黄帝内経素問集注(陰陽應象大論篇5-6)

翻訳

帝曰:どうしてそうなるのか。

岐伯曰:東方は陽です。陽はその精気が上に集まります。上に集まると上が明るくて下が空虚になります。それゆえ、耳目は聡明になりますが、手足は不便になります。一方、西方は陰です。陰はその精気が下に集まります。下に集まると下が充実して上が虚になります。それゆえ、耳目は聡明ではありませんが、手足は便利になります。
(天には精があり、地には形があります。東方は陽で、その精気は上に上昇して上に集まります。上に集まると上が盛んで下が虚になります。それゆえ、耳目が聡明になり、手足は不便です。一方、西方は陰で、その精気は下に降りて下に集まります。下に集まると下が盛んで上が虚になります。それゆえ、耳目は聡明ではなく、手足は便利になります。これは天地の左右という観点から語られています。王子方は言いました:上編では陽気は陰の精から生まれるとありますが、これは再び天に精があり、精気が上と下で交わるとあります。つまり、陰の精もまた天から生じるということです。)

したがって、邪気は共鳴します。上に位置すると右側に強く作用し、下に位置すると左側に強く作用します。これは天地の陰陽の法則では完全に調和できないためです。そのため、邪気はその位置に留まります。
(これは身体の形に関する議論です。上に位置すると右側が虚弱になり、下に位置すると左側が虚弱になります。これは天地の陰陽の調和ができない部分であり、また人間の身体にも左右のバランスが不足している部分があることを意味します。先の文で天地の左右の上下について述べたことを考えると、ここでは人間の身体の上下と左右について言及していることがわかります。王子方は言いました、「邪気が共鳴することによって、虚弱な部分が明らかになります。」)

天には精があり、地には形があります。天には八方の紀綱があり、地には五行の道理があります。そのため、天と地は万物の父母としての役割を果たすことができます。
(天は精を生み出し、地は形を成します。天は八方の紀綱を持ち、地は五行の道理を持っています。その精気は九州八方を超えて交通しているため、天地は万物の成長と発展を可能にします。この作用は単に上下の交わりだけでなく、より広範な範囲に及んでいます。天と地の調和とバランスが万物の生命を育み、繁栄させていると考えられています。天地の統一は宇宙の秩序を支配し、万物が成り立っている根本的な原理とされています。このような天地の法則に従って、生命が成長し繁栄していると考えられています。)

清められた陽気は天に上り、濁った陰気は地に帰ります。これにより、天地の動静は神明によって統制されています。そのため、生長と収束が可能となり、終わりと始まりが繰り返されます。
(天地の位置には東西南北に不足があるかもしれませんが、神明がそれを統制することで、生長と変化が行われ、万物が生まれ変わることができます。神明は五つの気を生み出し、五行の変化を司る存在です。)

賢人は上で天と共鳴し、頭を養い、下で地と同じようにし、足を養います。また、中間と両側で適切な行動をとり、五臓を調和させます。
(頭の聡明さを養うために天と共鳴し、足以下の不足を地に倣って養います。五味を調節し、五志に適合し、五臓の調和を図ることで、邪気が入り込む余地はなくなります。この章では聖人や賢人と称されているが、それは天地の法則を守り、陰陽を逆に追い、静かで虚無な状態を保ち、心を内に守り、寿命を延ばすことができる者のことを指しており、終わりのない境地に達することができるのは真人だけであるということを意味します。)

天の気は肺に通じます。
(肺は乾の金に属し、最も高い位置にあり、全身の気を統括しています。そのため、天の気と相通じます。ただし、頭の上の竅だけでなく、腰以下から地を象徴する嗌まで、五臓六腑の九竅六経と全て天地の気と相通じます。賢人は天の紀を尊重し、地の理を用いて自らを治めるため、災害が及ぶことはありません。)

