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過剰包摂と中間層崩壊の側面#3:転落への恐怖と母親による抱え込みの社会的弊害

日本人であれば大多数が中間層・中流階級として包摂されてきたが、バブル崩壊で経済的余力が失われていく過程で、"叩き出し"のゲームが始まった。そういう状況下で転落という形で"叩き出される"恐怖からくる埋め合わせの行動と、一方で積極的に"叩き出そう"とする動きの両方があるのではないか。

今回は第一弾の続編のような内容だが、中間層からの転落に怯える婚活女子を取り巻く不都合な真実を見ていきたい。

始まり、というかツカミ

実家関連のネタとして、こんだけ金融資産を作っても、将来の相続対策にやっているのであって、下手するとすべてを現金化しても足りなくなるかもしれない、という話を書いた。

コメント欄で、brothert354氏とこんなやりとりをさせていただいた。

やじうまファイタークソえもん
2021年10月22日 21:52

> brothert354さん
4つの金融機関に分散させていた金融資産を去年6月から名寄せもかねてSBI証券&住信SBIに集約させた結果が、これです。
しかし、これでも実家の不動産相続の相続税で全部消えても足りないかもしれない、というレベルです。
これが古くから代々住んでいる一族の人間の現実ですよ…

ちょうど、この↓noteに頂いたコメントとも関係する話です。
https://note.com/yajiumafighter/n/na81f3bc9b347

マイホームを買っても親からの相続が発生した途端にマイホームを手放さざるを得ない。それが親戚夫婦の身に起きた出来事です。こう書くと悪い話のようですが、親戚の場合は幸運が重なったこともあって、相続税を払っても少し広い住処への引っ越しができた形で収まりましたが。

我々孫世代は「不動産は買うな」って厳命されるレベルでヤバイです。
どうも曽祖父母の代からの相続の時もリバースモーゲージを検討していたとか、曽祖父が亡くなった時(自分は生まれる前)の相続の時に税務署から人が来たとか、そういう話があったそうなので。
brothert354
2021年10月23日 10:19

優遇措置も多い自宅の相続でそれだけお金がかかるというのもすごいですね。私も今の「一番居住スペースが求められる時期」を考慮してローンで新築を買うというのはやった人を否定までは出来ませんが、もう限界に近いのかなと考えています。ただ老後を考えるなら不動産を確保しておくのは保険になりうる面までは否定できないとも感じるんですよね。
私は婚活をしていないので分からないですが婚活でアラフォーくらいの女性が20代の女性と同様「年収〇〇万円」と騒ぐのに違和感を感じるのはその辺の部分もあります。「姉さん女房は金のわらじをはいてでも探せ」と言う言葉がありましたが結局アラフォーでも20代でも変わらないと感じる人が増えればこの手の言葉も死後になっていくんだろうなと。
http://blog.livedoor.jp/brothertom/archives/85602498.html

税務署的には、現金→預貯金→金融資産(株や債券など)→いわゆる物納、の順序で差し押さえていくので、土地は要らないからそっちを持って行って、という融通は効かない。従って、インデックス投資を中心に金融資産を増やしておき、相続が発生したら投資信託を売って相続税を払うスキームを組むようにしている、という事情である。

恐らく9割以上の人は物納は最後の手段ということは知っていても、それまでに現金や預貯金を身ぐるみ剥がされることは知らない人が多いのではなかろうか。

こういうことを知る機会がないのも問題なのだが、知ったところで頭痛の種が増えるだけでしかない。

さて本題

上のコメントの後の議論から本題である。

やじうまファイタークソえもん
2021年10月23日 11:21

> brothert354さん

女性目線から言えば、今や婚活の最大の動機は「中流層もしくは中産階級からの転落」への恐怖心なんです。

男性の優配偶者率が本年の収入と比例する傾向はダグラス・有沢の法則と呼ばれているのですが、この傾向が21世紀に入って強化されています。

こんな話は1990年代から分かっていたのに、政治的にはタブーだった、という話が山田昌弘氏の著作に時々出てきます。

去年の著作「日本の少子化対策はなぜ失敗したのか? 結婚・出産が回避される本当の原因」になると怒り心頭モードが文面から伝わってくるくらいで。

ポリコレは社会を殺します。
brothert354
2021年10月24日 11:39
>やじうまファイタークソえもんさん

「中流層もしくは中産階級からの転落」と言うのが結局の所「労働」と「消費」でしか経済への参加をしないで車も家も持って子供を大学に進学させることであるなら無理があります。

個人的には中流と中産は分けて考えているのですが、「労働」と「消費」しかないのは中流でかつ中流と下層を隔てているものって結局の所給料の額でしかない訳です。

そう考えると稼ぎ以外の金融や人間関係など有形・無形の資産が中流・下層と中産を分けるものだと思うのですが、その辺も考えていく時期になっていくんでしょうかね。
http://blog.livedoor.jp/brothertom/archives/11132301.html
やじうまファイタークソえもん
2021年10月24日 12:11
> brothert354さん

