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ジョージ・フロイドの作り方

アメリカの黒人は母子家庭が多い

興味深いデータと指摘があったのでご紹介。

個人的に特に重要と考える指摘はここだ。

7割が未婚の母になるのは、個人的事情じゃない。集団文化的に母子家庭を選択し、母子家庭の生活保護をあてにして、永久就職として子供を作るからです。
母子家庭が圧倒的多数を占める集団は、単独では経済的に維持できず、外部からの支援制度と共犯関係にならないと、こんなイビツな集団を作ることはできません。収入源が生活保護なのだから、子を産む娘は金のなる木であって、男子は無駄。旦那は生活保護を切られかねない邪魔者。
生活保護を切らさないためには、娘はできるだけ早く出産する必要があり、高校卒業する前に出産するのは珍しくない。これで、フェミニストの理想郷のような母系社会が出来上がります。男子はギャングとなって犯罪と薬物にまみれ、大人まで生き残れば『ジョージ・フロイド』が出来上がる。

典型的な「文化以前にアーキテクチャあり」の構図である。すなわち制度設計が人間の行動を支配する、ということである。

これは、日本のサラリーマンが所属先への忠誠心が高いように振る舞う理由は、労働市場の流動性の低さと年金制度が原因と言われることと似ている。

黒人夫婦の夫なり父親が稼げない理由、そこにアメリカ社会の病理の一端が窺えるし、本来は社会政策・労働政策として手当てされるべき問題だったはずである。

しかし現実は逆を行っているようだ。

これでは、黒人の抱える構造的問題へのダメ押しである。

父親不要論は経済的に共倒れになる

アメリカの黒人の母子家庭が多い問題、抽象的な言い方をすれば、社会システムにタダ乗りしつつ、そのシステムの維持には興味が無い、という姿勢の人間が増えすぎてある閾値を超えると、システムは維持できなくなる、ということである。

とにかく利用できるものは利用し、タダ乗りできるものはタダ乗りする。

30年かけて未婚の母が7割を占める形に変化してきたのは、母子家庭への支援が厚い社会制度に適応した結果である、と言えないだろうか。

このような社会システムへの適応が文化を形作る例は以前に紹介した。

本邦でも個人のエゴとしての「お金と有能な精子」を得る権利という議論が出てきたようだ。有料記事だが、こういう指摘がある。

萱野 知人女性のなかには「一夫多妻婚や一妻多夫婚といった重婚を認めてほしい」という人が何人もいます。その理由は、女性が結婚を望むような好条件の男性はその数が圧倒的に少なく、女性の間での競争があまりに激しいから、だそうです。重婚が認められれば、女性間での競争を勝ち抜かなくても高スペックの男性を分かち合えるということですね。彼女たちは、お金と有能な精子さえ提供してくれれば、夫は家に帰ってくる必要さえないといっています。老後に夫の面倒をみる必要もないので、重婚のほうがむしろ気楽だ、と。現代のように一夫一婦制の単婚が制度化される以前は、富や権力を集中させた男が複数の女性との間に多くの子を持つということは珍しくありませんでした。女性にとっては数少ない高スペックの男性を奪い合わなくてすむという点で、こうした重婚が認められる社会のほうが、実はメリットがあるのかもしれません。彼女たちは「単婚は本来なら結婚できなかったような男のための制度ではないか」ともいっていて、それは案外正しいかもしれないと思いましたね。
赤川 多くの女性が取り合うような好条件の男性は何度か結婚を繰り返すことも珍しくありません。最初の妻との間に子供を作って、離婚して新しい妻との間にまた子供を作る――そういう遷移的な複数の結婚で多くの子供を作る男性が結構いるんですよね。
萱野 時間差重婚ですね。女性の社会進出が進んでいけば、当然、上昇婚の条件に合うような男性の数はどんどん少なくなっていき、女性はさらなる競争激化にさらされることになります。と同時に男性からすれば、結婚するためにクリアしなければならない条件があまりに高くなってしまうため、結婚そのものを重荷と感じる人も増えるでしょう。

これが制度的に認められたとしても、果たして経済的に成り立つのかどうか。娘2人が離婚して子供を連れて帰ってきてしまったがゆえに、疑似的に一夫多妻状態になってしまった88歳開業医の話を知っていると、"重婚"で後悔したり苦労したりするの誰なのかという気がしてくる。

家族の形

従来の便益の調達先である"生活世界"が解体され、"システム"から調達するようになると、そもそも家族という仕組みも不要になる。

それこそ両親と子供という形の家族を持つ、制度としても維持する理由が無くなってしまう。

理論的には機能的等価性が担保できていれば、従来通りの家族の形にこだわる必要はないが、先述のアメリカ黒人家庭の統計を見ると、その"機能"って何だろうと首をかしげるしかない。

別の有料記事にもこういう指摘がある。

田中 高度成長期に形成された性別役割分業を前提とした家族では、“男性が働かなくなる”ことがそのまま“家族の崩壊”になったことが大きいですね。男性の稼ぎを基本として家のローンを組むし、子どもを大学まで行かせることを考えると給料も上がっていかないといけないから、当然「辞めてはいけない」という想定になります。家族が崩壊すれば社会が成り立ちませんし、男性には逃げ道がない。建築業や製造業のように、従来、多くの男性が働いてきた産業が衰退していますし、自営業も減っています。今の仕事にしがみつくしかない状況の中で、給与自体も下がっているので、男性はますます厳しいのではないかと思います。
宮台 もうひとつのファクターとして、1960年代から核家族化、学問的な言い方だと2世代少子家族が進んだことがあります。当初は、それでも祖父母との交流もありましたが、親世代が、祖父母世代を面倒な存在として扱うようになってくると、子ども世代も、そうした印象を抱くようになります。すると、祖父母世代には、農業も含めて自営業者が多いのに、子ども世代には、それが見えなくなり、代わりに親世代が提示し奨励するロールモデルばかり見えるようになるわけです。

家族の形にこだわらなくて済むようにするためにには、ロールモデルの多様性が前提条件として必要だが、現実には限られた形しか見て育ってきていない。

ここのギャップを時間をかけて埋めるのか、それとも時計の針を逆回しするような政策を採るのか。そこが政策的な分岐点になるのではないか。

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