経済重視の結婚が女に覚悟を突きつける
社会階級や経済格差を気にせずにいられた一億総中流時代が終わった。
過去の記事でも何度も繰り返してきたが、本邦では専業主婦という存在は、特権階級・既得権益・没落中間層(没落中産階級)という、3つの側面、3つのグループに割れてしまっている。これは事あるごとに繰り返してきた通りだ。
そして実利を取りつつ何かと差別と騒いで自らの取り分をちゃっかり増やしていくという非生産的な女性と、そういう飼われるだけの"家畜"にうんざりしているバリキャリ女性と、自らは高収入男性の妻として安全地帯から高みの見物を決める女性と、分裂していくのであった。
言い換えると結婚が新たな分断を生む時代となったのである。婚活という言葉を流行らせた白河桃子はこう指摘する。
「30代からバリバリ仕事をするために、いま結婚して子供を産んでおくんです」というのは、「やりたい仕事」や「生涯続けたい仕事」についている女性が多い。
一方、やりたい仕事に就けなかった女性たちは、さらに「早く結婚してかわいいママになりたい」と「専業主婦願望」を抱く。
主婦はデフォルト(初期設定)で、ほかの何かを求めたアラフォー世代と違い、この世代の女性たちにとって専業主婦はあこがれの地位であり、仕事は「生活のためにやらなくてはいけない苦行」なのかもしれない。上の世代が「仕事」「結婚・子供」を手に入れるために、すごく苦労しているのを見て、迷わず「結婚・子供」を選びたいと思っているのだ。
有料記事だが、白河桃子はさらに重要な指摘をしている。
【⽩河】 実は私は、婚活ブームに⼤きな反省があります。⼭⽥昌弘先⽣と婚活という⾔葉を提唱し、世論を喚起したけれど、主張は半分しか伝わらなかったのです。
伝わったのは「受け⾝ではもう結婚が難しい、何か⾏動しよう」ということ。昔の⽇本には、本⼈が受け⾝でも周りが結婚へ導くシステムがあった。たとえば社内結婚は⼀種の集団お⾒合い。こういったシステムの恩恵で⽇本⼈の97%が結婚していました。しかしそんな先進国は世界的になく、⽇本ももはやそうではありません。この点にみんな⾶びついた。「このままでは結婚できないかも」と漠然と思っていたので。
⼀⽅、伝わらなかったのは結婚のリデザイン(再設計)。もう昭和の男性稼ぎ型結婚は通⽤しない、このモデルから脱却する必要があるということです。本当はこちらを強く訴えたかったのに、誤解されたまま婚活ブームが広がりました。
【藤⽥】 誤解とは︖
【⽩河】 逆にますます昭和型にしがみついたのです。「ごく⼀部の稼げる男を、少しでも早く獲得せねば」と競争が激化し、婚活を、「より広い範囲からよりよい相⼿を選択すること」と誤解する⼈も出現しました。
昔は「釣り堀婚」でした。「この釣り堀(会社)に糸を垂らしてください。いい⿂(結婚相⼿)がいますから」と。それが今は「価格コム婚」。たとえば冷蔵庫が壊れたら、部屋の寸法にぴったりな製品と、それをいちばん安く買える店をインターネットで検索します。同様に、結婚相⼿もより広い範囲から検索して選びたい、と。でも相⼿は⼈間。婚活サイトで理想の条件を⼊れれば、確かに1000⼈ぐらいヒットしますが、全員とはデートできません。メールをやり取りして、実際に会ってという、膨⼤な時間的・精神的、⾦銭的なコストを要する婚活ビジネスが、結婚をむしろ遠ざけています。
何もかもが商品化されていくという資本主義の深化がもたらす負の側面は、消費者主権、消費者中心主義という形でも社会を蝕んでいる。
その一つの顕れが、以前に指摘した労働市場からの退出現象である。
そして父親世代よりも可処分所得の少ない男との結婚に経済的なメリットはないだろうが、それでも結婚するかどうかという、ある種の選択の問題が女性に突き付けられていると言えるだろう。
むしろ、経済的な理由で結婚するという本音が通用しなくなってきたのにもかかわらず、旧来型のスペック重視に巻き戻ってしまった現状がある。それは仲間集団から承認される相手としか付き合えないし、結婚できないが、その承認の条件がスペックだからだ。
そう、ロマンチックラブの衰退によって、そこに"真の心"なんてありえない、"真の心"があるのか、という不安が広がっていく。だから不倫相手への"真の心"があるんじゃないか、だから許せない、という心理になる。
これは先日指摘した人間関係のタコ足化がルール破りとして考えられているということでもある。
この矛盾はどう考えればいいのだろうか?単にバッシングして楽しんでいるだけ、と考えるのが最もシンプルだ。吹き上がりとは、欠乏感の埋め合わせとしての求償行動だからだ。
果たして、こんな世間は結婚を祝福するのだろうか?
それにしても、"大家族"というものが崩壊した後の本邦は、西洋的な一夫一妻制を形式的に取り入れる一方で、夫婦という単位を認めず、そして社会システムの下請けとして利用するだけ利用した、という歴史がある。
変形家族を認めることも含めた"新しい""イエ"社会の構築に向かうのか、それとも単なる経済的なメリットの追求が結婚の唯一の動機となる社会になるのか、それとも別の形になるのか。
結局そういうセレブ妻志向女子の方を、非モテ化するしかない。男性に選ばれないリスクが高まるというトレンドができてはじめて、女子は人生戦略を改めるので。男性に向けて「人生戦略として考えた場合、専業主婦でマイホーム志向の女子をお嫁に貰うことはリスクである」ということを客観的に突きつけたほうがいい
人生戦略の新たなモデルが無い以上、昔のやり方にしがみついたり、「古い世界」に媚びたりするのが短期解なのかもしれないが。そのやり方も期限切れを起こしてき始めた気がするのは私だけだろうか。
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