美しい村

 私のことを誰も知らない遠くに行きたいという願いは案外簡単に実現した。
 中学3年の受験シーズンを迎えた私はクラスメイトが都内の高校を目指す中、一人だけ地方の山奥の高校を志望して、合格した。私と離れることを悲しむ両親の反対も押し切って、荷物を抱えて逃げるように1人で地方に飛び立った。

 夕方になると聞こえてくる虫の音も、想像以上に澄んだ空気と人気のなさも、荷ほどきしている時に見つけた天井に張り付いた巨大なクモも、何もかもが新鮮で驚きの連続だった。

 クラスメイトはどんな人たちだろうか。
 期待や不安など色々な感情が渦巻いていた。

 けれど、年季の入った古い校舎に足を踏み入れ教室の扉を開いた瞬間、私の感情はたったの一つになった。

「綺麗……」

 気付けば口から言葉がこぼれていた。
 私の視線は十人ほどいるクラスメイトの中の二人から離せなくなった。
 ちょうど教室の真ん中に座っている瓜二つの顔をした二人の女性。
 綺麗な女性だった。あまりにも綺麗な女性だった。
 
 こんな綺麗な女性は東京でもただの一度も見たことがなかった。街で見かけたことのある芸能人よりもよっぽど綺麗だ。

 否。

 そんなものじゃない。

 目の前の二人の美貌はこれまで生まれてきて見てきたどんな人間よりも完璧だった。私たちとは別次元の存在のような、天才画家が描いた精緻な絵を具現化したような、そういう風貌だった。

「あの、秋さん、自己紹介を……」

 二人のあまりの美しさに意識がぼんやりとする中、先生の声が聞こえてきた。気がした。その後必死で言葉を紡いで自己紹介をしたけれど、何を話したのか、私は何も覚えていない。


 その二人は美澄美麗と美澄綺麗というらしかった。
 二人は昼休みになるとお弁当を持って、「秋ちゃんはじめまして~」と微笑み、私の前の席の机を私の机にくっつけて向き合うように座った。
 間近で見ると二人の美しさはさらに尋常ではなく、中学時代に人とほとんど話してこなかった私は恥ずかしいことに目さえまともに合わせられなかったが、折角話しかけてきてくれたので勇気を持って話をすることにした。

 訊いたところ、二人はやはり双子のようだった。二人は「こっちには慣れた?」とか「なんでこんな田舎に来ようと思ったの?」とか私についても色々聞いてくれた。
 悪い人でも怖い人でもなさそうと分かると、たまらなくなって私は訊いた。

「なんでそんなに綺麗なんですか?」

 あまりにも私の口調が真剣なトーンだったからだろう。二人は顔を見合わせて少し笑うと口を揃えてこう言った。

「美容が大好きだから」


 

 こっちでの生活は平和だった。いじめを受けることもなければ、親から将来への圧力をかけられることもない。この上なく自由で心地がよかった。

「さっきの授業難しかったね」

 お昼になると美麗や綺麗たちと一緒にお弁当を食べるのが日課になっていた。今日は一宮くんと二羽さんも一緒だった。

「おすすめのアイシャドウある?」
「え、秋ちゃんも乾燥肌なの、一緒!」
「最近出た化粧水が良くて~」
 
 私たちが話すことは決まって美容のことだった。私も美容は大好きだったのでとても話が弾んだ。自分の綺麗な外見を呪った時期もあったが、今はとにかく二人の美貌に少しでも追いつきたかった。

 どうしても美麗と綺麗に目が行きがちだったけれど、他のクラスメイトにも目を向けられるようになると、なんとも不思議なクラスだった。

 二羽さんは毎日学校をランウェイか何かと勘違いしているかのようなド派手なメイクをしてくるし先生もそれを一切咎めない。一宮くんは顔の右半分だけは赤ちゃんのように綺麗な肌で、左半分は荒れ果てている。斜め前の席の九龍くんは休憩時間ごとに洗顔に行っては何か必死で記録を取っている。

 言い方は悪いけれど、私の想像する田舎の学生はもっと芋っぽくて美容なんかとは無縁で紫外線は友達と言わんばかりに外で遊ぶことが好きな人たちだと思っていた。しかし、少なくともこのクラスは違うようだった。

