪急)
32登板 19完投 21勝9敗 勝率.700 218.0回 83奪三振 防御率2.93 5/7

最多勝、最優秀防御率を獲得した今井が初受賞。
1978年には昭和最後の完全試合を達成している。
セリーグでは山根、遠藤が5項目達成だったが、4年ぶりの該当者なしだった。

1985年
小松 辰雄(中日)
33登板 14完投 17勝8敗 勝率.680 210.1回 172奪三振 防御率2.65 6/7
東尾 修(西武)
31登板 11完投 17勝3敗 勝率.850 174.1回 74奪三振 防御率3.30 4/7

最多勝、最優秀防御率の二冠に輝いた小松が初受賞。
テレビで球速表示が始まった79年に150キロを記録、「スピードガンの申し子」と呼ばれた。
東尾は35歳ながら17勝を挙げ、ベストナインに選ばれた。

1986年
北別府 学(広島)
30登板 17完投 18勝4敗 勝率.818 230.0回 123奪三振 防御率2.43 6/7
渡辺 久信(西武)
39登板 13完投 16勝6敗 勝率.727 219.1回 178奪三振 防御率2.87 6/7

"精密機械"北別府が初受賞。
通算213勝は歴代18位、先発勝利200は歴代10位でともに球団記録である。
渡辺は高卒3年目ながら最多勝、最多奪三振の2冠、東尾らとともに西武黄金期を支えた。

1987年
桑田 真澄(巨人)
28登板 14完投 15勝6敗 勝率.714 207.2回 151奪三振 防御率2.17 7/7
工藤 公康(西武)
27登板 23完投 15勝4敗 勝率.789 223.2回 175奪三振 防御率2.41 7/7

1969年以来18年ぶりとなる両者基準7項目達成とハイレベルな争いとなったこの年。
27登板23完投の奮闘を見せた工藤が初受賞。
桑田は高卒2年目ながら最優秀防御率を獲得、翌年には球団史上最年少開幕投手に抜擢された。

1988年
大野 豊(広島)
24登板 14完投 13勝 7敗 勝率.650 185.0回 183奪三振 防御率1.70 4/7
西崎 幸広(日本ハム)
29登板 21完投 15勝11敗 勝率.577 241.2回 181奪三振 防御率2.50 6/7

新沢村賞最後は"トレンディエース"西崎が受賞。
メンズノンノで表紙を飾るなど、従来の野球選手像を覆すアイドル的人気を得た。
大野はこの年から2年連続で防御率1点台を記録、これは1970~2007年の間で大野のみである。

最後に

以上、新沢村賞受賞者の紹介でした。
長々とお付き合いありがとうございました。
最後に新沢村賞と1989年以降の沢村賞を合わせた受賞回数ランキングを紹介して終わりたいと思います。

新沢村賞(1950~88)+沢村賞(1947~49,1989~2023) 選手別獲得回数ランキング

3回 稲尾和久 鈴木啓示 斎藤雅樹 山本由伸
2回 杉下茂 別所毅彦 堀内恒夫 村田兆治 上原浩治 斉藤和巳 田中将大 前田健太 菅野智之

新沢村賞(1950~88)+沢村賞(1989~2023) 球団別獲得回数ランキング

13回 巨人(6+7)
10回 西武(6+4)
7回 中日(3+4)
6回 阪神(5+1) 広島(2+4) ソフトバンク(2+4) オリックス(2+4)
4回 ロッテ(4+0) 日本ハム(3+1) 近鉄(3+1)
3回 楽天(0+3)
2回 ヤクルト(1+1) DeNA(2+0)


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