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お母さんの味じゃない~地味弁当で育てる味覚~

ある日、帰宅したムスメからそういわれた。

4月から始まったムスメの弁当生活。いや、正確には弁当生活ではない。

単に「給食が出なくなるから昼食を自分で用意する生活」。

コンビニで買っても良い。
購買で好きなパンを買っても良い。
食堂があれば食堂で食べてもらっても良い。

つまり昼食の選択肢が広がったわけだ。

といいつつ、我が家の場合は環境の都合上(購買だと飽きるとか、コンビニは近くない、食堂はない等)結局家から何かしらを持参することになる生活である。

そうして始まった弁当生活

弁当は「それだけのため」に一から作ることはない。例えば弁当だけのためにハンバーグを焼くとか、コロッケを揚げるとか…。
前日の夕食を取り分けるとか、そこで使った野菜を別に加熱しておいて後で味をつけるとか、そういうレベルだ。単なる残り物だとつまんないよねとアタマが働く。薄味に加熱しておいた野菜などは、気分にあわせて調味したりと、中途半端に居座っている食材がほっとけなくなる。

冷凍食品だっておいしくて質の良いものがたくさんあるからと、食材宅配の冷凍食品もストックしてある。
しかし、
「あっ、明日は冷蔵庫のこの野菜が余りそうだから卵焼きにいれちゃえ」
「あっ、今日の夕飯多めにできたから明日の弁当にいいかも」なんてことをしていると、冷凍食品の出番がなくなる。

そうして出来上がった、見た目には全く映えないのヤジマ家弁当。

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あるとき、とある事情で既製品の卵焼きをいただいた。
(どのお店がどう作っているか分からない惣菜のようなもの)

このお弁当の右にあるやつ

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見た目はキレイ、形も整っている。捨てるのも忍びないからと、ムスメの弁当の隙間に忍ばせておいた。(よかった、楽できたわ!)

そんなことはもちろんムスメには伝えずに、弁当に入れて持たせた。
そして、帰宅したムスメとその日の弁当の話になったとき。

今日のあの卵焼き、お母さん作ってないでしょ。」とさらりと言われた。

お母さんの味じゃない

お母さんの味って言うけど特別な何かを入れてるわけじゃない。
特殊な作り方、焼き方をしているわけでもない。
ただテキトウに具を刻んで、ダシを入れて、卵焼き器で焼くだけ。
しかも計量しないので、その日のさじ加減で形も味も違うはずだ。

この右側のいびつなのが自家製卵焼きw

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それでも、ムスメは日々仕上がりの違う、わたしの卵焼きに「お母さんの味」を記憶している。

そこに、突然「外の食べもの」が入ると、敏感に気がつくのが面白い。見かけは同じ卵焼きなのに。

わたしは決して料理に精通しているわけでもない。料理好きというレベルでもないので、彩りも大して気にしていない。本当に地味弁当なのだ。

そんな地味弁当が、ムスメの味覚を育てていると思うと、弁当生活も
張りあいが出てくる今日この頃である。


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