反権威の皮を被る権威主義者 #4: ネオナチ化する日本のフェミニスト集団
敢えてきつい表現を使わせてもらった。
そう感じざるを得ないツイートを見たからだ。
その無責任さ加減を一言で言えばこうだろう。
このような他力本願的、従属的なマインドこそが権威主義者の振る舞いなのだ。
そして他人の自由が許せない。
そのような昨今の傾向について、こう警告した。
「ドイツ人の商店」
いささか古い話だが2020年の12月のこと。
そして2021年9月の松戸警察署のVtuber起用動画騒動、通称"戸定梨香"問題。
ここのあたりの経緯を見て思ったのである。
しかし政治闘争という切り口で見れば
ということなのだ。
「共感されないことを自分への否定や攻撃ととらえる」という傾向の異常性。
そして共感の暴走は暴力的ですらある。
そこで「ドイツ人の商店」という実話を引用したい。
表現規制反対派は気付いているはずである。既に動き始めていることを。
さて時間軸を2021年の秋に戻そう。
安倍元首相狙撃事件からさかのぼること10ヶ月ほど前の時点で統一教会というキーワードが出ていたのである。
これが意味するところは何であったのか。
ここで共産党の匂いをかぎ取ったので、このようなnoteを書くことになる。
そして迎えた総選挙の結果はご存じの通りだった。上述記事で
と指摘したが、結果的に「戦果」が得られなかった。
そしてど2022年4月の「月曜のたわわ」騒動も、騒いだ側の裏側を調べられて空砲に終わったのであった。
「水晶の夜」に備えよ!
水晶の夜とは、1938年11月9日夜から10日未明にかけてドイツの各地で発生した反ユダヤ主義暴動、迫害事件のことだ。
しかも時のナチス政権は傍観者として振舞っていた。
表現規制関連で、これと似たような出来事が起きるのだろうか?
恐らくは共産党系が暴走したときに、冒頭で指摘した無責任な女性のマジョリティがナチス政権と同じように傍観者として振舞う可能性は高い。
では、具体的にどのようなシナリオが想定されるだろうか?
それは道徳を法律に書き込もうとするときだろうと想像する。
これのモデルケースは「ちびくろサンボ」問題だ。
そして未成年者を表現することを問題視するという形で表現規制を試みるだろう。
その時は「不思議の国のアリス」のような児童書や絵本ですら絶版になる。
そして、時の政権、与党はこう言って、彼女らとそのシンパが守ろうとしたBLも含む同性愛表現も規制するだろう。
勿論、そこには相互認証破壊的な動きに持ち込むためのロビー活動が必須ではあるけれども、それは表現規制反対運動の目標も戦力も戦術も反転させる必要がある、ということを意味する。
現実のLGBTQ+の人たちを巻き込んで、「私たちのような同性愛者を娯楽で描かれることは不愉快です」と言わせればいいのだから。
これは実に失礼・無礼な話だが、そこまでやるかどうかは別の話。
それにしても絵本や児童文学まで発禁になる、というのは極端なシナリオかもしれない。
しかし法律というのは、人情を酌まないものだ。
補論
2021年の総選挙にあたって炎上した「社会的合意」というもの。
「儲からない」からやらない、という選択肢は非商業作家にはないだろう。そして合意している側と合意しない側で社会が分断されるはずである。
勿論、表現規制問題で国論が割れるというのは大袈裟な話だし、非現実的ではある。
恐らくは別の論点・争点で上書きされてしまって、政策パッケージの一部として議論されることになるだろうが、野党や左派の現状を見ていると「勝ち目」はない。
その時に表現規制推進派がどのよう戦術で暴れてくるのか、その点は興味深い問題として残されている。
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