陰陽師は廃され、亀卜は残った

新天皇即位の際の儀式、大嘗祭で亀卜(きぼく)が行われたことで、ごく一部の人たちは「うおおおお!」となったのだが、あんまり一般的には「うおおおお!」とならないかもしれないので、ちょっとここでなぜ「うおお」なのかを書いてみたいと思う。

大嘗祭自体の解説は長くなるのだが、簡単に言えば「私が新しい天皇ですよ」と皇祖である天照大神たちに報告をする儀式のこと。そこで当然神様たちにお供え物をするのだが、何せ新天皇の最初のお供え物だから、それはそれは重要なお供え物。瑞穂の国たるこの日本では、やはり稲が最も重要な供物となる。

ということで、その稲をどうやって選ぶかが重要だ。

なんといっても相手は神様なので、「お供え物は俺が好きなこのコメにするぜ…!」と勝手に決めていいものなのか迷うところだ。

誰だって、自分の大好物を自信満々にオススメしたら、相手の反応がイマイチで微妙な気持ちになってしまったことがあるはずだ。

しかも相手はあの天照大神なのである。下手を打つとまた岩戸にお隠れになりかねない。皇祖神たる天照大神を「お米が好みじゃなかった…」という理由で再び引きこもらせるわけにはいかない。ちょっと見てみたいけれども。

そういうわけで、「どこの稲をお供えするか」を決めるために、亀卜を行う。紀元前5000年くらいに古代中国で行われていたやつ。甲骨文字とかの時代のアレ。亀の甲羅を焼いて、そこにできた亀裂から「あそこの稲を使うのじゃ!」と決めるのである。

御神籤(おみくじ)が神の意を受けることであったように、「ランダムなものの中から、一つに決まる」ものには神秘的な力がある。必然には神秘はないが、偶然には神秘を感じるように人間はできている。AIが普及してもきっと占いは残り続けるだろうしね。

だから、人間が勝手に決めちゃマズそうな供物選定を、ランダムな事象から神意をくみ取るという形でやろうというのが大嘗祭の亀卜というわけだ。

令和の大嘗祭では栃木と京都の稲が使われたね。

亀卜は古代中国で始まった、儀式であり政治(まつりごと)であり文字の発祥ともなった比類なき伝統を持つまさに神事である。これはおそらく中国から朝鮮半島を経由して日本に入ってきたものだと思われる。対馬ではこの亀卜を伝統的に行っている地域があるので、おそらくそのルートからなんじゃないかな。

というわけで、漢字と政治の発祥となった亀の偉大さを俺たちはもっと認識すべきかもしれないな!アジアは亀から始まったといっても過言ではない。竜宮城に亀に乗っていくのも、「亀=神意」とか「亀=文字」と解釈するならば、また別の物語が見えてきそうである。

そのような歴史ある亀卜がこの2019年になってもなお続いていることに、ごく一部の若干面倒な人たちは「ぬおおおおおおお!」となるわけである。

古来より伝えられた儀式が、亀卜が、現代も生きている!

そこにロマンを感じてしまうのだ…!


…ところで。

日本において、占いと言えば、あの集団である。

…陰陽師ってどこいったんだろう?

天皇即位に際して占いで供物を決める。その晴れ舞台ともいえる儀式に、陰陽師の存在が全然感じられない。なぜ!?亀卜があるのだから、土御門系(安倍晴明の子孫)の陰陽師が登場してもおかしくないんじゃないのか!?

そう思う人も0.017%くらいはいるかもしれない。

しかし、いないのである。

もはや陰陽師は…いない…!

いや、公務員としての陰陽寮が解散しただけで、たぶん陰陽師の系譜の人はいるだろうし、何らかの奥義を継承しているかもしれないけれど。

その辺の話も少ししてみよう。

まず、陰陽師というのは、ものすごくざっくりいうと中国から渡ってきた五術「命(人間の運勢)」「卜(事件や未来など)」「相(姿形を占う)」「医(病を治す)」「山(日常の養生)」を日本的にカスタマイズし、命卜に必要な天文学を修め暦を作る技能集団だったわけで、宮廷魔術師というよりは役所的デスクワーク集団と言う方がイメージは近い気がする。

で、彼ら陰陽師が使った占いが六壬(りくじん)というものなのだが、これは時間と方位を組み合わせて、今日はこの方位が吉だとか凶だとか、出発するときはこの時間がいいとかを判定するもの。これで帝や貴族にアドバイスをするのが職能で、残念ながら宮廷での地位はそこまで高くない。なんせ安倍晴明ですら従四位下。貴族と言うより官僚と言った方がしっくりくる。まぁ、神意を判定する者が権力を同時に持ってはいけないという事情もあるだろうけどね。