 それも美麗と綺麗の影響だとはすぐに分かった。
 彼女たちを見て、世界最高の美貌を知ってしまって尚、自分の外見を今のままで良しとできる人間がこの世にいるだろうか。

 そんなこんなで美容トークに花を咲かせていると気付くと昼休みは終わっている。

 幸せだった。こんなに人と楽しく話せているのはいつぶりだろうか。昔のように私の外見に嫉妬して嫌がらせをしてくるようなクラスメイトはいない。むしろ私の方が嫉妬してしまうぐらいだった。
 もちろん小さな言い争いはあるし、先生に怒られたり、何もないあぜ道を歩いていると都会の生活がふと恋しくなることもある。けれどそういった些細なマイナスも含めて、絵に描いたような素敵な学生生活だった。

「家来る?」

 こっちに来てから1か月ほどが経った頃、綺麗が家に来ないかと誘ってくれた。

「行きたい!」

 と私はもちろん答えて、三人で夕暮れの田舎道を歩いていく。これまで何度か家の前を通りがかったことはあったが、改めて間近で見るととても大きな家だった。決して真新しいとは言えない外観だったが、一目見て立派で頑丈だと分かる作りで、二人の裕福さがうかがい知れる。家のすぐ隣に私の家と同じくらいの建物があって何かと聞くと「物置倉庫」と答えるものだから腰を抜かしそうになる。

 家に上がると二人の父が迎えてくれて、想像通り、否、こちらも今まで見てきた人間の中で最もイケメンで、来てよかったと心底思った。「どうぞゆっくりしていってね」という声までイケメンなのでたまらない。

 二人の部屋に入るや否や私は圧倒された。
 ここは百貨店のコスメフロアの地方拠点なのではないかと錯覚してしまうぐらいに膨大な数の化粧品が部屋を囲んでいる。美容好きを名乗る人は中学の時にも私以外に何人かいた。けれど、その人たちが持っているコスメを全て合わせてもこの部屋のコスメの10分の1にも満たないのではというぐらい、尋常じゃない量だった。

 思わず私は「こんなに買って使いきれるの?」という美容好きに対して無意味と分かり切った質問をしてしまう。

「もちろん使いたいけど、2人でこんなに使いきれるわけないじゃん~」

 と綺麗から案の定の答えが返ってくる。

「悲しいよねぇ。世の中にはまだまだ素敵な化粧品がいっぱいあって、試したい美容法も無限に存在するのに、どれだけ化粧品の方を増やしても身体の方は増えてくれないから。死ぬまで美容を突き詰めても時間が足りない」

 美麗の話す美容好きあるあるの悩みに私は首をぶんぶんと縦に振る。

「でも」

 と私が言うと、二人は静かになって私の方を見た。

「可愛い化粧品に囲まれてるだけでもハッピーじゃない?」

二人はニヤリと口角を上げてなんとなく私たちはハイタッチした。

「その通り!!!!!」


 結局その日可愛い化粧品に囲まれて気持ちがアガった私たちは、ひたすらにメイクしたり最高に可愛い自分たちの写真を撮り合ったりした。さらに部屋の奥の本棚にはびっしりと書籍が詰め込まれていて、美容関連の本から、もっと難解そうな人体の構造の話や栄養学、遺伝子などに関する書籍や海外の論文っぽいものもあって、二人は難しい本の内容を噛み砕いて説明してくれたりもした。そして最後にはイケメンお父様の晩御飯を食べさせてもらって帰宅した。最高の時間だった。

 この日、二人とは本当の友達になれた気がした。

 それからはよく学校終わりに綺麗と美麗の家にお邪魔することになった。ただ楽しいだけの時間ではなく、二人の美容に関する知識は本物で、会うたびに自分も綺麗になっているような気がしていた。

 学校も順調だった。2人以外の友達もでき、成績も悪くなかった。
しかし、だからこそ、私は不安を感じ始めていた。
 こんなにも人生が上手くいくのはおかしくないか、と。

 初めはかつてのイジメのせいで、物事をポジティブに考えられず、ついつい後ろ向きな考え方をしてしまっているだけだと思っていた。

 けれども1か月経っても上手くいきすぎていることへの不安は消えるどころか募るばかりだった。
 なんと言えばいいのか、上手くいっているのではなく、上手くいかされている感覚。全てがシナリオに沿って進行していて、その物語の作者の気分次第でいつでもどん底に叩き落されるような、そんな感覚。

