惑星ループ(前)

「エンジン回転数低下。推力維持不可」

 人工知能サーディーンの感情ない声が宇宙船内に響く。俺は必死に操作盤を叩いたが、エンジンメーターの針は徐々に0へと近づいていく。宇宙船内は赤く点滅し始め、緊急音が鳴り響き、機体が傾き始めた。

「尼(に)シン、どうなってるの?」

「分からない…だがこのままだと墜ちる、エンジンを全開にしろ!」

「分かった!」

 けたたましい緊急音が鳴り響く中、スズミは隣で救援信号を飛ばしてからレバーを思いっきり前に倒した。すると一瞬エンジンは回復し、機体は安定を取り戻した。

 しかし―

「エンジンオーバーヒート。コントロールロスト」

 エンジンはすぐにオーバーヒートし、機体は完全に浮力を失った。

「ダメ!……落ちる!」

 そして俺とスズミを載せた宇宙船は近くの小さな惑星に衝突した。

 うめき声を上げて目を覚ました。コックピットの前方は大きく破損して機体の中から外が丸見えになっていたが、幸い自分に大きな怪我はなかった。俺は急いでスズミを探した。辺りを見回すと、スズミはコックピットの隅で地面に伏していた。

「スズミ!」

 俺はすぐさまスズミに駆け寄って声を掛けた。

「おい、スズミ。起きろ!」

 呼びかけに返事はなかった。声を張り上げても、身体をゆすっても、スズミはぴくりともしない。俺は慌ててスズミを抱きかかえ、ふらつく足取りでコックピットを出て医務室へと走り、スズミをベッドに仰向けにさせると、サーディーンの名前を呼び掛けた。するとノイズ交じりの機械音の後に、「なんでしょう」とサーディーンは返事した。

「急いでスズミを診ろ!絶対に死なせるな!」

「了解」

 サーディーンがそう短く答えると、医務室の天井からアームが伸びてきて、先端についたカメラやセンサーでスズミを調べた。1分も立たないとうちにサーディーンは感情のない声で「依(い)スズミは一時的に気を失っているだけのようです。器官に損傷なく、脈拍も正常です」と伝えた。ひとまず胸を撫で下ろしたが、いつまでも安心していられる状況ではなかった。

「サーディーン、スズミが飛ばした緊急信号に返事はあるか?」

「現在一部の電気系統に異常が発生しているため不明です」

 もし信号が届いているのであれば、墜落した地点から推察するに60日ほど待てば、他の宇宙船が救助に駆けつけてくれる可能性はあった。

 逆に言えば、60日はこの惑星で生き延びる必要があった。酸素の備蓄はあったが、食料の備蓄は15日分ほど。どう考えてもそれだけで60日生存するのは困難だった。

 俺は惑星の情報を集めるため、警戒しながら外に出た。

 外は一面荒野だった。極端に暑いわけでも極端に寒いわけでもないだけ救いだったが、視界には水平線の先までひび割れた地面が続いているだけだった。

 俺はかがんで乾ききった白い砂を手に取った。不思議な手触りだった。見た目は地球の砂と大差なかったが、明らかにそれは砂とは違っていた。俺は宇宙船内から取ってきたジャガイモをポケットから取り出し、砂のようなものに埋めてみた。望みは薄そうだが、もしジャガイモが育てば食糧問題も解決できる。

 しばらく惑星を歩いたが、スズミと離れすぎるのが心配で、探索はそこそこにして宇宙船に帰還した。そして医療室に向かうと目を覚まさないスズミを見守りながらカップ麺をすすり、そして眠りについた。

 惑星に降り立ってから1週間が経った。電気系統は回復したが、仲間からの連絡はない。スズミの病状は悪化していないものの未だに目を覚まさない。俺はというと、ジャガイモに時折水を遣って少し辺りを見回しては宇宙船で過ごすだけの日々だった。変わったことといえば、宇宙服を着なくなったことぐらいだった。不思議なことに、この惑星では宇宙服なしでも呼吸ができた。

「この星の座標のデータは取れたか?」

 ベッドで横たわるスズミを眺めながらサーディンに訊いた。座標が分かれば、より正確に救援が来るまでの推定日数が立てられる。

 しかし、サーディーンの回答に希望はなかった。

「座標は不明です。位置情報を含めこの星に関わる一切の情報が取得できません」

 さすがに俺はサーディーンの言葉に面食らった。

「なぜ座標さえも分からない…?」

 今回任されていたのは通常の宇宙パトロールで、何度も通っているルートだった。ルートから少し外れて惑星に衝突したものの、はるか遠くの惑星に降り立ったわけではない。その惑星の座標さえ分からないとはあまりにも不可解だった。

