黄帝内経素問集注(陰陽別論篇7-3)

翻訳

だから剛と剛がぶつかると、陽気は散り、陰気は消え去る。
(剛と剛がぶつかると、陽は陰と調和せず、陽は陰に戻らないと、陽気は散り、陽気が外に散って、そして孤立した陰気も内部で消え去る。)

柔と柔が調和せずにぶつかると、経絡の気が絶えてしまいます。
(ここでの「淖(じょう)」は「和」の意味です。陰と陰が調和し、柔と剛が調和しない場合、陰は陽を生み出すことができません。孤立した陰が生じないと、経絡の気が絶えてしまい、その結果、3日から4日で死に至ることになります。)

死に向かう陰の属に属するものは、三日を過ぎると死に至ります。生き続ける陽の属に属するものは、四日を過ぎると死に至ります。
(五臓が相互に制御し合い、伝え合うことで、死陰と呼びます。相生し合い、伝え合うことで、生陽と呼びます。属は類の意味です。例えば、肝から心へ、心から脾へ、脾から肺へ、肺から腎へと続くものは生陽と呼ばれます。心から肺、肺から肝へと続くものは死陰と呼ばれます。陽性の臓器同士が相生し合って伝え合うため、四日の偶数で死に至ります。一方、陰性の臓器同士が相克し合って伝え合うため、三日の奇数で死に至ります。莫子晋は言っています:三日は天地の生の数を超えることはなく、四日は五行の数を完結することができない。)

生陽死陰とは、肝の心を生陽と称し、心の肺を死陰と称する。
(之は「往(ゆ)く」とも「傳(つた)える」とも解釈されます。夫(ふ)肝脈(けんみゃく)は肺に伝え、肺は大腸に伝え、大腸は胃に伝え、胃は脾に伝え、脾は心に伝え、心は小腸に伝え、小腸は膀胱に伝え、膀胱は腎に伝え、腎は心包絡(しんほうらく)に伝え、包絡は三焦に伝え、三焦は胆に伝え、胆は肝に伝える。一臓一腑(いちぞういちふく)。一雌一雄(いちしいちゆう)。陰陽相間(いんようあいま)。循環無端(じゅんかんむたん)。肝の心から心の肺へ、肺の腎から腎の脾へ。これらはすべて経絡の気が絶えてしまい、治療が難しい病態に陥る者ということになります。)

肺の腎を重陰と称し、腎の脾を辟陰と称する。死には治療の望みがない。
(肺の腎もまた生陽の属に属する。肺腎は女性の臓器と見なされ、陰が陰を伝えることから、重陰と名付けられる。辟は偏(へん)であり、水の臓器から土の臓器へと逆に伝えることから、辟陰と呼ばれる。これらはいずれも治療の望みがない死の兆候である。)

結陽とは、四肢が腫(すい)える状態を指します。
(これは陰陽の気が調和せず、結合して病気になることを指す。四肢は陽の基本的な部分であり、気が身体に戻り、気が結ぶために形が腫れることを意味します。これは概して三陽を指します。)

陰の気が結ぶ場合、便血が一升となります。再び陰の気が結ぶと便血は二升になり、更に三度目に陰の気が結ぶと便血は三升となります。
(陰気結(けつ)して内部に流行せず、水も滞留して下痢となる。一陰が結ぶと便血が一升(約1.8リットル)、二陰が同時に結ぶと便血が二升、三陰が同時に結ぶと便血が三升(約5.4リットル)となる。これは概して三陰を指します。脈診の章には、脈に陽が結ぶものと陰が結ぶものをどのように別けるかと問われた際、答えは『脈が浮腫であり、脈が数であり、食欲があるが、大便ができない場合は陽が結ぶと言い、脈が沈んで遅く、食欲がなく、身体が重く、大便が反って硬い場合は陰が結ぶと言う』とあります。これにより、陰陽の気が結ぶ状態を見極めるには、脈の動きや質を注意深く観察する必要があります。結陽による四肢の腫れや、三陽の結びつきによる便血三升の症状を観察することによって、三陰の結びつきを知ることができます。また、結陽による消渇(こうかつ)の症状では、二陽の方法によって治療し、結陽による隔(かく)の症状では、三陽の方法によって治療する必要があることを知ることができます。)