 誰かに相談したかったが、こんなことを言ったら嫌われてしまうのではないかと思うと誰にも言えなかった。

 しかし、私の感覚は当たっていて、ここから私の歯車は徐々に狂い始めた。


 美術の時間、似顔絵を描き合った。

 私は綺麗とお互いの顔を書いたが、どう頑張っても私の画力では綺麗の美しさの100000分の1も表現できず、申し訳なくなった。
 一方で綺麗は美術の才能の塊だった。
 綺麗と美麗の美しさは私みたいな凡人が語って良いような代物ではないが、正直に言えばわずかに綺麗の方が美しい気がしていた。それは恐らくこういった美的センスから来ているんじゃないかと思う。
 けれどあまりにも画力が高いゆえ、綺麗の描く絵は嫌になるくらい寸分の狂いもないありのままの私だった。キャンバスに描かれた私と目の前の圧倒的な美を、どうしても比べてしまう。

 なぜ、何がそんなにも違うのか。悔しくて羨ましくて、私はその秘密を解き明かしてみたくて、思わず腕を伸ばして人差し指と中指で優しく綺麗の頬に触れた。

 直後、綺麗は激昂した。


 
 その後数日間綺麗と口が聞けなかったが、いつまでもそうしているわけにもいかずに謝って仲直りした。けれどこれまでと完全に同じ関係にはもう戻れなかった。それは綺麗が許さなかったわけではなく、私の気持ちの問題で。

 この世で最高の美貌を知り、仲良くなって、美容に詳しくなって自分も綺麗になったせいで舞い上がって流されてしまっていたけれど、綺麗の顔に触れて激昂されて、ようやく冷静になれた。

 まさか少し顔に触れただけであれだけ怒りをあらわにするとは思わなかった。

 あの二人の美容への探求心は褒められたものではない、狂気の域だった。
 実はもう二人には着いていけていないところも多かったけど、嫌われるのが怖くてなんとなく合わせていただけだった。

 仲直りして三人で遊んでいる時に私はふと二人に尋ねた。

「二人はずっとここに住んでるの?」

 美麗と綺麗は首を振った。

「元々は私も東京に住んでたんだけどね」

 と美麗が話し始めると何やらPCを叩いて画面を私に見せてきた。そこには日本地図と気候情報とよく分からない難しそうな数式が並んでいた。

「一年間の気温や湿度、空気汚染レベルやそこで比較的摂取しやすい食料とその栄養素とか、そういうあらゆる条件を加味すると、全世界でここが最も私が美しくなるに適した場所だったから。だからこっちに引っ越してきて、この家さえも私たちが最も美しくなれるように色んな注文をつけて設計してもらったの」

 と語った。

 どう考えても正気ではなかった。美しくなるためならどんな手段も厭わない。二人の美への探求心に対する尊敬は、もはや恐怖に変わり始めていた。


 
 テストの3日目の日、二人の家で美麗に生物や化学について教えてもらっていたら、教科書を忘れて置いて帰ってしまった。
 
 そのことにお風呂に入ってゆっくりしてからようやく気付いて、パジャマ姿で仕方なく細々とした心もとない光を発する電柱が数本だけ並ぶ田んぼ道を通って、二人の家に向かった。

 ちょうど二人の家に着きそうになった頃、二人の家の大きな物置倉庫の方から綺麗と美麗が出てくるところが見えた。声を掛けようと片手を上げたが、そのまま私は片手を下した。

 2人の後ろにバスタオルで身体を覆った見慣れない女子生徒の顔があった。バスタオルの下からは明らかに肌が露出していた。いじめのような気はしないが、どう考えても触れてはいけない気がして、怖くなって私は教科書は諦めてそのまま家に引き返した。

 
 その翌日、バスタオルで身体を覆っていた女性は、平然とした様子で転校生として入学してきた。



 あの倉庫は一体何なのだろうか。あの中で三人は何を行っていたのだろう。少しだけ日を置いて思い切って二人に「あの倉庫の中を見てみたい」と言うと、「ちょっと良くない方法で仕入れた美容機器が色々置いてあるからあんまり見せられなくて」と言われた。すぐに嘘だと分かった。

 この村に来てから小さな違和感は沢山あった。それが徐々に蓄積されてなんとも表現しがたい不気味さを感じていたが、二人の嘘によって不気味さはこの村に対する明確な恐怖へと変わった。そして何より見え透いた嘘をつかれたことが悲しかった。