さて、そんな陰陽師たちの占いだけれども、実はこれは亀卜よりも格が下だったらしい。

つまり天皇即位とか、国家の一大事を決める際には陰陽師の意見よりも亀卜の結果が優先される。

まぁ、由緒正しくて何かすごい神秘的っぽい亀卜と、官僚の「こうしたほうがいいっすよ」っていうアドバイスなら前者を採用したくもなるかもしれない。

そんな国家公務員・陰陽師たちが没落していったきっかけは、だいたい4つあるのではなかろうか。

まず一つめは…そもそも京都が焼けたから!!!

応仁の乱で京の都ががっつり焼け、陰陽寮の貴重な書物や奥義を記したものなんかも散逸してしまったんじゃなかろうか。それに、「それほどの大事件を予見できなかったのって、どうなの?」と言われちゃったとか。占いを国家事業にする悲哀と言えなくもないが…。

二つめは、当たらないこと!!!

み、身も蓋もないが!これはもう、仕方がない。まぁ、何をもって当たった外れたとするかだけれども、どんな大家であっても6割当てれば大したもの。人間の行動や心については占いは当たるにしても、明日の天気とか嵐がいつ収まるかを占いに頼るのはさすがに限界はある。性悪説で有名な古代中国の荀子なんかも、「天が怒って飢饉を起こすとか言うことはない。単なる自然現象だ。治水に励んでしっかり食料を蓄えれば乗り切れる」みたいに言っちゃってるし…。紀元前250年くらいに…。

三つめは…やたら束縛されること!!!

陰陽道では例えば「木を切るのにいい日はこれこれ」「切った木をおろしてくるのにいい日はこれこれ」というのが五行思想を基に計算される。でも、それはあくまでも五行思想からの理屈であって、実際に山に入る人や、海に出て漁をする人たち、畑を耕す人たちの経験則のほうがはるかに当たるわけで、「お、明日は晴れるな!」となっても「明日はダメです」とか言われちゃって全然はかどらない。中世の日本の人たちだって馬鹿じゃないんだから「いや、さすがにそれは面倒臭すぎないか?」って疑問が積もり積もっていったのではなかろうか。外出とか、ちょっとしたラッキーアイテムのレベルならありがたがることができても、実際の仕事となるとそうはいかないだろう。

4つ目は、太陽暦が入ってきちゃったこと!!!

陰陽師の一番大きな仕事は暦の作成。カレンダーづくりだ。それと今が何時かを調べること。漏刻という水時計で時間を図り、決めていたそうな。昔は一日の正確な長さもわからないし、太陰暦は毎年ずれていくし、本場中国とは時差も考えないといけないし…。

「もうある程度適当でよくないか!?」と思った陰陽師もいるかもしれないが、何年かに一度、否応なく陰陽師たちが試されるときがやってくるのである。それは…

日食と、月食だ!

現代の天文学では日食も月食も完璧に予測できるけれども、当時の陰陽師たちには非常に頭の痛い問題だった。上記の通り、太陰暦はずれるし、一日の正確な長さも測れないし、どっか他の国と暦を合わせようとしても遣唐使はもう道真さんが廃止しちゃったし…。

で、外す!

「あれ?月食今日だって言ってたのに、こないじゃん?」

とか帝に言われたらキツいよな…!

ちなみに日食と月食は、もう中国の漢の時代あたりで「かなり正確に予測できるもの」というレベルであったらしい。漢の初期には史書に日食月食が頻繁に記録されているらしいのだが、後半はもう驚かなくなって記述が減っていくのだとか。逆に、日食月食の予測を外した天文学者が処罰されたという話もあるくらい。(突然日食始まると混乱しちゃうからね)

そんなこんなで、明治新政府になった時に、陰陽師の集う陰陽寮は、あえなく廃止となってしまった…!

その後はさして顧みられることもなく、講談等で安倍晴明などが語られるくらいになっていき、歴史の流れに埋もれていくかに思われたところ…00年代の陰陽師ブームで再び世に現れ、今そのブームが去り、また静かに身を潜めているというところなのかもしれないな!

現代に生きる亀卜という伝統をロマンをかみしめつつ、歴史に消えていった陰陽師たちの働きに心からのグッジョブを送りながら、令和も生きていこうじゃないか…!

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