地の気は嗌に通じます。
(嗌は胃腑の門であり、濕濁な気を受け入れて胃に入れます。したがって、地の気と相通じます。陽明太経篇には、「喉は天の気を主とし、嗌は地の気を主とする」とあります。)

風の気は肝に通じます。
(風は木を生み出し、木は肝を生み出します。内外の気が相通じるものです。)

雷の気は心に通じます。
(雷とは火の発声です。心は火の臓器であり、気が相互に影響し合います。)

穀の気は脾に通じます。
(脾は土の臓器であり、転運を司ります。穀の気は山谷の気と通じるものです。)

雨の気は腎に通じます。
(腎は水の臓器であり、雨の気は寒い水の気です。)

六経は川となります。
(六経とは手足の三陰三陽の経脈を指します。内外を循環しているかのように、川が絶え間なく流れています。)

腸胃は海となります。
(腸胃は水穀を受け入れ、海のように何でも受け入れることができます。また、胃は水穀の海であり、外と海の水が結びついています。腸は受け入れる役割を担っています。)

九竅は水が注がれる場所です。
(精気は上の竅を通り、水濁は下の竅から出ます。)

天地を陰陽の法則としています。
(陰陽は天地の道です。天地の道を身体の陰陽に通じるものとしています。)

陽の汗は、天地の雨によって名付けられます。
(汗は陰液から出て、陽気によって発散されるものです。したがって、陽が陰に加わることを汗と言います。雨は地の湿気であり、天気によって作用されるものです。このようにして、人の汗を表現することができます。)

陽の気は、天地の疾風として名付けられます。
(風は地の隧谷から出て、陽気が裡陰から発せられます。疾風と名付けられるのは、陽気が身体の内部に道を持ち、少しも逆滞りがないことを意味します。)

暴氣は雷を象徴し、逆氣は陽を象徴します。
(暴れる氣は雷火のように発せられ、逆行する氣は陽の熱のように盛んです。ここでは陽気が風のように上下四方に行動し、暴れることも逆行することもありません。)

したがって、天の法則に従わない治療や地の理を用いない治療は、災害を招くことになります。
(人間の陰陽は天地と関連しています。天は八方の紀綱を持ち、地は五行の道理を持っています。したがって、治療は天地の陰陽の法則に従わなければなりません。そうしないと災害が生じることになります。)

邪風が到来すると、風雨のように速くやってきます。
(天の邪気は最初に皮毛を傷つけ、次に筋肉と経絡に及び、さらに経絡を通じて臓腑に入り込みます。そのため、風雨のように急速に内部に入り込むことができます。ここで「風」を特に強調しています。風は多くの病気の原因となり、皮膚の毛穴を開くことができます。)

したがって、上手な治療者は皮毛を治療します。
(陽の気は体の外側を守るものです。天の陽の邪気は最初に皮毛の気分を傷つけます。したがって、上手な治療者は陽の気を助けて邪気を宣散させ、内部に入り込むことを防ぎます。)

次に肌膚を治療します。
(邪気が皮毛に留まって去らない場合、肌膚に入り込むことになります。肌膚は体の外側の気分に属しており、邪気を外側に解消させることができます。したがって、肌膚の治療は次の段階です。)

次に筋脈を治療します。
(邪気が肌膚に留まって去らない場合、経絡に入り込むことになります。経絡は臓腑に連絡しており、外側に形を持つ身体を包括しています。上手な治療者は、邪気が経絡に入ると、経絡から外に解消させ、内部の臓腑に干渉しないようにします。これが治療の方法です。これもまた次の段階です。霊樞経では、「邪気が留まって去らない場合、経絡に入り込むこともあれば、膂筋に著すこともある」とあります。)

次に六腑を治療します。
(金匱要略には、「経絡は邪気を受け、臓腑に入るのは内部の要因です。邪気が経絡に入り込むならば、留まったままでは裏に入り込むことになります。したがって、解消するには六腑から始めるべきです」とあります。)

