読書感想文: 山田 昌弘 「なぜ若者は保守化するのか-反転する現実と願望」 Part 3
前回の続きから再開しよう。
やはり体制が強い、というのは、言い方を変えれば習慣であるとか文化というものは、(政治制度や経済構造も含めた)社会のアーキテクチャを反映する、ということである。
個々の人間の行動を縛るのは社会のアーキテクチャ、とも言えるだろう。
家計、雇用慣行、税制… これらを見ていくと、未だに夫が稼ぎの大黒柱で、妻は専業主婦か家計には補助的な収入、という夫婦前提のモデルで、あらゆる制度が設計されているように見える。
その好例がこんなエピソードである。
結婚なり出産で仕事を離れるという前提、そして出産後の復帰は難しいか差別的な待遇に甘んじる形になる、と。
従って日本女性は「働かせてもらえなくなる」という前提で人生設計を考えざるを得ない。
そして女性は(対価として賃金が得られるという)経済的な意味での労働から逃げ出すのが合理的、ということになってしまう。
2007年11月3日号に掲載された「専業主婦志向の復活が意味するもの」は、女性間での格差が拡大している現実を指摘しながら、この背景に未婚女性の正規雇用率低下があると指摘する。
結婚・出産を機に正社員を辞めざるを得ない状況を改善すべく、保育所の設置や育児休業の導入、さらには男性の家事・育児への参加を求め、そのように制度や意識を変えるという努力をしてきたのにもかかわらず、現実は非正規雇用が増えてしまったがゆえに、努力が無用の長物と化した、とも言える。
これによって女性の「社会進出」へのインセンティブが失われたことを、著者はこのように書く。
だから、未婚女性の非正規労働者+無職(家事手伝いを含む)率42.1%と、20代女性の性役割分業賛成率40.2%の数字が、私には重なって見えてしまう。
男女格差は縮まったが女性同士の格差が広がり、それを制度が後押ししているのだ。
これがフェミニズムの無残な結末、と言う外ない、と私は思う。
そして2005年12月17日号掲載の「ニューエコノミーがもたらす新社会」では、消費者の力が強過ぎるがゆえに労働者が苦しい状況に追い込まれる状況が発生していることを指摘し、以下のように結論付ける。
労働者受難の時代が続けば、「労働する意欲」がなくなってしまうだろう。ニート、フリーターが増加し、専業主婦志向の女性が増え、年金受給者が幅を利かすのも、消費者中心主義が一因ではないだろうか。
どうしても「消費者主権の時代」と「女性の社会からの退場」が重なって見えるのである。