 そもそも――

 何度も通ってきたルートだからこそ、今更になってそもそもの疑問を抱いた。

「そもそもこんな惑星、今まで存在したか…?」

 想像をはるかに超える事態が起こっている気がしたが、俺の思考は耳をつんざくような緊急サイレンによってかき消された。

「機体前方、多数の熱源を確認。生物です」

 はっとして機体の外に目を向けると、目を疑うような光景が広がっていた。

 地平線の向こう側から現れたのは、視界を埋め尽くすほどの生物だった。

 それは少なくとも2種類存在した。1つは人間サイズの蚊のような生物。もう1つは同じく人間サイズの蠅のような生物。それらはあまりにもおぞましく、底知れぬ恐怖を感じた。

「サーディーン!!」

 俺は震える声でサーディーンの名前を叫んだ。

「武器装置は作動するか!」

「機体前方の武器装置は起動不可ですが、両翼のフラクショナルレーザーおよび、武器庫の小型武器は使用可能です」

「今すぐ起動させろ!」

 蚊と蠅のような生物は徐々に機体に距離を詰めてきていた。殺さなければ殺される。本能がそう告げていた。

「フラクショナルレーザー照射準備完了」

 サーディーンの声を聞くや否や、俺はレーザーを起動させた。

 直後両翼から無数のレーザーが走り、視界を真っ白に覆った。レーザーがあの謎の生物たちに効果があるかは不明だったが、段々と白い煙が霧散し、視界が開けるとそこには焼けて灰になった生物たちの亡骸があった。

 謎の生物を焼き払った後、少しの安堵と恐怖と、それと覚悟があった。

 俺がスズミを守り抜き、一刻も早く生きてこの星を出なければならない、と。


 それから約4週間が経ち、惑星に降り立ってから42日目になった。スズミは依然として目を覚まさず、時折苦しい表情を見せるようになった。サーディーンのバッテリーも切れ、俺は完全に1人になった。

 あれ以来、謎の生物と邂逅することはなかったが、外はさらに空気が乾き、長時間外にいるのは困難になった。ジャガイモはとても食べられた味ではなく、外に他に食料と呼べるものも見つけられなかった。

 俺は探索を諦め、2週間前から宇宙船の修理に取り掛かっていたが、ロクに修理の経験がなく、作業は難航していた。

 50日目になった頃、ついに食料が尽きた。外は以前よりワントーン暗くなり空気が濁って見えた。そして砂嵐が吹きすさぶようになり、宇宙船の中で過ごすことを余儀なくされるようになった。

 54日目。スズミは脈はまだ辛うじてあるものの、顔は青白くなっていた。俺はスズミが寝ているベッドに横たわりながら、靄がかかったような頭で、60日目に仲間が宇宙船に乗って迎えに来てくれることを夢想していた。

 57日目。砂嵐が止まっているタイミングを見計らい外に出た。まだ行ったことないどこかにこの状況を打開できる何かがないかと一縷の希望に縋ってひたすらに歩いた。

 しかし強烈な空腹と疲労のせいで荒野の真ん中で立ち止まった。そこに見図ったかのように砂嵐が吹き始めた。その砂嵐は今までの砂嵐の比ではなかった。あまりにも広大で強力で視界の全てがたちまち砂嵐に覆われた。まるでこの星が終焉を迎えるような、それほどまでに絶望的な砂嵐で、俺は自分の人生の終わりを悟り、砂嵐の中に呑み込まれていった。


 目を覚ますと荒野にいた。いつの間にか砂嵐は止んでいた。そして自分の身体が不思議なくらい元気に回復していることに気づいた。まだ状況を飲み込めずにいたが、何よりスズミが心配で、急いで宇宙船に戻った。

 宇宙船に戻ると、修理したはずのコックピットが大きく壊れていた。恐らく砂嵐のせいだろうと予想はついたが、そんなことは今はどうでもよかった。医務室に飛び込んでスズミの様子を確認すると、スズミは目こそ開かないものの、穏やかな表情に戻っていた。

 なぜ瀕死寸前だったスズミの容態が回復したのかは謎だったが、ひとまず胸を撫で下ろした。そして早速宇宙船の修理に再度取り掛かかろうと工具を取りに行こうとした際、不思議なことに気づいた。

