黄帝内経素問集注(靈蘭秘典論篇8-2)

翻訳

だから、主が明るければ下が安定する。この方法で身体を養うと寿命が延び、死ぬことはない。これを天下全体に適用すると、大いに繁栄する。
(五臓六腑の中で心が主宰であり、君主のような神聖な存在です。心が明るければ、十二官(臓器と経絡のこと)はそれぞれの役割を果たし、この方法で身体を養うと寿命を延ばし、危険な状態にはならない。心が正しい状態であれば、身体も修復されるのです。この原則を国を治め平和な天下を築くにも応用でき、大いに繁栄する国家が多いことでしょう。)

主が暗くなると十二官は危険にさらされ、経絡が閉じて通じなくなり、身体は大きな損傷を受ける。この方法で身体を養うと災厄に見舞われる。同様に、天下全体を治める者が主が明るくなければ、国家の根本が危うくなる。このことに注意し、戒めるべきです。
(心とは、離れたものであり、離れたものは明確である。心は一身の主であり、私たちの神明です。心が明確でなければ、十二官は調和せず、心が君主のように十二官を指揮し、命令を行い、脈(血液の流れ)を支配します。心が明乱していると、血脈は凝固し、道が閉じて通らなくなります。血液と気が詰まり、皮膚が温まり、毛髪が生え、筋肉と骨が濡れ、関節がスムーズに動きます。血脈が通らないと、身体は大きな損傷を受けます。したがって、この方法で身体を養うと災厄に見舞われず、寿命を延ばせます。国を治める際にも、心を正しい状態に保つことは非常に重要であり、慎重に戒めるべきです。心が一身の主であることを理解すれば、心が明るい状態であれば身体を養うことができ、さらに大きなスケールで国を治め平和な天下を築くことも可能です。しかし、心が明らかでなければ、身体も守ることができません。)

真の道は微細な中に存在し、変化は無限です。誰がその本質を知ることができるでしょうか。
(前述のことから、身体を養い、修身すること、そして国を治める真の道は微細な中に存在します。心の変化は無限であり、心を正すことで寿命が延び、国を治めることで繁栄が訪れます。しかし、心が正しくない場合、身体は危険にさらされ、国を治めると危機が生じます。このように、寿命や病気、治安や混乱といった要因はすべて心の微細な一念から生じており、人々はその本質を理解できないのです。)

これは難しい問題です。微細な中に存在するものは理解しにくく、その本質を知ることは誰にできるでしょうか。心の微細な変化を見逃さずに注意を払い、その本質を理解する者は誰でしょうか。
(「窘乎哉」というのは、至道の難しさを嘆く表現であり、至道が理解しにくく、窮地に追い込まれていることを表しています。微細な変化を捉える者が消えてしまうような微細さであり、「瞿瞿」という表現は驚きと顔を上げるような表情を示しています。その道の本質が妙であるにもかかわらず、誰がそれを理解できるでしょうか。また、「閔」とは憂いを含むことを意味します。その道理の深遠さに心を憂い、その理を切り抜ける者は誰でしょうか。)

微細な変化は毫厘の中で生じ、毫厘の中の微細な変化が度量によって生じます。千の中の万の微細な変化が大きく影響を与え、それを推し進めて拡大することができれば、形が整ってくるでしょう。
(ここで「恍惚」とは、心神の微細な動きを指します。その微細な変化は毫厘(極めて微小な単位)の中で生じます。また、「度量」とは長さや重さなどの属性を指し、その微細な変化は千の中の万に至るまで、極めて微細であることが示されます。この微細な変化を進めて大きくすることで、形が作られていくのです。)

黄帝が言いました。「良いですね。私は精髄の道と偉大なる聖者の業を聞きましたが、大いなる道を広く語るには、禁食し、良い日を選ぶことなしには受け入れることはできません。」
(「精」とは純粋さを指し、「光」とは光明さを指します。それは正しい心と明るい徳の道を指します。大聖の業は、心を正しい状態にし、身体を養うこと、そして国を治めて天下を平和にすることです。禁食とは、誠実な心で悪い考えを洗い流すことを意味し、吉日を選ぶことは、善を選び悪を避けることを指します。)

