黄帝内経素問集注(生氣通天論篇3-2)

翻訳

陽気者、疲労すると膨張し、気力が尽きます。夏には積極的に避け、体を沸騰させます。人は虚弱になり、眼が見えず、耳が聞こえなくなります。ぼろぼろと壊れるような状態になり、止めることができません。これは「音骨」という言葉で疲労によって陽気が傷つくことを指しています。『金匱要略』によれば、疲労は病気の一種で、脈が大きくなり、手足が不安定になります。春と夏に悪化し、秋と冬には回復します。陰寒の気が自然に出て行き、酸味のない栄養がうまく流れません。陰陽の要点は、陽気が強固でなければならないことです。疲労すると、陽気が外に広がり、陰気が陽気の温かさに頼れずに内側から失われます。秋と冬の陽気は内部に蓄えられますが、夏には陽気が外に広がります。そのため、より虚弱になり、沸騰状態になります。精気が不足するため、目が見えず、耳が聞こえなくなります。
(膀胱は、身体の重要な部位であり、精液を貯蔵する役割があります。また、太陽に関連する臓器でもあります。太陽は陽気の主役であり、陽気が傷つくと臓器が機能を失います。壊れる、漏れるとは、膀胱が機能不全となり、精液を保持できないことを指します。陰寒の気が出て止まらなくなることも言っています。)

陽気は、激しい怒りによって失われると、形態的な気が絶え、血液が上に溢れて薄い厥(けつ)状態になります。筋肉の傷害があり、縦方向に収縮しにくく、容れがたくなります。
(これは怒りによって陽気が傷つくことによるものです。陽気は皮膚の間の微細な隙間を通って全身に行き渡りますが、激しい怒りによって上方向に逆流し、体内の気の循環を妨げます。菀とは繁茂した様子を表し、血液は気の流れに従って上方向に増えます。薄いとは迫られた状態を指します。気と血が逆方向に逆流し、人々を迫られた状態にします。陽気は柔らかく、筋肉を養う役割を果たします。血管は筋肉と骨を潤滑し、関節をスムーズに動かす役割を果たします。陽気が傷つき、血液が逆流すると、筋肉に損傷が生じます。筋肉が傷つき、緩んでしまうと、私たちの四肢は使いにくくなります。前の部分では外的要因によって陽気が傷つくことを論じましたが、この場合は疲労や激しい怒りによって陽気が傷つくこともあります。)

汗が偏って出ると、人は部分的に乾燥してしまい、汗が出ると湿気を感じ、小さな癤(びょう)が生じます。高粱の変異として、足に大丁(だいてい)が生じます。虚弱な状態を受け入れるような感じです。疲労による汗が風に当たると、寒さと薄さが原因となって痤(そう)が生じます。
(沮は「疽(じょ)」または「痤(そう)」の意味があります。痤は小さな癤のようなもので、顔や鼻が赤くなります。これは陽気が皮膚を外部から保護し、全身に充満している状態であるべきであり、陰気から身を守るものです。汗が出るが一部で止まり、半身が湿気で沈んでしまう場合、陽気が虚弱で全身を充実させることができず、部分的な乾燥の問題が生じることを意味します。汗が出て湿気が感じられる場合、湿気と熱気が皮膚の間に滞留し、痤が生じます。高粱は濃い味を持つことから、濃い味が形態に損傷を与え、気が味によって傷つき、形態と気が傷ついて肌の細胞が弱くなります。高粱から生じる熱毒は、肌の組織の理に逆らい、大きな疔を生じさせます。肌の細胞が弱く、熱毒に侵される様子は、虚弱な器を持つ者がそれに受け入れられる様子に似ています。疲労による汗が風に当たると、寒さと湿気が皮膚の間に薄く広がり、痤が生じます。痤とは、脈の滞りが表面の軽度の症状であり、陽気が皮膚を外部から保護する役割に影響を与え、皮膚と毛細血管の血液に薄く浸透し、病気を引き起こします。したがって、汗が偏って出て部分的に乾燥させ、人を部分的に枯れさせるというのは、陽気が天と太陽のように広く九州全体に広がるべきであるということを意味します。痤が生じるのは寒さと薄さのためであり、陽気が皮膚と毛細血管の間に存在しているからです。高粱の変異として、足に大疔が生じると述べられています。朱濟公(しゅさいこう)は言いました。「微者は気を疏にし、疏になると皮膚が空虚になる」と。また、「腠理(そうり)とは、三焦(さんしょう)が元気の通じる場所です」と述べられています。形態は食物の味によって形成され、形態の気が虚弱であると、高粱の毒味が影響を与えます。したがって、「受如持虚」と言われています。)

