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子どもの人権・未成年者の人権・少年の人権がこじれる理由

"恋愛じゃなく所有"?

先日リリースしたこちらの記事。

バッサリ子供を「自分の付属物、アクセサリーにしない、自分の楽しみのために使ってはいけない」と言い切る対談記事が、自分の記事の1か月前に公開されていたのを見つけた。

家族は父親の所有物、子どもは母親の所有物とみなすような感覚があるのでは、と思ったので、↓の記事を書いたのであった。

経済的に言えば、子どもが生産財から耐久消費財に変わり、貴重品になってしまっている。そのことが各所に悪影響をもたらしているのではないか、という印象を持っている。

母親の私物としての子供の人権

ヤヤネヒロコ女史が「子どもの耐久消費財化」現象について上手いこと表現している。

自分の子供に何かあれば、それは財産権の侵害である、という考え方である。

これは日本の母権社会のあり方そのものである。日本の母権社会については以前に記事に書いた。

極論すると母親になることが日本人女性にとっての人生双六の"上がり"であって、そうしないと社会から権利が与えられないから、ということになる。

だから「階層や所得が高いセレブ妻になりたい」というかたちで、女性は実利を取りに行く方向や、「〈人間未満〉のままで幸せになるには専業主婦が一番楽じゃん」という方向に行く。

一方でフェミニストを自称する女は能力が高いので、上のような実利を取りに行く発想が無い。なので上から目線で"奴隷解放"的なことをほざく。

一方で人間としての"子どもの人権"という発想はなく、子どもを大事にせよという共同体規範を利用した利権漁りのための"子どもの人権"という考え方も出てくる。

だから子供は彼女らにとっては大切な財産のだ。

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