陰陽の気が斜めに結びつき、陰の気が多く、陽の気が少ない状態を『石水』と呼び、少腹が腫れる症状が現れます。
(結斜者。陰陽の間で偏って結びつくことを指します。外側は陽、内側は陰です。胃は陽、腎は陰です。この状態は形の体の内部に結びつき、臓腑の外側に影響を与え、胃と腎の空間に腫れが生じます。石水は腎の水のことを意味します。腎は胃の門戸とも言われ、門戸が機能不全だと水がたまりやすくなります。これは腎臓に偏って多くの陰の気があり、陽の気が少ない状態で、少腹に腫れが生じるという意味です。)

二陽が結びつくことを『消』と呼ぶ。
(二陽は陽明胃気を指します。消は消渇(しょうかつ)を意味します。陽明気が結びつくと、水と穀物の津液が生じず、それによって渇きを伴う病気となります。『靈樞(りょうしょう)』では五臓の脈が微かになることを消癉と表現していますが、これは水と穀物の津液が不足するため、五臓の精気が弱くなることを指しています。)

三陽が結びつくことを『隔』と呼ぶ。
(三陽は太陽を指します。太陽は全ての陽気を主にします。太陽の気は膀胱から生じ、内膈を経て胸腹に至り、皮膚表面に達します。陽気が結びつくと、膈の気が通らずに内膈の前、胃の腹部賁門の場所で膈の気が逆流します。それによって飲食物も詰まって通らなくなります。)

三陰が結びつくことを『水』と呼ぶ。
(三陰は太陰脾土を指します。脾は体内の水液の運送を担当します。脾気が結びつくと、胃に入った水液が動かなくなり、水が逆流する状態となります。)

一陰一陽が結びつくことを『喉痺』と呼ぶ。
(一陰一陽は厥陰少陽を指します。厥陰は風木の気を主にし、少陽の火化を受けます。風と火の気が結びつくと、金の気に損傷を与え、その結果喉が痛くなり痺れる状態となります。痺れとは、痛みと閉塞を指します。)

陰の搏動があり、陽が別れることを『有子』と称する
(陰の搏動は尺脈が滑らかで弾力があり、脈を触診すると心地よく応じることを指す。陽の別れる感覚は寸口(寸法脈)の陽脈が別れるように感じられるが、実際には繋がっている。これは妊娠の兆候であり、内部にある生命の存在を示す。尺脈が滑らかで滑らかに動く様子は、まるで真珠のように滑らかであるため、『如珠』と表現されることもある。吳氏は言う:これ以降は脈についての論述である。)

陰陽が虚弱であり、腸が停滞して死んでいる
(腸は下痢の症状を表す。榮衛気血は全て水穀から供給される。胃は受納の機能を持ち、腸は伝導の役割を果たす。陰と陽の両方が虚弱であり、水穀によって生じる生命の根源を失っているため、生命の機会は望めない。これは腸胃が水穀から生じる陰陽の影響によるものである。)

陽が陰に加わり、それを『汗』と称する
(汗は陽の気が陰の液を宣発して、身体を潤し毛を澄ますことを意味する。陽の脈が尺部で頻繁に動くと、汗が現れる。汗は陽の気が陰の液に加わる現象であり、脈もまた陽の脈が陰の部分に加わることを示す。)

陰の虚弱と陽の盛んである状態を『崩』と称する。
(陰の虚弱と陽の盛んであると、血液が迫られて無秩序に流れることを意味する。)

三陰が俱に搏ち、二十日の夜中に死亡する。
(三陰とは太陰(脾)、少陰(心)、厥陰(肝)を指します。三陰が俱搏し、太陰の脈が音を立てて激しく打つことを意味します。これにより陽のエネルギーが不和になり、太陰の氣が強くなって陽の和合が欠如します。二十日夜半は陰が尽き、一陽が初生する時刻です。太陰は至陰であり、絶無生陽の状態において死に至ることを示します。)

二陰が俱に搏ち、十三日の夕方に死亡する。
(二陰とは少陰(心)、厥陰(肝)を指します。二陰が俱搏し、心と腎の脈が音を立てて激しく打つことを意味します。少陰は水火陰陽の氣を主とし、天乙が水を生み、地二が火を生みます。十三日は成數の終わりであり、夕時は日の終わりを表します。水火の陰臟により、成數によって死に至ることを示します。)

一陰が俱に搏ち、十日で死亡する。
(一陰とは厥陰(肝)を指します。一陰が俱搏し、肝と心が音を立てて激しく打つことを意味します。十日は陰の終わりであり、厥陰は陰の尽きを主とします。陰の尽きによって死に至ることを示します。)