そこで、黄帝は良い日と兆しを選び、心の宮である靈蘭之室(心の本質)を守り、受け継ぐことを決めました。
(「良善」とは兆しの良いことを指します。そして、「靈蘭之室」とは心の宮殿を示します。それゆえに、その良い兆しを選び、それを心の中に隠して、保ち、永遠に伝えるのです。それによって、無限の中で保護され、無限の領域に流れ込み、守って失わないようにします。また、「靈樞經」には、五臓六腑の臓器に心が主であり、肺が補佐であり、肝が指導者であり、脾が守護者であり、腎が外部を統括し、大腸が伝達の場であり、小腸が摂取の場であり、胆が中心の精を司り、胃が五穀を管理し、膀胱が津液を収める場であり、三焦が内部を浄化する場であることが記されています。吴氏は「靈台蘭室」を黄帝が書物を隠した場所とし、秘密の典籍のことを指します。)

原文

故主明則下安。以此養生則壽。歿世不殆。以為天下則大昌。
(五臟六腑。心為之主。君主神明。則十二官各安其職。以此養生則壽。終身而不至危殆。蓋心正則身修也。以此而及於治國平天下。未有不大昌者矣。)

主不明則十二官危。使道閉塞而不通。形乃大傷。以此養生則殃。以為天下者。其宗大危。戒之戒之。
(心者。離也。離也者。明也。心為一身之主。即我之神明。心主不明。則十二官皆不安矣。心主包絡。為臣使之官。代君行令而主脈。脈者。血脈也。血者。神氣也。神明昏亂。則血脈凝泣。而使道閉塞矣。血氣者。充膚熱肉。滲皮膚。生毫毛。濡筋骨。利關節者也。血脈不通。而形乃大傷矣。故以此養生。則殃折不壽。在治天下則其宗大危。正心明德之道。豈不重可戒哉。此言心為一身之主。主明即可以養生。推而大之。可以治國平天下。如心不明。即此身亦不可保矣。)

至道在微。變化無窮。孰知其原。
(承上文而言。修身養生。以及于為天下之至道。始在於微。蓋心之變化無窮。苟正其心。在養生則壽。為天下則昌。其心不正。在此身則殃。為天下則殆。當知壽夭治亂之機。在此心一念之發萌。而人莫知其原也。)

窘乎哉。消者瞿瞿。孰知其要。閔閔之當。孰者為良。
(窘乎哉者。嘆其至道之難明而窘極也。消者。消息其道之微。瞿瞿、驚顧貌。視其道之要妙。而孰能知之也。閔、憂也。憂其理之切當。而孰者為良也。)

恍惚之數。生於毫厘。毫厘之數。起於度量。千之萬之。可以益大。推之大之。其形乃製。
(恍惚、謂心神之萌動。生於毫厘之間。度量、長短輕重也。言毫厘之間。而有邪正明昧之分。以至於千之萬之。不可勝極也。製、正也。以毫厘之誠意。推而大之。其形乃正。言其心正而後形正也。)

黃帝曰:善哉。余聞精光之道。大聖之業。而宣明大道。非齋戒擇吉日。不敢受也。
(精、純粹也。光、光明也。言正心明德之道也。大聖之業者。能正心修身。以及於治國平天下也。齋戒者。誠意滌慮也。擇吉者。從善避惡也。)

帝乃擇吉日良兆。而藏靈蘭之室。以傳保焉。
(良善、兆吉也。靈蘭之室。心之宮也。乃擇其良善而藏之於心。以傳保者。保于無窮。流於無極。守而勿失也。按靈樞經曰:五臟六腑。心為之主。肺為之相。肝為之將。脾為之衛。腎為之主外。大腸者。傳道之府。小腸者。受盛之府。膽者。中精之府。胃者。五穀之府。膀胱者。津液之府。三焦者。中瀆之府也。吳氏曰:靈台蘭室。黃帝藏書之所。秘典。秘密典籍也。)

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