> 「中流層もしくは中産階級からの転落」と言うのが結局の所「労働」と「消費」でしか経済への参加をしないで車も家も持って子供を大学に進学させることであるなら無理があります。

ちょうど書いているnoteのテーマがそれです。
経済への参加どころか"社会と繋がっている"感覚、言い換えると社会的自己有用感と言いますか、それが市場システムへの参加しかないという現状があります。
更に言ってしまうと自己実現が「消費、趣味領域にこそ自己実現がある」という観念が女性に強く、これが顕示的消費の強力なエンジンであったわけですが、この傾向が今後どうなるのか。
典型的にはママ友カーストの構造ですね。

家族ですら市場価値で見るという社会という観点は必要でしょう。そのことの良し悪しは保留するとしても。個人的な意見ですが、そこまで市場原理主義が浸透していったのであれば、もう持続可能性はないだろう、と思います。市場の作動が市場が成り立つ前提を壊してしまいますから。

中間層からの転落のきっかけなりメカニズムなりは、今や社会のあちらこちらに見えない落とし穴のように分布していて、いつ誰が陥ってもおかしくはない状況だ。

例えば、今や結婚にはメリットがないと考える人間が出るぞ、という脅し的予言。

現実には結婚相談所では女余りの状況が続いていると聞く。この問題に関しては、過去にも何度もtweetしている。

これらの話から見えてくるのは主に2点。

(1) 女性の社会進出という名の労働市場への参入といっても、労働力的には男性未満なのだから、という差別的現実がある。とにかくキツイであるとか、ハラスメントがあるとか、そういうのも含む。つまり男女平等でも男女公平でもない。

(2) 高度成長期に給与所得者の夫&賃労働に就かない妻という夫婦モデルが中間層の標準モデルとなったが、それは中間層が豊かな一億総中流社会の産物であって、実際は一億総中流というのは幻想(過剰包摂!)。少し前までは夫婦共稼ぎの方が有利なところもあったが、今となっては夫婦共稼ぎでないと生活が苦しくなるというところまで給与所得者が経済的に追い込まれている。

(3) 誰も現実を教えないので、やってることが的を外す。これは個人の行動にしろ政策にしろ同じ。夢を追いかけるばかりに「見たいものしか見ない」心の習慣が身に付いてしまっている。それゆえ、中間層からの転落に怯えるあまり「愛よりカネ」の結婚を志向するが、現実的には無理である。

このあたりの状況をbrothert354氏もブログで指摘している。

平成の時代、母親とともに父親の経済力をベースに消費の主役だった女性達、そのすべてではないにせよ少なくない数の女性たちが令和の時代になってニートや引きこもりの文脈で注目される、その辺に諸行無常を感じるのは私だけでしょうか?

そう、父親の経済力の低下はバブル崩壊とともに始まり、そして消費不況のスパイラルに突入したというシナリオが現実には起きており、子のトレンドが反転する要因は見当たらない。

中流からの転落不安が女たちを婚活に走らせるが、それは逆効果

先に結論を行ってしまうと、この図式が自分なりの見解である。

この結論に至るまでの伏線の一つが、このデータである。

そしてタイミング良く文春オンラインに掲載された、酒井順子女史によるコラムは、まさに正鵠を得た内容だった。

このコラムの#2で酒井女史はこう指摘する。

 対して我々の時代は、何となく「上」は目指した方がいいのではないか、との空気が世を覆っていました。自分の力で上昇するか、結婚相手の力で上昇するかという2つの選択肢が見えた時、佳代さんは後者の道を選び、自分より「高」な相手と結婚したのです。
 結婚による階級上昇を体験したことにより、佳代さんはさらなる夢を、息子の圭さんに託したように見えます。圭さんは小学校から私立校で学び、その後はインターナショナルスクールの中学高校から、国際基督教大学へ。国際派のおぼっちゃま風の進路を歩みました。

「結婚による階級上昇」というのがキーワードだ。ところが金で履けるゲタには限界がある、というのがオチであった。

そして現実は(1)結婚によって成り上がる、(2)己の実力・実績で成り上がる、(3)それ以外、という形で割れていくことになった。

問題は(1)と(2)のグループ、それぞれに問題があることだ。

(1)のグループはリベラルな思想傾向があるかもしれないが、そこに落とし穴がある。「格差社会という不幸(神保・宮台マル激トーク・オン・デマンドVII)」(2009年、春秋社)の対談の中で宮台真司はこう指摘する。(該当書P.50)

能力のない者の収入を国が確保するには、日本ではむずかしいですね。僕は「フェミニズム」と聞くとすぐ生活者ネットワーク、つまり、生活クラブ生協を母体とする政治グループで活躍する、善意あふれた向上心旺盛な奥様方を思い出します。実は、専業主婦である彼女たちの旦那さんは、一部上場企業の取締役や部長をやっていたりするケースが大半です。
彼女たちがリベラルであるのは僕も疑いませんが、自分たちがどんなに恵まれているか、自分自身のリベラルさがどんなリソースに支えられているか、自覚がない向きが多いようにお見受けします。つまり。財界人や先に話題にになった労働組合だけでなく、生活者ネットワークの方々でさえ、非正規雇用者を中心として空洞化する社会について問題意識が高くない。