三陽が俱に搏ち且鼓動し、三日で死亡する。
(三陽とは太陽(膀胱)、少陽(三焦)、陽明(大腸)を指します。三陽が俱搏し、手足の太陽の脈が音を立てて激しく打つことを意味します。陽が極まり陰の和合がなくなった状態で、天地の生數によって三日で死に至ることを示します。)

三陰三陽が俱に搏ち、心が満ち、腹が膨らんで尽きる。曲げることができず、五日で死亡する。
(三陰三陽とは五行の氣を指します。三陰三陽が俱搏し、心が満ち、腹が盛り上がって全く隠すことができず、五日で死に至ることを示します。五日は五行の數が尽きる終わりを意味します。上文では頭に三陽、手に三陰があることを説明しており、その病状をここで表現しています。)

二陽が俱搏し、その病は溫(寒熱のこと)。治療されずに死に至ります。死は三日を超えない。
(二陽とは陽明(大腸)、太陽(膀胱)を指します。二陽が俱搏し、手足の陽明の脈が音を立てて激しく打つことを意味します。その病状が溫(寒熱のこと)であり、治療されないまま三日で死に至ることを示します。陽明は水穀から人の陰陽を生み育てる重要な臓器であり、二陽が俱搏することで陰陽の生み出す源が絶たれるため、寒熱が生じます。)

原文

是故剛與剛。陽氣破散。陰氣乃消亡。
(剛與剛。是陽不與陰和矣。陽不歸陰。則陽氣破散。陽氣外散。而孤陰亦內亡矣。)

淖則剛柔不和。經氣乃絕。
(此言柔與柔而生氣絕也。淖、和也。陰與陰和。而剛柔不和。則陰無所生之陽矣。孤陰不生。則經氣乃絕。經氣已絕。不過三日四日而死也。)

死陰之屬。不過三日而死。生陽之屬。不過四日而死。
(五臟相克而傳。謂之死陰。相生而傳。謂之生陽。屬、類也。如肝之心。心之脾。脾之肺。肺之腎。皆謂之生陽。如心之肺。肺之肝之類。皆謂之死陰也。以陽臟相生而傳。故不過四日之偶數而死。以陰臟相克而傳。故不過三日之奇數而死也。莫子晉曰:三日者。不過天地之生數。四日者。不能盡五行之數終。)

所謂生陽死陰者。肝之心謂之生陽。心之肺謂之死陰。
(之、往也。傳也。夫肝脈傳肺。肺傳大腸。大腸傳胃。胃傳脾。脾傳心。心傳小腸。小腸傳膀胱。膀胱傳腎。腎傳心包絡。包絡傳三焦。三焦傳膽。膽傳肝。一臟一腑。一雌一雄。陰陽相間。循環無端。如肝之心。心之肺。肺之腎。腎之脾。此皆經氣絕而死不治者也。)

肺之腎謂之重陰。腎之脾謂之辟陰。死不治。
(肺之腎。亦生陽之屬。因肺腎為牝臟。以陰傳陰。故名重陰。辟、偏辟也。以水臟而反傳所不勝之脾土。故謂之辟陰。此皆不治之死候也。)

結陽者。腫四肢。
(此言陰陽之氣不和。自結而為病也。四肢為諸陽之本。氣歸形。氣結故形腫也。此概三陽而言也。)

結陰者。便血一升。再結二升。三結三升。
(陰氣結於內而不得流行。則水亦留聚而下泄矣。一陰結。便血一升。二陰並結。便血二升。三陰俱結。便血三升。此概三陰而言也。辨脈篇曰:脈有陽結陰結者。何以別之。答曰:其脈浮而數。能食。不大便者。名曰陽結也。其脈沉而遲。不能食。身體重。大便反硬。名曰陰結也。蓋欲審別陰陽之氣結者。當以脈之去至動靜。浮沉遲數。以分陰陽。以証之腫四肢。知三陽並結。便血三升。知三陰並結也。以証之消。知結在二陽。當以二陽之法治之。証之隔。知結在三陽。當以三陽之法治之可也。)

陰陽結斜。多陰少陽。曰石水。少腹腫。
(結斜者。偏結於陰陽之間也。夫外為陽。內為陰。胃為陽。腎為陰。此結於形身之內。臟腑之外。胃腎空廓之間而為腫也。石水、腎水也。腎者胃之關。關門不利。故聚水而從其類也。此多偏於腎臟。故為多陰少陽而少腹腫也。)

二陽結。謂之消。
(二陽、陽明胃氣也。消、消渴也。蓋陽明氣結。則水穀之津液不生。以致消渴而為病也。按靈樞以五臟之脈微為消癉。蓋水穀之津液不資。則五臟之精氣俱微弱矣。)