次に五臓を治療します。五臓を治療する者は、半死半生の境地にあります。
(六臓の脈は臓器と腑器に属し、六腑の脈は腑器と臓器に属します。臓器と腑器は経気で連絡し合っており、邪気が内部に入り込み、かつ腑器から解消しない場合、臓器にも干渉することになります。臓器の経気の間に邪気がある場合、まだ救いを受けて生き延びることができますが、臓器に侵入する場合は死に至ります。これが「半死半生」という意味です。皮膚と筋肉は陽の気分に属し、経絡と血は陰の気分に属します。外側は陽であり、内側は陰です。腑は陽であり、臓は陰です。陽の気分にある邪気は比較的治療が容易ですが、陰の気分にある邪気は治療が難しいです。以上の議論が治療の方法であり、陰陽の法則に従うべきです。)

したがって、天の邪気が感じられると、五臓を害します。水穀の寒熱が感じられると、六腑を害します。地の湿気が感じられると、皮肉と筋脈を害します。
(天の邪気は形層から裡陰に入り込むため、感じると人の五臓に害を及ぼします。水穀が胃に入り、寒暖の調和が乱れ、飲食が制御されない場合、病気は腸胃から生じます。したがって、六腑に影響を与えます。清濕地気の中にいる人々もまた同様です。治療は足から始めるべきです。したがって、皮肉と筋脈を害します。臓器は陰に属し、腑器は陽に属します。経脈と血は陰の気分に属し、皮肉と気は陽の気分に属します。天地の邪気は陰と陽の両方を持ち、水穀の気も暖かいものと寒いものを含みます。そして、病気の形と臓腑もまた陰陽による違いがあります。)

原文

帝曰:何以然。

岐伯曰:東方陽也。陽者其精並於上。並於上則上明而下虛。故使耳目聰明而手足不便也。西方陰也。陰者。其精並於下。並於下則下盛而上虛。故其耳目不聰明而手足便也。
(天有精。地有形。東方陽也。其精氣上升而並於上。並於上則上盛而下虛。故使人之耳目聰明。而手足不便也。西方陰也。其精氣下降而並於下。並於下則下盛而上虛。故其人之耳目不聰明。而手足便也。此以天地之左右而言也。王子方曰:上編論陽氣生於陰精。此複言天有精。而精氣上下交並。是陰精又生於天也。)

故俱感于邪。其在上則右甚。在下則左甚。此天地陰陽所不能全也。故邪居之。
(此以形身論之。其在上則右虛。在下則左虛。是天地陰陽之所不能全。而人身亦有左右之不足也。上文言天地左右之上下。此言人身上下之左右。王子方曰:俱感于邪。然後知虛處之病甚。)

故天有精。地有形。天有八紀。地有五里。故能為萬物之父母。
(天有所生之精。地有所成之形。天有八方之紀綱。地有五行之道理。其精氣交通於九州八方之外。故能為萬物生長之父母。又非止於上下之交並而已。)

清陽上天。濁陰歸地。是故天地之動靜。神明為之綱紀。故能以生長收藏。終而複始。
(言天地之體位。雖有東西南北之不足。而神明為之綱紀。故能以生長收藏。終而複始。化生萬物。神明者。生五氣。化五行者也。)

惟賢人上配天以養頭。下象地以養足。中旁人事以養五臟。
(上配天以養耳目之聰明。下象地以養腰以下之不足。節五味。適五志。以養五臟之太和。雖有賊邪。而勿能居之矣。此篇曰聖人。曰賢人。謂惟賢聖能法則天地。逆從陰陽。恬 虛無。精神內守。可使益壽。無有終極之時。而皆歸於真人也。)

天氣通於肺。
(肺臟屬乎乾金。位居至高。而主周身之氣。故與天氣相通。此複言非惟頭之上竅通乎天。從腰以下以象地。而五臟六腑九竅六經。皆與天地之氣相通。惟賢人能法天之紀。用地之理以治身。故災害不能及也。)