気とは、精神を養い、柔軟性は筋肉を養います。
(前文に基づいて述べると、陽気は内部で五臓の精神を養い、外部に出て筋肉と骨を栄養します。それは単に皮膚の間を通じて全身に広がるだけでなく、皮毛を守ります。開かれたり閉じたり、出たり入ったりするものです。『本経』には、「五味は口に入り、腸胃に蓄積され、味にはそれぞれ蓄積の場所があり、五つの気を養います。気が調和して生じると、津液が相互作用し、精神が自然に生じます。陽気は水と穀物の精華です。そのため、最初に五臓の精神を養います。柔軟性は、少陽の微細な気であり、最初に現れる少量の陽気であり、筋肉を栄養します。だから少陽は筋肉を生み出します」と述べています。莫子晋が問うて、「神気は天真から生まれるものですが、それが五味によって生み出され養われるのはなぜですか?」と。それに対して、「精気神は、先天的なものと後天的なものの両方があります。先天的な神気は、後天的な水と穀物によって資源と養分を得て生まれ育ちます。したがって、「二つの精がぶつかり合うことを神と呼ぶ」と言います。二つの精とは、天乙の精と水穀の精です」と答えました。)

開閉ができなくなると、寒気がそれに従って内部に侵入し、大僂(だいろう)が生じます。陷脈は閉鎖され、肉腠に留まります。俞氣(ゆき)が薄くなり、畏怖(いふ)や驚駭(きょうかん)が現れます。榮気(えいき)が正常に流れなくなり、肉の組織に逆らった場所で癰腫(ようしゅ)が生じます。
(開閉は一日で外部を主導し、閉じることは夜に引っ込むことです。開閉の機能が失われると、寒気が侵入し、内部が弱くなります。背中は陽気ですが、陽気が虚弱になると寒邪が背中に凝り固まり、身体がかがんでしまいます。『金匱』では、背中の痺れとはこれを指しています。また、陽気が虚弱で榮血(えいけつ)の防御を果たせないと、邪気が脈中に侵入し、組織の間に留まります。『金匱』では、馬刀俠癭(ばとうきょうえん)と呼ばれます。また、経絡の俞穴の気が虚弱で薄くなると、内部に伝わり、臓腑に影響を及ぼします。心は脈を支配する臓器です。精神が傷つくと恐怖感が生じます。肝は血を支配する臓器であり、その病気が発症すると驚きや駭(はっと)が生じます。『金匱要略』によれば、「経絡が邪気を受け、臓腑に入り込むのは内部の要因です。邪気が経絡の俞穴に侵入するため、内部に干渉します。邪気が肉の組織に逆らい、陰陽の調和が崩れると癰腫が生じます。経絡によれば、陽気が過剰で榮気が流れなくなると、癰腫が発生します。陰陽の流れが滞り、二つの熱がぶつかり合うと、膿に変化します。これは陽気が弱く、邪気が養われるべき筋肉を侵して大僂となり、養われるべき精神に影響を与え、驚きや恐れを生じさせるものです。陽気の外部防御の重要性が示されています」と濟公(さいこう)は述べました。また、外部防御は皮毛に重点が置かれます。皮毛が弱くなると、肉の組織や経絡に入り込みます。莫子晋は言いました、「高粱の変異は、組織に逆らって大疔が生じます。外部の邪気が組織に逆らうと、癰腫が生じます。皮毛と肉の組織は、陽気が支配するものです。ですから、清浄であれば肉腠が閉じ、邪気に害されません。肌の組織が強固であれば、邪気は皮毛に影響を与えるだけで、痤のような軽度の疾患にとどまるだけです」。)

原文

陽氣者。煩勞則張。精絕。辟積於夏。使人煎厥。目盲不可以視。耳閉不可以聽。潰潰乎若壞都。 乎不可止。 音骨此言煩勞而傷其陽氣也。按金匱要略云。勞之為病。其脈大。手足煩。春夏劇。秋冬瘥。陰寒精自出。酸削不能行。蓋陰陽之要。陽密乃固。煩勞則陽氣外張。陰不得陽之溫固。則精自出而絕於內矣。秋冬之陽氣。內而收藏。夏則陽氣張浮於外。故益虛而煎厥也。精氣虛故目盲不可以視。耳閉不可以聽也。
(膀胱者。州都之官。精液藏焉。而又屬太陽之腑。太陽為諸陽主氣。陽氣傷。則壞其腑矣。潰、漏也。言其州都之壞。而不能藏精。、流貌。言其陰寒精出。而不可止也。)