 どういうわけか空になったはずの食糧庫に、大量の食糧が積まれていた。

「俺たち以外に誰かいるのか…?まさか救援が…」

 そう思い、辺りを見回しても宇宙船どころか人影一つない。

「サーディーン」

 つい癖でバッテリーが切れたサーディーンの名前を呼んでしまったが、その後に「なんでしょう」とサーディーンが返事をしたものだから辟易した。

「お前、バッテリーが切れたんじゃなかったのか?」

「バッテリーに問題はありません。24時間稼働を続けても約40日は持続します」

 何かがおかしい…。そう感じずにはいられなかった。しかし、食料が手に入ったことも、スズミの容態が回復したこともサーディーンのバッテリーが復活したことも少なくとも悲観すべきことではなかったので、これ以上考えないようにして、すぐさま宇宙船の修理に取りかかった。

 目を覚ましてから一週間が経った頃、警報が鳴り響いた。外を見ると、またあの生物たちが視界を埋め尽くしていた。俺はサーディーンに指示を出し、前回と同じようにフラクショナルレーザーで生物たちを一掃した。

 修理は順調だった。機体の6割は修復し、あと2週間ほどあれば再び宇宙に飛ばせる状態にまでなっていた。また、外に植えたジャガイモも順調に育っていた。サーディーンの知恵を借りながら、宇宙船内に溜まっていた排泄物やごみを調合し、肥料として撒いたところ、乾いた砂は息を吹き返したように水を含むようになり、ようやく人が食べられる味になった。

 それから2週間が経った。見立て通り、機体の修理が終わり、宇宙に飛び立つ準備が整った。

 俺は外からありったけのじゃがいもを取ってくると宇宙服に着替え、コックピットに乗り込んだ。サーディーンが機体の最終点検をしたとはいえ、少なからず不安があった。しかし覚悟を決めて、一度大きく深呼吸をし、レバーを引き、エンジンの起動を試みた。

 だが、どのレバーを引いても、どうプログラムを叩こうとも機体はぴくりとも反応しなかった。

「サーディーン!」

「なんでしょう」

「どうなっている?すべての機能が回復したはずじゃないのか」

「不明です。全ての機能は回復しています。しかし、エンジンが作動しません」

「何か方法はないのか」

「現状、方法はございません」

「くそがっ!」

 おれは両手を操作盤に大きく叩きつけた。あと少しだった。あとは宇宙船を飛ばすだけだった。しかし、あと少しの希望は叶わなかった。

 それから2週間が経った。スズミはまたも徐々に容態を悪くし、外は砂嵐が吹きすさぶようになった。俺機体の一部をバラして修復し直したり、サーディーンの指示に沿ってプログラムを書き換えたりしたが、何をしても機体は飛ぶ気配を見せなかった。まるでこの星が自分を外に出すのを禁じているような、そんな気さえした。

 3日後、スズミの心拍が突然弱まった。俺はサーディーンに助けを求めたが、サーディーンは「可能な処置はすでに全て実行済みです」と機械的に返すだけだった。

 このまま死なせるわけにはいかないと、俺はコックピットに乗り込み、通信機に向かって何度も救援を呼び掛けた。しかし何の反応もない。途方に暮れそうになっていたその時、そんな状況を嘲笑うかのようにさらに最悪の展開が訪れた。

 視界にノイズがちらつき、顔を上げてふとコックピットの窓から外を見ると、前回と同じ大嵐が迫っていた。

 俺は思わず笑った。

「2人一緒に死ねってことか」

 今度こそ、死ぬ。

 悲しいかな、そういう確信があった。

 俺は全てを諦めて医務室に戻ってしばらくスズミを眺めると、スズミの手をとって優しく握った。

 砂嵐が機体にまで到達し、砂塵が機体にぶつかる激しい音がした。そして大きな音と共に機体の一部が剥がれ、機内にも大量の砂塵が流れ込んできた。機体はさらに大きな音を立てたかと思うと、斜めに傾き、そのまま宙に浮いた。そこで俺の意識は途切れた。

 俺は最後までスズミの手を離さないでいた。



 目を覚ますと、スズミの手を握っていた。

 俺は訳が分からずに辺りを見回した。宙に浮いてほとんどが破壊されてしまったはずの機体は、砂嵐なんてなかったかのように綺麗だった。大量に雪崩れ込んできたはずの砂もない。しかし、コックピットを見に行くと、コックピットの前方は大きく穴が空いていた。

 それが、どういうことを意味しているのか、俺は徐々に理解し始めた。理解し始めたからこそ、冷や汗が止まらなかった。

 俺は一つの仮説を持っていた。

 そしてその仮説を確信に変えるため、足を食糧庫に向けて進めた。

 食糧庫に着き、俺は確信する。

 この世界はループしているのだと。

 食糧庫には食べ切ったはずの食糧が山積みになっていた。

 

 






 

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