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過剰包摂と中間層崩壊の側面#4:オワコンの"結婚による階級上昇"

日本人であれば大多数が中間層・中流階級として包摂されてきたが、バブル崩壊で経済的余力が失われていく過程で、"叩き出し"のゲームが始まった。そういう状況下で転落という形で"叩き出される"恐怖からくる埋め合わせの行動と、一方で積極的に"叩き出そう"とする動きの両方があるのではないか。

前回に引き続き、中間層からの転落に怯える婚活女子を取り巻く不都合な真実を見ていきたいが、ちょっと寄り道しよう。

上昇婚の終わり

昨今の雰囲気に感じた違和感を、こうツイートした。

まさにこの問題が2010年代の結婚を取り巻く環境変化の中で最大のものだった。2008年に山田昌弘氏と共著『「婚活」時代』を出した白河桃子女史は2020年にこう振り返る。

⼀⽅、伝わらなかったのは結婚のリデザイン(再設計)。もう昭和の男性稼ぎ型結婚は通⽤しない、このモデルから脱却する必要があるということです。本当はこちらを強く訴えたかったのに、誤解されたまま婚活ブームが広がりました。

(中略)

【⽩河】 逆にますます昭和型にしがみついたのです。「ごく⼀部の稼げる男を、少しでも早く獲得せねば」と競争が激化し、婚活を、「より広い範囲からよりよい相⼿を選択すること」と誤解する⼈も出現しました。

2013年頃から結婚相談所の会員男女比が女性余りに逆転したと言われているが、この5年というタイムラグはある意味興味深い。

本邦の経済情勢が好転し始めたのが2013年頃、いわゆるアベノミクス以降の状況を見てみると、結婚すれば「生活のためにやらなくてはいけない苦行」である仕事をしなくても良くなる、と女性が希望を持ってしまったのかもしれない。そんなのは幻想でしかないのだが。

残念ながら結婚していようが自分のために働く時代なのだ。

そういう現実を母親が見せない家庭が相変わらず多いどころか、娘の結婚相手ですら母親の評価を左右する。

後妻業が独身女性の老後を保証する?

近畿連続青酸死事件で11人を殺害した筧千佐子死刑囚。

どうもこの手の女性が増えてきているのではないかという指摘もある。

結婚相談所関係者たちは、口を揃えて「この十数年でプロ妻や、その候補者が増えた」と話す。共に結婚相手の男性を企業と見立てる点は、ミサキさん、ヨシコさんに共通しており、多くのプロ妻たちの考え方なのだろう。だが、そのスタンスには大きな隔たりがあるようだ。

贅沢を捨てられず、かといって自力で稼ぐ力が弱いとなると、高収入男性や資産家に寄生するしかない、という哀しい現実。しかし、"取り付く島"も減ってきているし、その"島"ですら存続可能性は怪しい。

自力での階級上昇を諦める日本女性

シリーズの前回で夫や子どもの地位や属性で評価される妻・母親の闇は指摘した。

女性の社会進出が叫ばれ、実際に成功者も出てきている中、相変わらず結婚相手にこだわる類の話は未だに"あるある"なのだろう。結婚相談所の代表を務める植草美幸女史は、背景要因も含めてこう指摘する。

 他の条件は何も問わない、ただただ医者と結婚して地位と名誉だけがほしい、そんな病気だ。

(中略)

 私が思うに、女性にとって、特に専業主婦を目指す人にとって、「自慢できる夫の職業」にはヒエラルキーがあり、そのピラミッドの頂点にいるのが「医者」なのである。
 なお、医者であれば、年収、勤務医か開業医か、専門は何か、ということは問わないようだ。あまり職業を知らないというのもあると思うが、「医者」というのは説明不要でわかりやすい「お金持ち」のアイコンなのだ。
 要するに、「お医者さま病」の女性たちは結婚で「お金持ち」の象徴を手に入れたいと思っている。自慢できる結婚がしたいだけなのだ。

(中略)

 相手より上に立ちたい、と考える女性は本当に多い。結婚適齢期の女性だけではなく、日本女性全体に蔓延る、一種の病だと私は思う。それが、結婚相手という形で現れたのが「お医者さま病」なのではないだろうか。

(中略)

 最近の女性と接してきて思うのは、母親と娘の距離感が非常に近いことだ。遊びに行くのも一緒、ご飯を食べに行くのも一緒、行った先での定番のネタは「お父さんは三流だから」という父親の悪口だ。無意識かもしれないが、そうした密な関係性により、娘も「自分の好きな人」と結婚したいと考えるより、「お母さんが好きだと思う人」を選びがちだ。
 それにしても母親はなぜ娘を医者と結婚させたいのか? それは、自分が医者と結婚したかったという裏返しではないだろうかと私は分析する。彼女自身が医者の妻になりたかったのであり、その夢を娘に刷り込んでいる。父親のほうは、それを察しているかはわからないが、妻の口うるさい要求を満たすために娘を医者と結婚させなくては、と動いているにすぎない。
 男性の場合、仕事を通じて自分のプライドを満たすことができるが、専業主婦の女性たちは自分のプライドを自分自身で満たすことができなかった。つまり、女性は自分のフィールドで勝負するものを持っていなかったのだ。
 そのため、自分のフィールドとは関係のないものでプライドを満たすのである。それが、自慢できる職業の伴侶や婿を得ることであったり、子どもをその職業に育てたりすることであったりしたというわけだ。
 その表出として最たるもの、それこそが「お医者さま病」なのではないだろうか。
 つまり、この病は日本社会の影が生み出したものに他ならない。

(中略)

 女同士の戦いは幼いころから行われている。エリートであればあるほど、小学校受験や中学校受験など受験戦争で揉まれてきているし、受験が終われば就職があるが、その戦いは男性以上。有名企業の椅子をかけて争ったうえで、最後に結婚という戦いに挑むのだ。
 女性が寿退社でやめるときに、必ず聞かれる質問が、“旦那さまの職業は?”である。そのときが女性たちの最大の山場だ。そこで「お医者様なんです」といえば歓声が上がり、羨望のまなざしを受けるだろう。その瞬間のために、彼女たちは幼いころからがんばってきたのだ。
 そこでもし自慢できない職業の夫だったら? 特に注目もされないまま、彼女は表舞台を降りるのである。
「今まで頑張ってきたのに」――20年近く競争社会にさらされつづけた彼女たちの脳裏には、そんな思いがちらつくのである。
 女性が働き続けるようになった若い世代の場合にもその傾向がみられるのは、ゆとり教育の影響もあると私は感じている。
 ゆとり世代の女性たちは、攻撃的な性格であることが多いわりには、過剰な手取り足取りがないと行動できない。そうすると、「自分の力ではなくとも、人から見られる時には相手よりは上の立場になりたい」という発想になりがちだ。そんな彼女たちもまた、「お医者さま病」になっていくのである。
 このようにして、夫を使ってマウンティングしあう、それが現代の女社会なのである。

上で紹介したような事例は、己の社会的評価をアゲることが動機になってしまうが故の勘違いや悲劇の一部なのだろう。そこには自尊心の不足・不在を感じ取る。

結婚には覚悟が必要

一方で、割り切った覚悟の結果、手に入れた生活に満足している女性もいる。

果たして、"ロマンチックラブイデオロギー"に染まった現代女子に、ここまでやる覚悟はあるのだろうか?

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