 この村は何かがおかしい。

 この恐怖の元凶を特定しなければ、また中学のような散々な学生生活か、あるいはそれ以上に最悪の未来が待っているような気がしてならなかった。

 授業が終わると、誰かに追われているわけでもないのに、少し早足で怯えながら家に向かった。

 夜になって洗濯物を取り込みに外に出ると、近くから鶏の鳴き声が聞こえた。村では鶏を飼っている家が多く、時々逃げ出してやってくることがある。あぜ道の方からひょっこりと姿を現したのはやはり鶏で、どこから来たのだろうと近づいてみるとぎょっとしてのけぞった。

 一見普通の鶏は目を凝らすと足が6本生えていた。

 限界だった。

 外はすでに真っ暗にも関わらず家を飛び出した。
 絶対に、絶対にあの倉庫に全ての答えがある。
 なぜだかそういう確信があった。
 息を切らして真っ暗な道を駆ける。二人の家まではそう遠くなかった。
 
 二人の家の電気はすでに落ちて、真っ暗になっていた。
 私は一直線に倉庫へと向かう。当然鍵が掛けられていたが、家から持ってきたハンマーで破壊した。想像以上に大きな音がしたのでしばらく茂みに隠れたが、誰の気配もないことが分かると、恐る恐る扉に近づいた。

 荒くなる呼吸を整えて、震える手を扉にかけてゆっくりと引いた。
 中は真っ暗で何も見えなかった。扉の近くに何かしら電源があるだろうと適当に壁を触っていると、スイッチを押した感触があり、視界は一気に眩しく光った。

 徐々に目が慣れ始めてくる。広々とした空間の両脇には何か大きなオブジェクトが並んでいた。水槽だった。その中には私と同じくらいの大きさのものが一体ずつ入っていて。それは。人間だった。

 想像を絶する恐怖と向かい合った時、人は声すら出せないらしい。
 私は飛ぶように後ろにのけぞると、腰を抜かしてその場に座り込んで動けなくなった。水槽の中でわずかに揺れる人間を見て全身が震える。目の前の光景を全く呑み込めない。

「見ちゃったかぁ」

 美麗の声が聞こえたのはその時だった。振り返ると美麗は心底残念そうな表情を浮かべながら私に手を差し伸べてくる。私はその手を強く払った。

「どういうこと……?」
「どうもこうも、見ての通りこういうこと」

 と、美麗は水槽の方を指さした。はぐらかす美麗を睨みつけると、美麗は肩を落として口を開いた。

「美容って、なんで難しいと思う?」
「知らない」
「知識は勉強すれば習得できる。どんなに高い化粧品もお金さえあれば買えるし、最適な居住環境も作れる。でも、どう努力しても私たちには一つだけ変えられない事実がある」

 少しだけ言葉を貯めた後に、美麗は美容好きなら誰もが口にしたことがある言葉を発した。

「顔は一つしかない」

 前は強く頷いたその言葉を聞いて、私の身体は逆に固く動かなくなった。

「いくら化粧品があっても、顔が足りない。これだと検証のしようがない」

 そして、美麗は信じられない言葉を続けた。

「だから、人間を作ることにしたの」

 私は耳を疑った。

「顔が足りないなら、顔を作ればいい。そのために生物や化学を究めて、まずは小さな動物のクローン化から実験し、人間を作ることにも成功した」
「じゃあ私が普段話していた人の中にも美麗が作った人が……?」
「違うわ。綺麗以外この村の全員私が作った」
「……え?」

 美麗の話は常軌を逸していた。けれど、辻褄が合ってしまう。一宮くんの顔が半分だけ綺麗なのも、九龍くんが休憩時間ごとに洗顔に行っては記録を取っていたのも、全ては美麗と綺麗の人間を用いた実験。

「おかしいよ…そんな技術があるなら人工皮膚でも作って試せば……」
「それじゃまったく足りない。美容と感情は切っても切れないでしょ? 人型を作ってなるべく自然に近い形で生活させた上で検証を行う必要があった」

 つまり、私が絵に描いたようだと思っていた村での学生生活は、実際に全てそうなるように美麗と綺麗によって仕組まれていたということだった。

 ふと、私は美麗の先ほどの話の中に引っ掛かりを覚えた。

「待って、それじゃあ美麗のお父さんも…? でもそれなら美麗と綺麗は一体誰から……?」
「あ、あれはお父さんじゃなくて私の夫」

 初め、美麗の言っていることが呑み込めなかったが、そこで以前の話を思い出した。美麗は「こっちに引っ越してきて、一から家を作った」と言っていた。今はすでに古びた外観になった家を。
 なぜあの時気付けなかったのだろうか。
 それはつまり、美麗が明らかに高校生ではないことを意味していた。それだと美麗と綺麗の母親がいないことも納得できた。母親がいないのではなく、美麗自身が母親で、綺麗が二人の間にできた子供ということだった。