陽氣者。大怒則形氣絕。而血菀於上。使人薄厥。有傷於筋縱。其若不容。
(菀于遠切此因怒而傷其陽氣也。陽氣者。通會於皮膚腠理之間。大怒則氣上逆。而形中之氣。絕其旋轉之機矣。菀、茂貌。血隨氣行而茂於上矣。薄、迫也。氣血並逆。而使人迫厥也。陽氣者。柔主養筋。血脈者。所以濡筋骨。利關節者也。陽氣傷而血逆於上。則有傷於筋矣。筋傷而弛縱。則四體有若不容我所用也。前節論外因而傷其陽氣。此因勞傷大怒。而亦傷其陽氣焉。)

汗出偏沮。使人偏枯。汗出見濕。乃生痤 。高粱之變。足生大丁。受如持虛。勞汗當風。寒薄為 。郁乃痤。
(沮音疽痤才何切。坐平聲 音費 織加切音柞丁即疔沮、濕也。痤、小癤也。 、如疹之類。 、面鼻赤瘰也。此言陽氣者。外衛於皮膚。充塞於四體。若天氣之運用於六合九州之外。而為陰之固也。如汗出而止半身沮濕者。是陽氣虛而不能充身遍澤。必有偏枯之患矣。如汗出見濕。濕熱郁於皮膚之間。則生痤 矣。高粱、濃味也。味濃傷形。氣傷於味。形氣傷則肌腠虛矣。高粱所變之熱毒。逆於肉理而多生大疔。蓋膚腠虛而熱毒乘之。有如持虛之器而受之也。勞汗當風。寒濕薄於皮膚之間。則為 為痤矣。夫 與痤 。乃血滯於膚表之輕証。蓋言陽氣外衛於皮膚之間。為邪所薄。則淡滲於皮毛之血而為病矣。故曰:汗出偏沮。使人偏枯者。言陽氣之若天與日。宜普遍于九州也。乃生痤 。寒薄為 者。言陽氣之外衛。而在於皮毛之間也。高粱之變。足生大疔者。言陽氣之通會於腠理也。朱濟公曰:經云。微者沖氣疏。疏則其膚空。又曰:腠理者。三焦通會元真之處。夫形食味。形氣虛。則高粱之味毒乘之。故曰受如持虛。)

陽氣者。精則養神。柔則養筋。
(承上文而言陽氣者。內養五臟之神。出而榮養筋骨。非只通會於肌腠。外衛於皮毛。蓋有開有闔。有出有入者也。本經曰:五味入口。藏於腸胃。味有所藏。以養五氣。氣和而生。津液相成。神乃自生。陽氣者。水穀之精也。故先養于五臟之神。柔者。少陽初生之氣也。初出之微陽。而榮養於筋。是以少陽之生筋也。莫子晉問曰:首論神氣本於天真。奚又屬五味之所生養。曰:精氣神。皆有先天。有後天。先天之神氣。又藉後天水穀之所資生而資養。故曰:兩精相搏謂之神。兩精者。天乙之精。水穀之精也。)

開闔不得。寒氣從之。乃生大僂。陷脈為 。留連肉腠。俞氣化薄。傳為善畏。及為驚駭。榮氣不從。逆於肉理。乃生癰腫。
(開者。一日而主外。闔者。暮而收引也。如失其開闔之機。則寒氣從而內薄矣。背為陽。陽虛則寒邪痺閉于背。而形體為之俯僂。金匱所謂痺俠背行是也。如陽虛不能為榮血之衛。邪陷於脈中而為 。留連於肉腠之間。金匱所謂馬刀俠癭是也。如經俞之氣化虛薄。則傳入於內。而干及藏神矣。心主脈。神傷則恐懼自失。肝主血。故其病發驚駭也。金匱要略云。經絡受邪。入臟腑為內所因。邪入於經俞。故內干臟氣也。如邪逆於肉理氣分。而陰陽不和。則生癰腫。經曰:陽氣有餘。榮氣不行。乃發為癰。陰陽不通。兩熱相搏。乃化為膿。此言陽氣不固。致邪薄于所養之筋而為僂。內及于所養之神而為驚為畏。重陽氣之外衛也。濟公曰:外衛者。首重皮毛。皮毛不固。則入於肉理脈絡矣。莫子晉曰:高粱之變。逆於肉理。乃生大疔。外淫之邪。逆於肉理。乃生癰腫。皮毛肉理。皆陽氣之所主。故曰:清淨則肉腠閉拒。邪弗能害。如肌腠固密。即邪傷皮毛。止不過痤 之輕疾耳。)

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