地氣通於嗌。
(嗌乃胃腑之門。主受濕濁之氣以入胃。故與地氣相通。太陰陽明篇曰:喉主天氣。嗌主地氣。)

風氣通於肝。
(風生木。木生肝。外內之氣相通也。)

雷氣通於心。
(雷、火之發聲也。心為火臟。氣相感召。故與心相通。)

穀氣通於脾。
(脾為土臟。而主司轉運。穀氣、山谷之通氣也。故與脾氣相通。)

雨氣通於腎。
(腎為水臟。雨氣。寒水之氣也。)

六經為川。
(六經、手足三陰三陽之經脈也。外內環轉。如川流之不息。)

腸胃為海。
(腸胃受盛水穀。如海之無所不容。又胃為水穀之海。而外合海水。腸為受盛之官。)

九竅為水注之氣。
(精氣通上竅。水濁出下竅。)

以天地為之陰陽。
(陰陽者。天地之道也。以天地之道。通乎身之陰陽。)

陽之汗。以天地之雨名之。
(汗出於陰液。由陽氣之宣發。故曰陽加於陰謂之汗。雨乃地之陰濕。亦由天氣之所化施。故可方人之汗。)

陽之氣。以天地之疾風名之。
(風出於地之隧谷。陽氣發於裡陰。以疾風名之者。言陽氣之行。身有道。無少逆滯者也。)

暴氣象雷。逆氣象陽。
(氣暴如雷火之發。氣逆如陽熱之勝。此複言陽氣之如風。行於上下四旁。無暴無逆也。)

故治不法天之紀。不用地之理。則災害至矣。
(人之陰陽。通乎天地。天有八紀。地有五里。為治不取法天地之陰陽。則災害至矣。)

故邪風之至。疾如風雨。
(天之邪氣。始傷皮毛。由皮毛而至肌肉筋脈。由經脈而入於臟腑。故如風雨之驟至。而易入於內也。獨言風者。風為百病之長。而能開發皮腠。)

故善治者治皮毛。
(陽氣者。衛外而為固也。天之陽邪。始傷皮毛氣分。故善治者。助陽氣以宣散其邪。不使內入於陰也。)

其次治肌膚。
(邪在皮毛。留而不去。則入於肌膚矣。肌膚尚屬外之氣分。亦可使邪從外解。故其治之次也。)

其次治筋脈。
(邪在肌膚。留而不去。則入於經絡矣。經脈內連臟腑。外絡形身。善治者。知邪入於經。即從經而外解。不使內干臟腑。此為治之法。又其次也。靈樞經曰:邪留而不去。或著經脈。或著於膂筋。)

其次治六腑。
(金匱要略曰:經絡受邪。入臟腑。為內所因。邪入於經。留而勿治。則入於裡矣。故止可從腑而解。)

其次治五臟。治五臟者。半死半生也。
(六臟之脈。屬臟絡腑。六腑之脈。屬腑絡臟。臟腑經氣。連絡相通。邪入於內。而又不從腑解。則干及於臟矣。邪在五臟經氣之間。尚可救治而生。如干臟則死矣。故曰半死半生也。夫皮膚氣分為陽。經絡血分為陰。外為陽。內為陰。腑為陽。臟為陰。邪在陽分為易治。邪在陰分為難治。以上論為治之道。當取法乎陰陽。)

故天之邪氣。感則害人五臟。水穀之寒熱。感則害于六腑。地之濕氣。感則害皮肉筋脈。
(天之邪氣。由形層而入於裡陰。故感則害人五臟。水穀入胃。寒溫不適。飲食不節。而病生於腸胃。故害于六腑。清濕地氣之中人也。必從足始。故感則害皮肉筋脈。夫臟為陰。腑為陽。經脈血分為陰。皮肉氣分為陽。天地之邪。有陰有陽。水穀之氣。有熱有寒。而病患之形身臟腑。亦有陰陽之別也。)

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