周礼5

天官冢宰5
#天官と冢宰と言う役職についての章

醯人:奄二人,女醯二十人,奚四十人。二
#醯人 (かしん)は、醯(かし)という発酵させた魚や肉を主成分とした調味料を管理する役人で、奄二人,女醢二十人,奚四十人からなります。

(補足)醯人の読み方に関して、複数の方法でChatGPTに答えを確認しましたが、「かしじん」ではなく「かしん」と出力されたので、そのままにしています。

 古代中国で使用された「醯(かし)」は、発酵させた魚や肉を主成分とした調味料です。醯は、現代の醤油や魚醤(フィッシュソース)に似た味と風味を持ち、料理に深いコクと風味を与えるために使用されました。
 
 醯は、古代中国において重要な調味料として広く使用されていました。特に醯は、祭祀や宴席などの重要な場面で使用され、料理に豊かな風味を与える役割を果たしました。また、賓客や高位の人々への接待においても、醯が使用されることが一般的でした。
 
 醯は、発酵させることで風味や保存性が向上し、食材を長期間保存することも可能でした。古代中国では、魚や肉を塩漬けにし、時間をかけて発酵させることで醯を作り出しました。その後、醯は料理やソースの材料として幅広く活用されました。

鹽人:奄二人,女鹽二十人,奚四十人。
#鹽人 (えんじん)は、塩を管理する役人で、奄二人,女鹽二十人,奚四十人からなります。

 中国周王朝時代の「鹽」と「塩」は、いくつかの違いがあります。以下にそれぞれの違いを説明します。

文字の違い:
 「鹽」は、古代中国の文字であり、周王朝時代に使用された表記です。
 「塩」は、日本語で一般的に使用される漢字表記で、現代の日本で使われています。

意味の違い:
 「鹽」は、広義には塩のことを指しますが、特に古代中国の時代には、主に食用塩を指していました。つまり、鹽は食品としての塩を指す場合が一般的です。

 「塩」は、広い意味で塩を指し、食品だけでなく、化学工業や製造業などで使用される塩全般を含みます。

使用方法の違い:
 周王朝時代の「鹽」は、主に食用塩として使用されました。食品の調味料や保存剤として、また祭祀や料理の際にも重要な役割を果たしました。

 現代の「塩」は、食品の調味料として広く使用されるだけでなく、化学反応の触媒や製造業のプロセスなど、さまざまな産業で使用されます。

 以上が、中国周王朝時代の「鹽」と現代の「塩」との違いです。これらの違いは、言葉の使い方や用途の変化によるものであり、時代や文化の変遷によっても異なる可能性があります。

冪人:奄一人,女冪十人,奚二十人。
#冪人 (べきじん)は、祭祀や王の儀式に使用する特別な布を管理する役人で、奄一人,女冪十人,奚二十人からなります。

 冪人が扱っていた布は巾冪(きんべき)とよばれ、巾冪は特定の布のことを指し、祭祀や王の儀式において使用されました。冪人は巾冪を掌握し、祭祀の際には疏布巾冪八尊(そふきんべきはっそん)や画布巾冪六彝(かくふきんべきろくい)という具体的な数を用いました。巾冪は、祭祀や儀式において重要な役割を果たしていたことが分かります。

宮人:中士四人,下士八人;府二人,史四人,胥八人,徒八十人。
#「宮人(きゅうにん)」は、王様の寝室や浴室を管理する役人で、中士四人,下士八人また府二人,史四人,胥八人,徒八十人からなります。

「宮人」は王の六つの寝所の手入れを担当しています。彼らは井戸を清掃し、不快な臭いを取り除きます。また、王と一緒に入浴します。寝室の清掃、ろうそくの持ち歩き、暖炉の炭の世話など、あらゆる労働を行います。また、四方の施設に対しても同様の仕事を行います。

掌舍:下士四人;府二人,史四人,徒四十人。
#「掌舍(しょうしゃ)」は、王の会同(かいどう)の施設を管理する役職で、下士四人と府二人,史四人,徒四十人からなります。

 中国周王朝において「会同」(かいどう)は、王の公的な集会や儀式の場を指す用語です。王が臣下や有力者を集めて行う重要な会議や祭典などが会同と呼ばれる場合があります。会同は国家の政務や宗教的な儀式を執り行う場として重要視され、王の権威や威信を示すために行われました。参加者は王や貴族、高位の官僚、地方の諸侯などが含まれ、政治的・宗教的な意思疎通や決定が行われる場でもありました。会同は周王朝の中心的な行事であり、王権の象徴として重要な役割を果たしました。

幕人:下士一人,府二人,史二人,徒四十人。
#「幕人(まくにん)」は、帷(かたびら)や幕(まく)、天幕(とばり)、帳(しょう)や帯(おび)などの取り扱いを担当する役職で、下士一人,府二人,史二人,徒四十人からなります。

 中国周王朝における帷(かたびら)、幕(まく)、天幕(てんまく)、帳(しょう)、帯(おび)は、装飾や仕切りなどの目的で使用された布製品です。以下にそれぞれの特徴と用途について説明します。

帷(かたびら):
 帷は、大きな布で作られた垂れ幕や仕切りを指します。宮殿や祭典の場などで使用され、空間を区切ったり、祭壇や王の座を覆ったりするために使用されました。

幕(まく):
 幕は、布で作られたカーテンや垂れ幕のことを指します。王の寝所や宴会場、祭壇などで使用され、風や視線を遮る役割や装飾の一部として用いられました。

天幕(てんまく):
 天幕は、上方から垂れ下がる幕状の装飾品です。宮殿や祭壇の天井に吊され、華やかさや荘厳さを演出するために使用されました。

帳(しょう):
 帳は、布で作られた仕切りや仮設の間仕切りを指します。王の寝所や宴会場などで使用され、空間の区切りやプライバシーの確保に役立ちました。

帯(おび):
 帯は、布で作られた細長い帯状の装飾品です。宮廷の儀式や祭典、重要な場面で使用され、官位や身分を示すために王や貴族が身に着けることがありました。

 これらの布製品は、周王朝の宮廷や祭祀において儀式や儀礼の一環として使用され、場の荘厳さや格式を表現するために重要な役割を果たしました。また、美しい柄や織り模様が施されることもあり、芸術的な価値も持っていました。

掌次:下士四人;府四人,史二人,徒八十人。
#「掌次(しょうじ)」は、周王朝において王の次官が担当し、王の行事や儀式に関連する様々な布製品の配置や設置を管理しており、下士四人と府四人,史二人,徒八十人からなります。

掌次の役割として以下のようなものがあります。

張事(ちょうじ):
 王の法に従って布製品を配置し、行事や儀式の準備を行いました。王が大規模な旅行や天帝への祭祀を行う場合には、氈案(ちんあん)と呼ばれる厚い敷物や皇邸が設けられました。朝の祭祀や五帝への祭祀では、大次や小次と呼ばれる布製の仕切りや重帟、重案が配置されました。

諸侯との接触:
 諸侯との会合や儀式の際にも、布製品が使用されました。大次や小次が設置され、諸侯の部屋や会場が区切られました。
師田(しでん):田畑や農地の管理に関わる職務であり、布製の幕が設置され、重帟や重案が配置されました。田畑の作業や軍事行動の際にも利用されました。
 
喪(そう):
 喪に関連する儀式や葬儀では、王の場合は帟(しょう)と呼ばれる厚い布が三重に張られました。諸侯の場合は二重に張られ、孤卿(こけい)や大夫は重ねて張りませんでした。


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