三陽結。謂之隔。
(三陽、太陽也。太陽為諸陽主氣。太陽之氣。生於膀胱。從內膈而出於胸脅。從胸脅而達於膚表。陽氣結則膈氣不通。內膈之前。當胃脘賁門之處。膈氣逆。則飲食亦隔塞而不下矣。)

三陰結。謂之水。
(三陰、太陰脾土也。脾為轉運之官。脾氣結。則入胃之水液不行。而為水逆矣。)

一陰一陽結。謂之喉痺。
(一陰一陽者。厥陰少陽也。厥陰風木主氣。而得少陽之火化。風火氣結。則金氣受傷。是以喉痛而為痺也。痺者。痛也。閉也。)

陰搏陽別。謂之有子。
(陰搏者。尺脈滑利。而搏擊應手也。陽別者。與寸口之陽。似乎別出而不相貫。此當主有妊。蓋有諸內。而是以尺脈滑利如珠也。吳氏曰:此以下論脈也。)

陰陽虛。腸死。
(陰陽、指尺寸而言。腸 、積下利也。夫榮衛氣血。皆由水穀之所資生。胃為受納之府。腸為傳導之官。陰陽兩虛。而又失其所生之本。故無望其生機矣。此言陰陽由腸胃水穀之所生也。)

陽加於陰。謂之汗。
(汗乃陰液。由陽氣之宣發。而後能充身澤毛。若動數之陽脈。加於尺部。是謂之汗。當知汗乃陽氣之加於陰液。而脈亦陽脈之加於陰部也。)

陰虛陽博。謂之崩。
(陰虛陽盛。則迫血妄行。)

三陰俱搏。二十日夜半死。
(搏俱音博三陰者。太陰也。俱搏者。脾肺二部俱搏擊應手。而無陽和之氣也。二者。偶之始。十者。陰之終。夜半者。陰盡而將一陽初生之時。太陰者。至陰也。以至陰之氣。而絕無生陽。故死於陰極之數也。董帷園曰:陰結陽結者。論陰陽之氣結也。剛與剛者。言腑脈傳腑。臟脈傳臟也。陰搏陽搏者。言十二經脈之陰陽不和也。)

二陰俱搏。十三日夕時死。
(二陰者。少陰也。俱搏者。心腎二部俱搏擊應手也。少陰主水火陰陽之氣。天乙生水。地六成之。地二生火。天七成之。十三日者。成數之終也。夕時者。日之終也。以水火之陰臟。故死於成數。而終於日終也。)

一陰俱搏。十日死。
(一陰者。厥陰也。俱搏者。肝與心主二部俱搏擊應手也。十日者。陰之終也。厥陰者。陰之盡也。以陰盡之氣。而死於陰數之終也。)

三陽俱搏且鼓。三日死。
(三陽者。太陽也。鼓、動也。俱搏且鼓者。手足太陽之脈俱搏擊而且鼓動。陽極而絕無陰之和也。太陽與少陰為表裡。並主水火之氣。天乙生水。地二生火。以水火之陽腑。故死於天地之生數也。蓋天為陽。地為陰。天主生。地主成。故太陽死於生數。而少陰死於成數也。)

三陰三陽俱搏。心滿。腹發盡。不得隱曲。五日死。
(三陰三陽者。五行之氣也。陰陽二氣俱搏擊而不和。故盡五行之數終而死也。心滿。陽搏於上也。不得隱曲。陰搏於下也。腹居身半之中。陰陽相交者也。腹發盡者。陽盡發於上。陰盡發於下。而無陰陽中見之和也。此言上下陰陽之病。下文言寒熱陰陽之病。)

二陽俱搏。其病溫。死不治。不過三日死。
(二陽者。陽明也。俱搏者。手足陽明俱搏擊也。病溫者。病寒熱也。夫人之陰陽。由陽明水穀之所資生。二陽俱搏。則絕其陰陽所生之原矣。陰不得陽則病寒。陽不得陰則病熱。陰陽俱絕。不治之死証也。九乃陽之終。十乃陰之盡。不過十日者。死於陰陽之交盡也。上節言三陽在頭。三陰在手。所謂一也。陰陽二氣。不能一以貫通而自相搏擊。其為病死也若此。此言胃脘之陽。以生養陰陽五臟。二陽俱搏則陰陽並絕。其病死也如此。故末二節。獨表出其病証焉。)

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