(2)のグループについては、"成り上がりのジレンマ"と呼ぶべき心理がある。菅前総理に対する御田寺圭氏の指摘から引用しよう。

政治家にかぎらず、実業界など他の分野でも「成り上がり」を成し遂げた者たちがかつて見た「下々の者たち」の姿は、語弊を恐れずに言えば、往々にして怠惰で、不誠実で、賢明でない人びとだ。そんな環境で自らが燻るのが嫌だからこそ「成り上がり」は努力を重ねたのだ。「成り上がり」は、エリートたちの想像とはまったく異なる彼らの本当の姿を知っているからこそ、哀れみや慈悲心を持つことがどうしてもできない。むしろ非共感的で冷酷な態度を取ってしまいたくなる。
自分がかつて属していた階層の人びとに対してやさしくするのではなく「自分は努力でここまでのし上がった。高みにたどり着いた。どうしてお前たちは、同じように努力しない?」という感情がまさってしまう。結果的に、生まれも育ちもあきらかに恵まれたスーパーエリートより、血のにじむ努力で成功を収めた「成り上がり」の方が、再分配や社会保障に対して否定的な感情を持つようになってしまうことはめずらしくない。

(1)も(2)も下々の者に対して案外慈悲が無いのだ。

(3)になるしかない、もしくは結果的に(3)のグループに入ってしまった層は、言わば排除されてしまった層とも言えるだろう。例えば非正規雇用の独身女性であるとか、シングルマザーといった経済的に苦しい女性たちである。

このような情勢下で、親の子供の教育に対する期待はインフレを起こしつつも、下層への転落を避けるという後ろ向きの動機が強まっていく。

それが母親による子の抱え込みである。

母親が息子を抱え込んでしまう弊害のもう一つの形

これは毒親問題として近年注目されているテーマではあるが、特に母親対息子の問題はあまり光が当たってこなかった印象がある。息子の問題が無視されてきていた背景にもジェンダータブーの存在が伺える。

さらに母親の評価関数のインプットの一つとして"子どもの評価"がファクターとして入ってくる現状がある。

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夫の職業や収入といった夫のファクターは、妻の立場からはコントロールしづらい。一方で子どもはコントロールしやすい。ざっと言ってしまえば、これが毒親となる典型的なメカニズムである。

以前から指摘している通り、このメカニズムの背景には母親が抱える己の不全感の埋め合わせが動機がある。

そして子に注ぐ愛情というものが"見返り前提の贈与"となってしまう。そう、自分のステータスを上げてもらうために。

そこには社会的承認という限られたリソースや、縮みゆく経済の中での取り分の確保といった状況下で、己の取り分とポジションを確保するのに必死になる人間の姿しかない。

社会的、経済的な余裕のない状況で、己の取り分とポジションを確保するのに個人が必死になる社会。そこには余剰の応酬で成り立つ共同体・生活世界は存在しえない。

そしてますます母親は子どもを抱え込み、所有物として支配するようになっていく。そのような"愛情"は、子どもへの見返りが得られるべき贈与でしかない。親からすればここまでやってあげたんだから見返りはあるべきだ、という発想が子供をダメにする。

まさに己の損得にこだわる宮台真司のいうところの"クズ"である。

もう、↓のような考えでいられる人間は絶滅危惧種なのかもしれない。たとえ相手が、恋人だろうと家族だろうと。

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本当にその通りだと思います。

仰ってくださったことは「結婚相手に何をして貰えるか」ではなく「結婚相手に自分が何ができるか」を考えられる方だからこそ出てくる言葉だと思うんですよね。

弊社アカウントでしつこく発信しておりますが、
「お互いをいかに思いやれるか」
ということが大事です。

平和な世界になるよう皆さんで祈りを捧げましょう…

もはや普通も中流も存在しない

現代社会は、平穏に生きるのですら難しいが、誰もが成り上がれと世間や社会に尻を叩かれる。

そして上には上があるということを強制的に見せる新型格差社会が追い打ちをかける。

ちょっとでもしくじれば下層に転落してしまう。上方流動性が消えた代わりに下方流動性だけが強くなった社会になってしまった。

そうなれば必然的に若い世代は保身化するし、女性の専業主婦志向も強まるのは無理はない。

そういう情勢が分かっているからこそ、相馬市の立谷市長は「男性の所得上げないと人口問題解消しない」と発言したのだろう。

この問題に関しては新書が出ていて、データも含めて詳しいので↓を参照して欲しい。

上の親書は2020年に刊行されたものだが、さかのぼること2011年2月にも同様のテーマを扱った別の著者による新書が出ている。

「平成幸福論ノート」では、「安定志向のリスク」というのがテーマだったが、「日本の少子化対策はなぜ失敗したのか?」では「中流転落不安」がテーマである。9年ほどで一段階フェーズが"下がった"のである。

このことの重大性を次の記事で考えてみたい。

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