「自分が作った人間と子供を作るってどういう神経してるの」
「それは少し語弊がある」

 美麗は否定した。

「私は自分が作った夫に愛が芽生えて子供を作ったんじゃなくて、綺麗を生むために夫を作ったの」

 美麗の言っている意味が分からなかった。

「まず第一に、世界で最も綺麗な私と私が作った世界で最も綺麗な男が子供を作れば、どのような子供が生まれるのか知りたかった。そして第二に、私は今の自分に満足していないけれど、これ以上どこをどう変えれば良いのか分からなくなっていた」

 美麗は話を続ける。

「それは私の美的センスに限界があったから。美的想像力の限界。だから、それを突破するために私より優れた美的センスと私と同じ美的探求心を持ち合わせた人間が必要で、そういった子供が生まれるように最初から計画して夫を作った。それが成功したかどうかは、綺麗を見れば分かるわよね?」

 綺麗は美術が得意だった。そんなことまでも、全てはそうなるように美麗によってプログラミングされていたのだった。
 美麗の話を要約すると、夫も子供も全ては自分がより美しくなるための道具にすぎないということだ。

「狂ってる……人間の心がないの?」

 私が叫んでも美麗はけろりとしていた。

「美しくなりたくて、何が悪いの?」

 美麗は再び私にゆっくりと近づいてくる。私は必死で後ずさった。

「ようやく作った人間の制御も上手くできるようになってきた。あとは本物の人間との間に致命的な違いがないことを確認できれば、より大規模な生産を行ってあらゆる条件での実験が可能になる。そのために本物の人間のサンプルとしてあなたをこの村に呼んだの」

 何もかもが美麗の思惑通りで、私も道具にすぎなくて、友達だと信じていた気持ちはズタズタに切り裂かれた。
 後ずさる背中が壁にぶつかる。もう後ろには退けず、美麗は目の前まで来て足を止めた。

「美容を宗教という時代はもう終わりよ。大規模生産からより大量のデータが集められるようになり、美容にまつわるあらゆる事象を科学的に解明できれば、個別に最適解は異なるものの、それぞれに対しての最適解は導き出せるようになる。私が、全人類に対する美容の正解を創る」

 そう語る美麗の様子は皮肉にも教祖のそれに近かった。

「あなたは計画の全容を知ってしまった。だからあなたに与えられた選択肢は二つ。黙って私に協力するか、処分されるか」

 処分という冷淡な言葉に背筋が震え恐怖する。けれど一方でもう一つ強い感情が沸き起こっていた。怒りだった。

 美しさとは一体何だろうか。

 綺麗な外見ゆえにイジメられて、この村に来て二人に出会って。思えば私はずっとそのことについて考えていた。

 今なら分かる。美しさとは何なのか。

 だから私は全身に力を込めるとなんとか立ち上がり、美麗の胸倉を掴んでそのまま顔面を思いっきり殴った。

 そして胸の中の素直な気持ちで、美麗が恐らくこの世で最も嫌悪する台詞を、私は言った。

「美麗って、今まで出会ってきた人の中で一番ブサイクね」

 私にとっての美しさとは――

 発狂して掴みかかってくる美麗にさらに何発も拳をぶつけた。

 ――流されないことで。自分を持つことで。主張することで。

 美麗が体勢を崩すと私は馬乗りになって美麗を押さえつける。

 ――嘘をつかないことで。恐れないことで。屈しないことで。

 美麗の顔は血まみれになってかつての美しい面立ちは見る影もなくなっていた。

 ――戦うことで。守ることで。救うことで。

「止めて!」

 美麗が泣いて懇願しても、私は同じように涙を流しながらも殴る手を止めず、そばにあるハンマーを手に取って振りかざした。

「ごめんなさい」

 美麗の言葉に、私はすんでのところでハンマーを握る手を止めた。

 ――私にとっての美しさは、許すことで。生きることで。友達を大切にすることだった。

「綺麗……」

 私はぐちゃぐちゃになった美麗の顔を見てそう呟くと、そっと美麗を抱きしめた。



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