今時の時代精神は「誰が言ったか知らないが、言われてみれば確かに聞こえる空耳アワー」の対偶なのだろう。
政治的に言えばアイデンティティ・ポリティクスと権威主義の接近である。
「誰が言ったか」が大事な時代
シュナムル氏の垢消し騒動について白饅頭氏が取り上げた。
それを受けてコメントをツイートし、白饅頭氏に拾われた結果がこちら↓
こうなった理由について、上述の白饅頭氏のコラムはこう指摘している。
言い換えると自分の頭で考えない人間が増えたという現状の裏返しだ。
もう難しいことはわからないから、社会というものに関心も持たなくなり、文字通り"手の届く"範囲の物事にしか興味を持たない、そして"誰かがやってくれる"だろうから任せて文句を垂れるだけ、という姿勢の人間が増えた。
これは権威主義の一つの形だ。
「正しさ」という権威と東浩紀の"最強の弱者"
話は2014年の正月明けにさかのぼる。ビデオニュース・ドットコムのマル激に出演した東浩紀がこんな発言をしている。
「正しさ」の基準を失ったところで、弱者の見方という判官びいきが幅を利かせるようになった。
そのことをジャーナリストの佐々木俊尚氏も批判的に見ている。
マル激出演からほぼ1年後の2014年の大みそかに東浩紀はこう言い放った。
これが炎上したわけだが、これ以降、同じ話題が定期的に繰り返すように炎上している。
供給側の論理として、ちょっとしたことが搾取だ!という具合に騒ぐネタとみなされる変化を感じずにはいられない。
それはいわゆるクレージークレーマー問題の社会問題化と相関していると言えるだろう。
「高度不信社会」と自力救済2.0
結局のところ、被害の権力化ができる人間が好き勝手出来る時代という「自力救済2.0」の時代が始まったということだ。
そしてもう一つの時代精神「将来不安」と併せて考えると、こういう見方もできるだろう。
将来が不安だから今のフレーム、レジーム、プラットフォームのなかでポジションを失いたくない、という心情だ。
だから防衛的になり攻撃的にもなる人間が増えた。
そして「高度不信社会」だ。
これは政治学者の吉田徹氏が使うキーワードで、政治不信も高いし他人に対する不信も高い状況を指す。
仲間のことを考える、仲間のことを大切にする、という仲間意識の不在を、外側を作ってバッシングすることで埋めることで、仲間意識をでっちあげる。
カール・シュミットの友敵図式そのものだ。
これが「高度不信社会」を駆動しているのだ。
先般の元首相狙撃事件の社会的背景も「高度不信社会」があると考えるとわかりやすい。
残念ながら本邦にはcall & responseという思考の伝統はないがゆえに、「責任」という観念もないのだろう。
だから政治も「やりたいからやる」という姿勢になる。
統治権力への不信が募るのも当たり前だろう。